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上口耕平

2018年10月18日 (木)

タイタニック 10/11 18:30、10/13 12:30

@日本青年館
10日: S席1階G列 下手側
13日: S席2階E列 センターブロック

アンドリュース: 加藤和樹
イスメイ: 石川禅 スミス: 鈴木壮麻
戸井勝海、津田英佑、小野田龍之介
佐山陽規、安寿ミラ
相葉裕樹、菊地美香、栗原英雄、霧矢大夢
渡辺大輔、小南満佑子、屋比久知奈、豊原江理佳
藤岡正明、上口耕平、木内健人、百名ヒロキ、
吉田広大、須藤香菜

脚本: ピーター・ストーン
作詞・作曲: モーリー・イェストン
演出: トム・サザーランド

続投組: 加藤、戸井、津田、小野田、佐山、安寿、栗原、藤岡、上口、須藤
役変更組: 鈴木(イスメイ→船長)、
菊地(ケイト・マーフィー→キャロライン)
新規組: 石川、相葉、霧矢、渡辺、小南、屋比久、豊原、木内、百名、吉田
(順不同敬称略)

初演キャストがけっこう残ったと思っていたのですが、こうやって書き出してみたら、新規組とあんまり人数は変わらないんですねぇ。

基本的には、抜けた人の代わりに新しい人が入っていますが、初演で古川雄大くんと矢崎広くんが2人でやっていた役を3人で分割しているのが再演の特徴でしょうか。また、初演で川口大地くんがいろいろ演じていた役を木内くんが大方引き受けている印象。

古川くん→ ジム・ファレル、ベル、転ぶ給仕など
ぴろし→ ベルボーイ、ハートリー など

渡辺くん→ ジム・ファレル、転ぶ給仕など
木内くん→ ハートリー、ベルなど
百名くん→ ベルボーイ など

私が前回見ているからか、それともサザーランド氏のチェンジマンぶりが発揮された結果か(日本の前にもイギリスで本作品のツアーをやってらっしゃることもあると思いますが)、それぞれの役柄の奥まで伺えるような深みを感じる再演でした。

そして、特に感じたのが”階級”という既存の枠組みと、それに抗うように生きる新しい世界を夢見る人たちのはち切れそうなエネルギー。
立場が違う二等客のカップルの”階級”をぶち壊したいという思い。

初演の未来さんキャロライン&シュガりんチャールズはこのタイタニック乗船が幸せの絶頂で、2人でいられることがとても嬉しいというラブラブっぷりでしたが、美香ちゃんキャロライン&ばっちチャールズは、イギリスという階級社会から抜け出してアメリカで結婚するんだ!(フラグをどんどん建てる)という決意と期待の船出、という感じ。

初演のシルビアさんアリスは、ファニーでミーハーでセレブを真近に見てキャッキャしている印象が強かったのですが、霧矢さんアリスは、二等客という身分には満足せず、セレブに交わることにこそ意味があると息巻いている。

これらのキャラクターの変化が、初演と再演のいちばんの変化であり、再演で強調されていた主題だと感じました。

三等客がエッチスに雑に扱われる描写、一等客を救助するために出口を塞いで三等客を待たせろという台詞、これらは彼らがいかに旧体制で虐げられていた存在かを表す一方で、バレットは彼らに手を貸し、ライトーラーは船長の指示にあからさまに怒りを見せ、ストラウス夫妻は自らの救命胴衣を三等客のカップルに手渡す。そして、アイダは自分の指から指輪をはずしてケイトに、イシドールは札入れをジムの手に伸ばす。

人間が同じ人間を助けるために全力を尽くす。当然といえば当然だけど、その美しさが際立つようになっている。

ライトーラーは、船長が電報に対して懐疑的な態度を取る場面で「これからはそういう時代が来ると思いますが」と意見を述べるのですが、上記の「三等客も救助すべきだ」と考えているような態度と合わせて、彼の台詞はそこまで多くないのに、新しい時代を担う人として描かれているように思えました。(実際は生き残った後はなかなか曲者的な生き方をしたようですが)。それをきちんと感じさせてくれたのは、龍ちゃんの力量でしょう。

また、階級というのは、一等客、二等客、三等客だけではなく、船長をトップとする乗員の統率体制にも言えることなのかも、ということも今回の再演で感じたことでした。

船長をトップとした体制は、正しくリーダーシップが機能しているときは物事がいちばんスムーズに進むやり方ですが、虚栄心に支配された偉い立場にある人ほど自分の経験に固執し周囲からの情報を跳ね除け、自分を盲信することになる。

もし、機関室から「これ以上のスピードは危険だ」と航海士に意見が出来たら、悲劇は防げたかもしれない。
しかし、航海中、船は船長のもので、船長はたとえ自信がなかったとしても自信があるように振る舞うもの。

特にベルくんの上と下に対する態度の違いが、トップダウンの弊害を如実に表しているのがよくわかりました。
ベルは自分の下で働くバレットや他の機関士には厳しく当たる一方で、航海士からの指示が来るたびに「承知しました」と返事をする。急にスピードを上げたら危険だということが分かっているのに「それはおかしい」とは言えない。
「承知しました」と応える健人くんの表情のひとつひとつの変化で、状況がおかしい方向に進んでいることがわかる。

イギリスから、アメリカに向かうタイタニック。その船内は、階級を飛び越えて物を考える人もいれば、自分の所属する階級、職掌の権力を振りかざす者もいた、本当に旧体制と新世界そのせめぎ合いの場所だった。
“彼女”が沈んだ後、ますますアメリカという国は力をつけていく。


藤岡くんの第一声「すーごいぞータイターニック!」は、この作品のファンファーレだなぁと思うと同時に、一緒に百名くんベルボーイの若い溌剌さに注目させるスポットライトの使い方が上手い。
全編を通して、スポットライトが視覚的な”予兆”となっており、また藤岡くんの歌がこの作品の芯として機能している。

「バレットソング」では歌としての”予兆”、「プロポーザル」で”ラブバラード”、チャームソングはハートリーのパートかな?と、『グーテンバーグ!』を見た人には「お、あの説明そのままやんか!」的なオーソドックスな構成でありながら、群像劇として、どのキャラクターも2時間半を生きているサザーランド氏の演出の巧みさに感服。

健人くんは、開演前も和樹アンドリュースの同僚or部下として活躍。
上から見ると、開演前の加藤くんの机にあるのは青い紙に書かれたタイタニックの設計図とノートだと分かりました。
健人くんとは、設計図見ながら「ここはこうかな?」的なお芝居をしていることもあればアンドリュースが気分転換に雑談してるんだろうな、って感じもあったり。
健人くんがいることで、アンドリュースも他の船員や乗客と同じように仕事をしている普通の1人の人間なんだってことが伝わってきて、前回の一人芝居より好き。

健人くんは『グランドホテル』『パジャマ・ゲーム』今回の再演『タイタニック』でサザーランド演出作品皆勤賞!おめでとう〜。
カメラマン、ベル、給仕係、三等客、通信士の同僚とか取っ替え引っ替え出てくるのですが、いずれの登場人物でもきちんとその役割を演じ分け、ハートリーで登場したときの華がすごいぜケントキノウチ!
ハートリーは歌手なので当たり前といえば当たり前なのですが、ソロが2曲もあるんですよね。
お客様を新世界へ運ぶエンターテイナーとして最後まで演奏し続けて職務を全うした彼の矜持が素敵。最後の立ち位置、おそらく「秋」を歌っていたときと同じ位置です。

耕平くんは、前回から変わらずブライド、一等客のセイヤー氏、お店を持ちたい三等客。
そういえば、ブライドくんは、冒頭のバレットの「さらば恋人 きっとすぐに帰るさ」(フラグ!)の後にソロで同じメロディを歌うんですよね、そして手紙にキス。もしかして、ブライドにも恋人がいたのかなぁ。
それとも恋人未満の想い人?だから、バレットのプロポーズを手伝いたくなったのかも…。
コミュ障気味だけど仕事ぶりは真面目。彼が通信のメモを握りつぶしてしまうシーンは彼の心も潰されてしまうような痛々しい表情でした。
バレットが恋人に歌う一節「どうか 神の祝福を」。
これがブライドによって、死者へのレクイエムとなる切なさと美しさに涙が止まりませんでした。

美しさといえば、やはりストラウス夫妻。
このお二方の佇まいと行動には、お金持ちだからではなく、人としてどうありたいかということが描かれているのだと思います。崇高で、気高くて、優しい。
そして、日本で上演されるミュージカルとしては珍しく、大人の愛を描写している稀有な例だと思います。

2人で最期まで共にする愛、相手だけは助かって欲しいと願う愛、一緒に生き延びようとする愛だけではなく、仕事に対する愛に生きた人々も描くなか、アンドリュースが人が蹴落とし合い死の淵でもがいている様子を歌うソロは、とてつもない皮肉だと思いました。

彼がタイタニックの中で見ていたのは、何だったのでしょうか。
設計士が主演(群像劇ですが)に位置付けられた意味を考えたいと思います。

2018年10月11日 (木)

タイタニック 10/6 12:30、10/9 12:30

@日本青年館
6日: S席1階D列 センターブロック
9日: S席1階J列 上手側

アンドリュース: 加藤和樹
イスメイ: 石川禅 スミス: 鈴木壮麻
戸井勝海、津田英佑、小野田龍之介
佐山陽規、安寿ミラ
相葉裕樹、菊地美香、栗原英雄、霧矢大夢
渡辺大輔、小南満佑子、屋比久知奈、豊原江理佳
藤岡正明、上口耕平、木内健人、百名ヒロキ、
吉田広大、須藤香菜

脚本: ピーター・ストーン
作詞・作曲: モーリー・イェストン
演出: トム・サザーランド

シンケンブルーとデカピンクとモアナがいても、船は沈むんだな…。

タイタニックという船は、新しい世界と古い価値観の境界線にいた。
新天地でたくましく生きていこうとする女性三等客、階級を乗り越えようとする女性二等客、速さを求める男性一等客とイスメイ、電報を駆使する通信士、電報の時代がやってくると受け入れる航海士。
一方、今までの経験に即して考える船長や客室係。

設計士のアンドリュースという人物は、世界一大きな船を設計する科学技術の知識を有しながら、船が氷山にぶつかったのは「神の意志だ」と嘆く、自らの中にその二面性を持った人物として描かれている。

アンドリュースは、船の速さについても(22ノット、もしかしたら23ノットまで)、浸水してから沈むまでの予測(1時間半、もって2時間)にしても、自分が自信を持って保証できる範囲と希望的観測を述べていますが、そのエクストラの部分が”神が味方をしてくれるなら”といったニュアンスを含んでいるように感じられます。
”自分の船”のことは自分がいちばんよく知っている。

しかし、イスメイはあくまでも”自分の船”が記録や伝説を作ることにこだわった。技術的に可能であること=実現可能であることではない、それがイスメイには分かっていない。

スミス船長は、自分こそが船長で、この船が海の上にいる間は全て自分の統治下にあると自負している。それをイスメイに邪魔されるたびに自分の方が上であることを示そうとして、本来の一番の任務である安全航行を疎かにしていく。

そうして、イスメイとスミスは、虚栄心からアンドリュースが口にした”神”の領域を侵し、人間は敗北することなった。
冒頭、生き残ったイスメイの目に光る涙は、愚かな自分への怒りや後悔なのか、乗客への贖罪なのでしょうか。

船がまさに沈もうとしているときに起こる通信室での三者の責任のなすり合いは、人間の醜さの極みを描写しているが、その脇で、最悪の状況から脱するために一心不乱に自分のできることをやり続けるブライドに人間の光を見ることができる。

氷山にぶつかる前にメモを握りつぶした耕平ブライドにスポットライトが当たるのが本当につらい。
それまでに彼の意見が船長に聞き入れられていれば...。

「この船の一番重要な場所へようこそ!」で、ブライドがどんなに自分の仕事に誇りを持っていたかが分かるし、機関士の藤岡バレットも、船長からの指示を伝えに来た木内ベルに「これ以上スピードを上げたら危険だ」と警告する場面があるし、そのベルも船長(マードックから)の指示を聞いた瞬間は「それは無茶だ」という表情をする。
乗組員はみんな”自分の船”に、自分の仕事に責任を持って動いていた。

登場人物の都合上、一等客室係のエッチスが三等客と言葉を交わす場面があるけれど、実際では持ち場がきちんと決められていて、他のエリアの客とは交わらないはず。
彼が階級によって人を見定めるような人物として描かれているのは、彼が古いタイプの人間であることを示唆しているけれど(反対にライトーラーは三等客の処遇について船長に意見を申し入れている)、彼の仕事は一等客をもてなすことであり、彼も最後まで自分の仕事に努めたことは間違いない。

最後の最後まで通信室にいたブライド。
船が沈むまで「秋」を演奏し続けたハートリーの楽団。

この船の船員は、皆、自分の使命を全うした。
人間の尊厳は、輝かしい名誉を手に入れることではなく、苦境に陥ったときにどのような行いが出来るかと、この作品の中では定義されている。


ふと気がついたのですが、この作品、乗客も仕事のことを多く話しているんですよね。
三等客は「アメリカで死ぬほど働きたい」と歌い、二等客のビーン夫妻は金物屋で手堅い商売をしていて、駆け落ちするチャールズは八百屋の息子だけどアメリカでスポーツ記者になりたいと目を輝かせる。
一等客のストラウス夫妻は、デパートの経営を息子に譲り、今後はどのような仕事をしようかと話している。

プロテスタント誕生時に、ヨーロッパ諸国では職業は天から授けられた使命であるという考え方が根付きましたが、産業革命を経験したイギリスでは、だんだんとその説は否定されていったそうです。自分に喜びをもたらす仕事と、ただただ厳しい仕事に分けられる、と。

しかし、タイタニック号に乗り合わせた人々の仕事観は、自分がどう生きたいか、どういう人間になるのかという指針に思えて、様々な愛が描かれているなか、自分にはなんだかお仕事ミュージカルの一面もあるのかな、などと思えてきました。

不真面目に仕事しているもんで、彼らがあまりにも純粋なのでそこに刺さったのかもしれません。










2018年7月29日 (日)

グーテンバーグ!ザ・ミュージカル!2018 千秋楽 7/29 12:30

@新宿村LIVE
B列 上手側

ダグ・サイモン: 鯨井康介
バド・ダベンポート: 上口耕平
ピアノ演奏: 桑原まこ

日本語上演台本・訳詞・演出: 板垣恭一
​原作: アンソニー・キング(Anthony King)&スコット・ブラウン(Scott Brown)


ヘルベチカの胸問題。
私は、ちびっこがお尻やおち◯ち◯が大好きなように、男の子の自分が持っていないおっぱいというものに対する純粋な好奇心みたいなもの、と受け取りましたが、人の身体の一部を笑いに使うことに対して、嫌な気持ちになる方もいることは理解できます。

でも、なぜわざわざヘルベチカに胸の大きな女性という役割を与えたのか。

胸の大きな女性はバカであるという偏見。
それは「賢い女性」という存在を認めたくなかった昔の男性が作った愚かで卑怯な言説。

ヘルベチカは文字が読めないというだけで、彼女が卑下するように頭が悪いわけではない、と劇中のグーテンバーグは言っています。彼を愛しているがゆえに修道士に騙されますが、彼女は思いやりに溢れた思慮深い人物ですよね。

修道士が人々に力を持たせないようにと文字を与えなかったように、また、バド・ダベンポート=上口が終盤に「文字が読めない8億人のうち、3分の2は女性だ」と糾弾するように、今も世界のどこかでは女性から学ぶ機会を奪っている人たちがいます。
女性のシンボルでもある膨らんだ胸を持つヘルベチカの存在は、その示唆でもあるのかもしれません。

さて、千秋楽。
鯨井くんがボケを拾いに拾ってさらに未然に事故を防ごうとしているのに、そのバリケードを突破していく耕平くんの勇気。
「考えてから喋ろう!!!!!!」と止めてくれるときと放置するときの鯨井くんのバランス感覚。
カテコではそれぞれお互いに感謝の言葉を述べていましたが、素晴らしいペアでした。

いろいろな役を演じても、耕平くんはBad-boy修道士、鯨井くんは理想に燃えるグーテンバーグという核になる役を魅力的に演じていて、その役になったときには舞台が締まる感覚がありました。
修ちゃん、初日からめちゃくちゃパワーアップしたキャラクターじゃないでしょうか。
正直、チャームソングである「ビスケット」より、「呪いの森」の方が頭の中をグルグルします。なんならステップを踏みたいぐらい。

そういえば、修道士がグーテンバーグをそそのかす場面はTdVのクロロック伯爵のようにも見えましたが、息子なのだから当たり前かー!(違)
あ、ヘルベルトとヘルベチカって似てますね(関係ない)。

耕平くんは男性役の歌い分けはもちろん、ファルセットを駆使して女性たちの声音の違いを表現し、また、ネズミちゃんではファニーボイス、コーラスラインのきゃりーぱみゅぱみゅ、ヒロミゴーや桑田佳祐の超短いモノマネまで、さまざまに声を変えて歌うことに挑戦していました。
私にはテクニック的なことは分かりませんが、歌うことに真摯に取り組んでいることは観劇して伝わってきました。

とにかく私は歌って”踊る”上口耕平が見られてハッピーです。

耕平くんと鯨井くんが、この作品でも、別の作品でも、また共演することを楽しみにしています。






2018年7月28日 (土)

グーテンバーグ!ザ・ミュージカル!2018 7/26 19:30

@新宿村LIVE
XA列 センター

ダグ・サイモン: 鯨井康介
バド・ダベンポート: 上口耕平
ピアノ演奏: 桑原まこ

日本語上演台本・訳詞・演出: 板垣恭一
​原作: アンソニー・キング(Anthony King)&スコット・ブラウン(Scott Brown)


初日ぶりの上口×鯨井ペア。
座席は2回連続最前列で、2つか3つ上手側にズレたぐらい。近い近い。
ダンスが多い舞台では足元まで見える席は嬉しいですよね。
(前方席万歳派ではなく段差が大きくて全身がちゃんと見える中段ぐらいがいちばん理想なのですが)

初日は舞台上も客席も独特の緊張感がありましたが、後半に差し掛かって、ぶっこめる場所にはネタを追加していく挑戦と、ところどころ壊れかけの自転車みたいなポンコツっぷりが見られた回でした。ブレーキが効かないまま坂道を下っているようなスリル感。

方向性を見失ったまま話す耕平くんのボケを全部拾うどころか、未然に事故(笑)を防ぐ鯨井くんの反射神経。
きっと彼がゴールキーパーだったら、日本はワールドカップで優勝出来る(確信)。

想像以上に日本のことを知っているシンガポール生まれの日系3世、バド・ダベンポート=上口。

“女性”の帽子をかぶって「金麦と待ってるからー!!」と叫んでみたり、「ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんが夢に出てきた(ツンデレな感じがいいらしい)」と明かしてダグと客席を困惑させたり、修道士の修ちゃんがサザエさんの主題歌を歌ったり、レギュラーメンバー(?)の他にビートたけしと井上陽水の他にキムタクの真似をぶっ込んでみたり。

このペアは、ダグとバドがバッカーズオーディションに賭ける意気込みや劇中劇でのグーテンバーグの印刷機発明への熱意が、再演から参加しこの作品と向き合っている上口耕平&鯨井康介という役者の頑張りに重なっているように感じます。

前回の感想でも「この作品は三層構造のようにも感じられる」と書いたのですが、この日ようやく買ったプログラムを読んでいたら、演出の板垣さんが稽古場の座談会で上口×鯨井ペアについて似たようなことをおっしゃっていたので、きっとそこが演出家から見ても観客の立場から見ても、上口×鯨井ペアの魅力のひとつなのだろうと思います。

グーテンバーグの印刷機という、ヨーロッパのルネサンス期の大きな発明が後世に大きな影響を与えたように、希望を繋いできた人たちによって、私たちの社会は作られている。

2人の作品がブロードウェイで上演されても、世界からすぐに憎しみの連鎖が消えるわけではないことぐらいダグとバドも分かっているでしょう。
それでも、彼らの夢がいつかまた新しい誰かの夢となり、人はひとりではなくなる。
だから、私たちは夢を見るのだ。

傍から見たら恥ずかしいぐらいの理想論。
まっすぐな若い青臭さ。
そこで興ざめしないのは、やはり、ダグとバドの情熱と上口×鯨井ペアの奮闘がリンクしていているからだと思いました。
だから、観劇後にとても清々しい(きよきよしいではない)気持ちになるんだろうな。

最後に、この作品ではカテコの撮影がOKなので初日とこの回の写真を貼っておきたいと思います。





(角度以外で)間違い探しをどうぞ。





2018年7月22日 (日)

グーテンバーグ!ザ・ミュージカル!2018 7/19 19:30、7/21 17:00

@新宿村LIVE
19日: XA列センター
ダグ・サイモン: 鯨井康介
バド・ダベンポート: 上口耕平
ピアノ演奏: 桑原まこ

21日: C列下手側
ダグ・サイモン: 福井晶一
バド・ダベンポート: 原田優一
ピアノ演奏: 桑原まこ

日本語上演台本・訳詞・演出: 板垣恭一
​原作: アンソニー・キング(Anthony King)&スコット・ブラウン(Scott Brown)

鯨井×上口ペア(Wコウちゃんズ)の初日と初演から続投組の福井×原田ペア(イチイチコンビ)を見てきました。

役名が書かれた帽子を変えるだけで20以上の役を演じるというのは、ある意味低予算を逆手に取った”ヨシヒコ的”なゆるさなのかと思っていたのですが、もちろんコメディで笑える部分もたくさんありつつ、人間にとって、社会にとって、”文字”がどのような力を持つのか、”夢を持つこと”が人間をどう突き動かしているのか、なぜダグとバドがグーテンバーグ(グーテンベルグ)のミュージカルを作ったのか、がしっかりと描かれていて、笑い疲れた後にグッと胸に残るものがありました。

グーテンベルグ聖書は西洋初の活版印刷聖書であり、劇中でグーテンベルグを妨害しようとする修道士の存在とともにキリスト教原理主義についてちょろっと出てきます。
いまだこの地球上では文字を読むことが出来ない人がいて、その多くが女性であると高らかに糾弾するのは、西洋側にもこのような問題があると自ら暴露したうえで、911後のイスラム教原理主義に対する痛烈な批判だと受け取りました。
この作品が発表されたのは2006年のことですが、その状況は今も変わっていないんですよね……。


「優れたミュージカルというのは、真面目なテーマが描かれているものです」


この作品はダグとバドという劇作家と作曲家のコンビがグーテンバーグ(グーテンベルグ)のミュージカルをブロードウェイのプロデューサーにプレゼンするバッカーズオーディション、そのミュージカルを実際に演じる劇中劇の二層構造になっていて、ダグとバドの雑談の形を取りながら役者本人の中身がちょいちょい顔を出すフリートークも入れると三層構造のようにも感じられる、けっこう複雑なつくり。

バッカーズオーディションとは、プロデューサーや関係者たちの前で作品の概要(脚本)を説明し、公演の出資を募ることをいうのだそうです。
客席にいる私たちはダグとバドの作ったグーテンバーグの物語について、ミュージカルとはどのように作られているのか、その曲の持つ意味などの解説も聴きながら、ただの観客とは少し違う位置から見ることも出来るようになっています。

と、まぁ小難しく書いてきましたが、上口耕平×鯨井康介、原田優一×福井晶一、それぞれのペアのバックグラウンドを生かしたそれぞれの演出になっていて、例えばダグとバドの出身地や出身劇団、各キャラクターの造形もペアによって全然異なっています。
ぜひぜひ2組とも見ることをオススメいたします!

どちらかの人のファンでもう一方はあまり知らないな〜という方は、サラッと経歴だけでも見ておくと何倍も楽しめるはずです。

上口×鯨井ペアは初日だったということもあるかと思いますが、とにかくフレッシュ!微笑ましくなるような必死感というか、その過程が可愛らしい。
合間合間でボケようとする耕平くんに対して、なんでもどこでも拾う鯨井くん。さすがテニスサークル出身(笑)

それから何より嬉しかったのが、踊る耕平くんを見られたこと!!
(『タイタニック』は作品としても彼の役も好きですけどそれは少し置いといて)上口耕平は踊ってナンボだ!!四肢の多弁さは、絶対に耕平くんの武器。
こちらのペアは踊れる2人が揃ったこともあり、また背格好が似ていることも功を奏して、ダンスユニットのような軽やかさ。

原田×福井ペアは日比谷界隈とあざみ野界隈で鍛えた抜群の歌唱力を新宿村LIVEという空間で聴ける贅沢。
私の中で、原田優一くんが関わっていれば間違いないという確信があるのですが、”子役上がり”のキャリアを120%活用する優ちゃんと、今までそんな自由人だって知らなかったよ〜という福井さんのフワフワっぷりに腹筋が鍛えられます。

ミュージカルをたくさん見てきた人、ミュージカル役者をたくさん知っている人、こちらのペアで存分に笑ってください。
我こそは昭和だ、という方にもオススメです。

この制作では、学生さんに無料で見てもらう目的でカルチケ(SNSや劇場での募金をもとに)というものを発行する取り組みをしています。
お時間のある学生さんは活用してお得に楽しい作品を楽しんでください。

2018年6月 4日 (月)

DAY ZERO 5/31 19:00〜

青山DDDクロシスアター
C列センター

弁護士 ジョージ・リフキン: 福田悠太(ふぉ〜ゆ〜)
タクシードライバー ジェームス・ディクソン: 上口耕平
小説家 アーロン・フェラー: 内藤大希
パトリシア ほか: 梅田彩佳
モリー・リフキン ほか: 谷口あかり
カウンセラー ほか多数: 西川大貴

Based on the screenplay DAY ZERO by Robert Malkani
上演台本: 高橋知伽江
作曲・音楽監督: 深沢桂子
演出: 吉原光夫
ギター演奏: 中村康彦

カオスだと思ったメロディーも、2回目だと身体に入ってくる箇所もあったのは収穫。

東京公演初日前の取材では、この作品で描かれる近未来は2020年だと明かされていました。
劇中に「明日は昨日の続きだと信じて 今日を生きてきた」(意訳)というような歌詞があります。
2020年は2018年の続き。
それなら、せめて2010年代の政治の動きを踏まえたものにならなかったのでしょうか。

トランプ政権の任期は2021年1月までなので、2020年は大統領選真っ只中ということになります。
その話題がいっさい出てこないというのは、アメリカ社会を描くうえで、あまりにも不自然ではないかと思うのです。

原作の映画ではどう描かれているのかわかりませんが、2008年に上映された近未来の姿は2018年ではすでに過去のものになってしまっているような気がします。
ゲイやレズビアンのアスリートがオリンピックで活躍し、大物映画プロデューサーへのセクハラ告発に端を発する #Metoo ムーブメント全盛の今、彼らの思考・行動が時代遅れの感が否めないのです。

2020年という近未来にすることによって、自分たちに身近な話題となるはずなのに、2018年までが描かれていないのでこれが2020年である必要がないんですよね。
本当に徴兵制があった第二次世界大戦でもベトナム戦争でも描ける話。

決められたDAY ZEROまでどう過ごすか。
20年来の彼らの友情、それぞれが守りたいもの、やりたいこと、見つけたもの。残してきた過去と向き合うこと。
それがこの作品で描きたかったことだと思うし、伝わってはくるけれど、”現代があっての近未来”という前提がすっぽ抜けているので、状況が上滑りしてしまっているように感じてしまうのです。

1時間40分強の作品ですが、もう少し時間を伸ばしてでも彼らを取り巻く”社会”を描いて欲しかったように思います。

2018年5月27日 (日)

DAY ZERO プレビュー公演 5/26 15:00〜

@水戸芸術館 ACM劇場
S席 2階A列センター

弁護士 ジョージ・リフキン: 福田悠太(ふぉ〜ゆ〜)
タクシードライバー ジェームス・ディクソン: 上口耕平
小説家 アーロン・フェラー: 内藤大希
パトリシア ほか: 梅田彩佳
モリー・リフキン ほか: 谷口あかり
カウンセラー ほか多数: 西川大貴

Based on the screenplay DAY ZERO by Robert Malkani
上演台本: 高橋知伽江
作曲・音楽監督: 深沢桂子
演出: 吉原光夫
ギター演奏: 中村康彦

設定は召集年齢が35歳まで引き上げられ徴兵制が復活した近未来のアメリカ。
それぞれ別の道に進んだ中学生の同級生で今でも毎週末のように集まる34歳の3人に召集令状が届くことからこの物語は始まります。

DAY ZERO、それは出征する当日。
残されたタイムリミットは21日。
彼らはその期間で今までどうやって生きてきたかを突きつけられ、今の自分と向き合い、どうやって生きていきたいかを考えるようになる。

召集令状を受け取った瞬間、それは耕平くんが出演した『I Love A PIANO』でも描かれました。あれは第2次世界大戦でしたが。
それから、ベトナム戦争の出征前日を描いたミュージカル『ドッグファイト』も頭に浮かんできます。
どちらもアメリカを描いている作品。

単純化できる(してはいけない)話ではないけれど、第2次世界大戦では、連合国側の敵(ドイツ、イタリア、アメリカに宣戦布告した日本)に対する”正義”という大義名分があったのだろうし、ベトナム戦争は、当初はアメリカの圧倒的有利と言われていたこと、また『ジャージー・ボーイズ』でトミーが言うように、自分の境遇から抜け出す手段のひとつにもなっていたのでしょう。

20世紀に多くの戦争・紛争を体験してきた人々は、極力それらを避けるように努力してきたはず。

しかし、2001年9月11日を経た近未来のアメリカ。
召集令状を受け取ったタクシードライバーのジェームスは「自由」のために戦うと言うけれど、それは何のための自由で誰のための自由なのか。
ミサイルのアラートが鳴り、自国の安全が自国を飛び越えた国の間で協議される(だろう)2018年の日本にいる私にはそれが分かりません。これが平和ボケと言うのかもしれません。

彼らは、3人の青年は、自分らしくある自由を奪われたのではないのか。
守るべき大切な生活、初めて心が通じ合えた愛しい人、夢…それらをいきなり打ち切られることが果たして正しいことなのでしょうか。
彼らの21日間、私には何か間違ったもののために無理やり動かされているように見えました。


原案になった映画は11年前に公開されたものだそうですが、このミュージカルは近未来という設定なのに、人物描写やエピソードがなんだか古臭く感じてしまいました。
日本で言うところの”昭和かよ”みたいな(アメリカだけど)

弁護士のジョージについて、嫌悪感を抱いてしまう描写がいくつかあるのです。Metooムーブメントが盛んな今、ジョージが犯した過去の過ちについて触れることは、フィクションとはいえ、とてつもなく気持ち悪い思いがします。
彼の行動は被害者が何も救われない”謝罪オナニー”にしかなっていないのではないかと思うし、それに対してジェームスが返す言葉も被害者に対する視点が欠けていて「それはないだろう」という怒りの感情が湧いてきてしまいます。

そして、ハーバードを出て弁護士をしているという設定なのに、LGBTに対する認識はそんなものなのかという驚きというか落胆というか、違和感があります。

多くのセレブリティ、スポーツ選手、政治家がLGBTの権利を主張しているアメリカという国の法の下で働くジョージが、人のプライバシーや性的志向を踏みにじる行為をするということにおぞましささえ感じます。

極限状態になった人間は何をするのか分からない。それはそうかもしれないけれど、このような思考を持った人間が弁護士をしているということに、この作品の主題とはズレますが、絶望してしまいました。

アメリカの国防総省はオバマ前大統領下の2016年6月30日にトランジェンダー(心と体の性の不一致)の人々の米軍入隊規則を撤廃しました。
しかし、17年7月、新しく就任したトランプ大統領が、彼らの入隊を禁止しようとするツイートを更新し、18年3月には、軍務に就くことを一部の例外を除き禁じる方針を発表しています。

近未来は東京五輪より先に設定されているような台詞がありました。
それならば、あの時代は今のトランプ政権の流れを汲んだ思想に支配されているのでしょうか。
西川くん演じる人物の悲壮な様子に胸が痛みます。

先ほど、未来のはずなのに古く感じてしまうと書きましたが、時代全体が戻ろうとしていることを表しているのでしょうか。


性格も職業も環境も違う3人は、ただの仲良しではなく、2人はジェームスに、ジェームスは2人に、それぞれに”借り””恩”があるという、ジェームスを中心にしたバランスで成り立っている。
過酷な少年時代を過ごしたジェームスを助けてくれた2人のためにヒーローでいたいジェームスの思いは、友情というより自己犠牲で、彼は自分が2人よりも幸せになってはいけないと思っているようなフシがある。
なんというか、救われた命を他人のために使う、ジャン・バルジャンのようにも思えます。

バルジャンはコゼットをマリウスに託し命を終えますが、ジェームスはパトリシアを残して戦地に赴かなければなりません。彼女と過ごすことによって得られた安らぎも希望も気づきも捨てて。

ジェームスが21日間の間に見つけたものは、それまで手に入れられなかったもの。
耕平くんと梅田彩佳ちゃん(梅ちゃん)の繊細なやり取りはとても素敵でした。光と陰のような2人だからこそ惹かれあったのだということが伝わってきたと思います。
それにしても、演出のときの光夫さんってロマンチストだなぁ。

一方、アーロンは、カウンセラーから21日間でやりたいことの「トップ10」を作るといいとアドバイスをされ、今までやりたかったけれど踏み出せなくて出来なかったことをこなしていく。本当にやらなければならないことを避けながら。

ジェームスに言われるまでもなく、彼はやらなければならないことは分かっていたのだと思う。危ない薬に手を染めるほどに。
ジェームスがどんなに願っても手に入れられないもの。それを手放してはならない、自分のせいで手放してほしくない、そんな思いで突き放してしまうけれど、アーロンは絶望感を募らせていく。

内藤大希くん、前半はストーリーテラーというか状況説明のような役割を果たしながら、後半にかけて精神状態が狂っていく役でしたが、上手いなぁと驚嘆してしまいました。
アーロンが一人でいる時間に何を考えていたかという空白をきちんと埋められるお芝居の力が素晴らしい。

“Wたいき”ががっつり絡むカウンセリングソングは、西川くんの役が『Next to Normal』で新納くんが演じた精神科医を彷彿とさせます。あちらはロックで今回はフラメンコでしたが(笑) 西川くん、怪演です。

内藤大希くんと西川くんは子ども時代からの知り合いだけれど、板の上で共演するのは初めてなのだとか。

西川くんは、カウンセラー以外にもジョージの父親や部下、レポーターなど多くの役を兼任します。これは『ドッグファイト』の戸井さん(初演)やひのさん(再演)的な立ち位置ですよね。
後ろを向いてすぐに別の役として喋るなど、休憩なしの100分の中でスイッチをいくつも切り替え、また、ほかの3人に影響を与えるように台詞を投げなければならないという難しい役割に挑戦しています。

特筆すべきなのは、谷口あかりちゃんでした。
ジョージに関わる2人の女性を演じているのですが、彼に人生を救われた女性と彼(だけではないけれど)に人生を狂わされた女性という両極端な役柄を、どちらも的確に舞台上に立ち上らせていました。
また、全体的にメロディが難解というか、耳触りとしてはつかみどころのない曲調を歌詞とともにしっかり伝える力量にも圧倒されました。

最近、役者さんの中からも「ミュージカルは芝居だ」という論調をよく見かけます。
それに異論はないけれど、ミュージカルという”方法”を用いるならば、歌を通して心情を分かりやすく伝えるために、いくつかは劇場を去るときに頭の中に流れるようらキャッチーな曲がほしいところです。カオス感を表現するための不協和音の連続ははっきり言ってキツいものがありました。
また、耕平くんと梅ちゃん、福田くんが揃ってるのに踊らないっていうのがとにかくもったいない。
ダンスで伝えることもミュージカルのひとつの魅力だと思うのですが。

最後に、20年来の親友たちなのにファミリーネームで呼んでいた(ディクソン呼び)ところと、アメリカではサーティワンはサーティワンとは言わないはず(バスキン・ロビンスという正式名称がある)だというのがどうも引っかかってしまって…。
特に人の呼び方は関係性の距離を表すものだから、ファーストネームで呼ぶべきではないでしょうか。
(ビジネスだって、数回やり取りすればメールはファーストネームで送られてくるわけだし)
神は細部に宿って欲しい。

本公演での変化を期待します。



2018年2月19日 (月)

FUN HOME ファンホーム 2/17 13:30

@シアタークリエ
4列目 センターブロック

アリソン(現在・43歳):瀬奈じゅん
ブルース(父):吉原光夫
アリソン(大学生・19歳):大原櫻子
ヘレン(母):紺野まひる
ロイ、ペート、ボビー・ジェレミー:上口耕平
ジョーン:横田美紀
アリソン(小学生・10歳):笠井日向・☆龍杏美(Wキャスト)
クリスチャン(アリソンの1歳下の弟):楢原嵩琉・☆若林大空(Wキャスト)
ジョン(アリソンの4歳下の弟):阿部稜平・☆大河原爽介(Wキャスト)

原作:アリソン・ベクダル
作曲:ジニーン・テソーリ 脚本・作詞:リサ・クロン
翻訳:浦辺千鶴 訳詞:高橋亜子
演出:小川絵梨子


少し時間を空けて、『FUN HOME』2回目を見てきました。
ブルースが生まれ育った時代、そして生まれ育ったアメリカの田舎町という環境だったからなのかもしれないけれど、彼は同性愛者であるということを"欠陥"だと思っていて、美意識を高めることで完璧な人間になれると信じて、読書や美しいものに触れることでその"欠陥"を埋めようとしたのではないかと思いました。

周囲から"あんなに素敵な家に住んでいるブルース・べクダルは素晴らしい人間だ"という賞賛を得られる。"欠陥"に目を向けられず自分を誇示できる。
家を装飾することはブルースにとって自分を守る要塞を築くことだったのかもしれません。

その要塞は、ブルースの"異変"に気がついていたヘレンの献身によって守られていた。
「ようこそ自慢の我が家へ とてもピカピカでしょう 調和が取れていて (いつも穏やかでしよう)」の空々しさが哀しい。

ブルースは娘とどこか通じ合う嬉しさもあったけれど、「ドレスがイヤ、髪留めがイヤ」という、子ども時代のアリソンの"そういう兆候"を矯正しようとしたし、手紙でレズビアンだとカミングアウトしたときも「決めつけなくてもいい、あいまいなままでもいいじゃないか」と答えている。
その言動はブルースにとって、同性愛者であることが負い目であり、苦しみでもあったからという表れなのでしょう。
昔見かけたカッコいい女性の存在がアリソンにとっては"仲間"を見つけた一種の希望となっていて、大学時代にレズビアンだと自覚したことに戸惑いはしていたけれど絶望はしていないのがブルースの在り方と対照的でした。

ちびアリソンが、カッコいい女性が持っていたキーホルダーの束に注目するのは、自分の中にある、閉じ込められていた本物の気持ちの鍵を開けられたのと同時に、これから「あなたがレズビアンとして開く扉はたくさんあるよ」という明るい福音を見出したからというようにも思えます。

そして、時は経ち、カミングアウトしたアリソンはジョーンという理解者を連れて実家に帰ってくる。
ブルースは聡明なジョーンのことを気に入るし、アリソンは(表面上は)自分のように深刻に受け止めているようでもなく、今まで通り変わらないように見える。
そんなアリソンたちを見て、ブルースは自分の人生がわからなくなってしまったのではないでしょうか。
例えばロイのような存在はいても、身体だけではなく心から通じ合う理解者はいなかった。
文学の中に安らぎや共感を求め、要塞を頑丈に(=美しく)したのに、それは必要なかったのかもしれないという気づき、人生への否定。

そうして、改築中の家を放り出して、自らの意志で人生を終わらせてしまったのかなと思いました。

アリソンは父の自殺の(直接的ではないけれど)原因はおそらく自分にあったのだと心の奥では気がついていて、その中で自分と父との間には「特別な絆」や「楽しい思い出」があったことを確かめたかったのかもしれない。
飛行機遊びをしてもらっているときに、完璧なバランスが取れることがあったように。


生身の人間が演じる、ということは、そこに体温が生まれる、ということ。
英米文学作品の洪水にひいひい溺れながらも原作コミックスを読んだとき、自分の読書の苦しみとは別に、作品全体からはひんやりした手触りというか、低温状態で保たれた研究室の中にいるような気分になったのを覚えています。

『FUN HOME』を客席から見ていて、感情という熱量が自分の想像以上に、予想外の場所から自分にぶつかってくるっていうことが驚きというか不思議な感覚で、作品自体を素直に受け取れていないという思いがあります。あらかじめ自分が思い描いていたテンションとの落差についていけない、といいますか。

舞台を見るということは、演出、役者というフィルターを通して物語を見ることになるのだから、原作とは別物と考えなければならないとも思うのですが、自分にとって "人間が演じることのリアルさ"ではなく、逆に"嘘くささ"を感じることになってしまいました。
むしろ"お芝居は全部嘘"なのだから、それを楽しむべきものなのかもしれないけれど、観劇偏差値の低い私にはそれもなかなか難しい。

先に原作を読むという予習の功罪を考えさせられた観劇体験となりました。

2018年2月 8日 (木)

FUN HOME ファンホーム 2/7 19:00

@シアタークリエ
8列目 センターブロック

アリソン(現在・43歳):瀬奈じゅん
ブルース(父):吉原光夫
アリソン(大学生・19歳):大原櫻子
ヘレン(母):紺野まひる
ロイ、ペート、ボビー・ジェレミー:上口耕平
ジョーン:横田美紀
アリソン(小学生・10歳):☆笠井日向・龍杏美(Wキャスト)
クリスチャン(アリソンの1歳下の弟):☆楢原嵩琉・若林大空(Wキャスト)
ジョン(アリソンの4歳下の弟):☆阿部稜平・大河原爽介(Wキャスト)

原作:アリソン・ベクダル
作曲:ジニーン・テソーリ 脚本・作詞:リサ・クロン
翻訳:浦辺千鶴 訳詞:高橋亜子
演出:小川絵梨子

『FUN HOME』というタイトルだけ見ると、「狭いながらも楽しい我が家〜♪」(「私の青空」=My Blue Heavenより)とでも口ずさみたくなるところですが、この『FUN HOME』は、直接的には主人公の家族が営む葬儀社(FUNERAL : 葬儀)の建物のことを指している。

"FUN"という英単語を調べてみると、(戯れに身につける宝石やアクセサリーなどに用いて)"イミテーションの"という意味もあるようです。

主人公の母にしてみれば、ゲイの夫と築く夫婦生活、家族という形がイミテーションだったのだろうし、父・ブルースがお屋敷に手を入れてどんなに綺麗にしても、それは古き良き時代の風情とは違うもの。
FUN HOMEとは、いわばイミテーションの家族が住むイミテーションの入れ物という皮肉なのかもしれません。

しかし父親がゲイであるという"FUN" =冗談のような家でもあるのと同時に、子ども時代の" FUN " =主人公が父親と飛行機遊びをした楽しい思い出のある家でもあるのだとも思います。HOME、それは実体としての家だけではなく、心の中にある場所の記憶とも言えるのではないでしょうか。

父親は43歳で自殺。
その43歳になった漫画家である主人公アリソンが、子ども時代、レズビアンだとハッキリと自覚した大学生時代を行き来しつつ、ゲイである父親とレズビアンである自分とは共有した数々の経験があり、2人には確かに通じ合うものがあったことを振り返りながら、自分が父の死の引金をひいてしまったのではないか、彼はなぜ死を選んだのかを描くという形で物語は進んでいきます。

その過程はアリソン自身のカウンセリングのようだと感じました。カウンセラーに話すように、悩みや葛藤も包み隠さず漫画の中に描く。それならば、もしかしたらブルースが家を綺麗に飾り立てたのも自分の心の内を吐き出す手段だったのかもしれないとも思いました。"美"こそが自分を救ってくれるもの、裏切らないもの、味方でいてくれるもの。

ブルースは高校教師で、お屋敷の中には壁いっぱいの本のある部屋があり、いつも本を読んでいた。
『FUN HOME』の原作コミックスは、その中で膨大な文学作品が取り上げられていて、それが父親とアリソンを繋ぐものだったりするのだけれど、私は英米文学を通ってきていないので、アメリカ人が持つ"共通感覚" "共通言語"みたいなものを近くに感じられず、読み通すのに苦労しました。
ミュージカルではそこを極力削いでありましたが、今度は演劇的な"共通言語"を翻訳する能力がないために、内容を理解できているとは言えません。

なぜ、ブルースが自殺するに至ったのか、原作を読んでいても、1回目の観劇ではわかりませんでした。

誰かが自分のことを分かってくれる、自分はあの人のことを分かってあげられるかもしれない。
相手を失ったときの喪失感や無力感は、自分の身体を傷つけられるよりも強くその人を痛めつけることもある。アリソンとブルースは、親子である以前にソウルメイトだったのだと思いました。

43歳のアリソンを瀬奈じゅんさん、大学生のアリソンを大原櫻子ちゃん、10歳のアリソンを笠井日向ちゃんが演じました。3人で1人の人物だけれど、大学生のアリソンの中に10歳のアリソンがいて、10歳のアリソンの中に43歳のアリソンの欠片が見え隠れしたり。

日向アリソンは明るく瑞々しく、ドレスを着るのがイヤな女の子、ジーンズを履いて男性のような恰好をしていたトラックドライバーの女性に憧れた女の子を好演。光夫さんの次に歌の量が多いのでは?という大活躍で、パパはどこか普通とは違って、でも自分とは何か特別な関係性があるような…という微妙な感覚を表現していたと思います。

ついに自分がレズビアンだと覚醒し身体的な性の悦びを発見する櫻子アリソンのコケティッシュだけれど潔い弾けっぷりが印象的。恋人となるジョーン役の横田美紀ちゃんの気風の良さがとてもかっこよくて、私まで惚れそうに。そりゃアリソンやられちゃいますって。

43歳アリソンが多用する「補足説明!」は、原作コミックスでコマの上部にあるキャプションのこと。彼女が思い出しながら漫画を描いているから。
昔を思い出して懐かしむように2人のアリソンを眺めたり、状況を説明したり、時には失態に焦ったり、ほぼ相手と向き合わず芝居を続けなければならない難役。
カミングアウトしてから20年も経てば、レズビアンであるということは自分であることであって、ことさらに口調や言葉遣いを他の女性とは違うように強調させず、瀬奈さんのアリソンは落ち着いたオトナっぽさがあって素敵でした。
でも、父親の死の真相に迫るときには、このカウンセリングも役に立たない。

ブルースがアメリカの片田舎で、美しい家に住み、仕立ての良さそうなシャツを着て、小難しい本を読み、ときどき家族に向かって当り散らす様子は、小さな選民思想をこじらせているよう。
それはある意味、 家の外ではひたすらに生きづらい人生なのだろうと感じさせます。男の子( 2役とも耕平くん)と会話や視線を交わすときに浮かべる恍惚の表情はまるで違う人間みたいにも見えました。
高校教師の傍ら、家業である葬儀社も継いでいる。多くの死と接してきた彼にとって、自ら死を選ぶということはどのような意味があるのでしょうか。

私は他の国で先行上演された舞台について、曲などの情報はあえて追いかけないタイプなのですが、この作品のポップな演出に少しビックリしました。原作の色をグレーとするなら、いきなりピンクとかイエローとかで塗り変えられた感じ。
突然のJackson 5、突然の「Fabulous Baby (リプライズ)」(違)に面食らったりもしましたが、あの原作をこうアレンジするのか!という驚きと戸惑いとともに演劇の自由度も感じました。前述したように、その"共通言語"の翻訳ソフトがポンコツなので、その面白さを享受できているとは言い難いのですが。

瀬奈さん、光夫さん、耕平くんが揃うとどうしても日本版初演『シスターアクト』が頭に浮かんできてしまうのが困りもの。この作中に出てくる人名1つで意識がすっかりそちらに持って行かれてしまったり、光夫さんの口から「銀食器」という単語が出ただけで思わず吹き出しそうになってしまうということは、集中力の問題か…。

1 回の鑑賞では分からなかったところ、 受け止めきれなかったところが、 ジワジワ分かるようになっていければいいのだけれど。 観劇偏差値を上げたいなあ。





2017年12月 8日 (金)

上口耕平LIVE vol.1『GOLD EXPERIENCE』

@Mt. RAINER HALL SHIBUYA
PLEASURE PLEASURE
1階D列

上口耕平(vo, dance) 堀倉彰(pf)
guest: 穴沢裕介

・It's my own(オリジナル/作曲: 伊藤靖浩)
・Call Me(『スーザンを探して』)
・Body and My Soul(『ALTER BOYZ』)
・Not My Father's Son *穴沢裕介ソロ(『キンキーブーツ』)

・Mes Mains(シャンソン)
・マダムヴォルフのコレクション(『エリザベート』)
・I Could Be A That Guy(『シスターアクト』)
・しあわせ(『Color of Life』)
・Let's Face The Music And Dance(『I Love A PIANO』)
<*穴沢裕介ソロダンス 「Y」C&K>
<*上口耕平 DEVAKINGSのダンス>
<クラーキーのピアノで盛り上げようのコーナー>
・Where's The Girl(『スカーレット・ピンパーネル』)
・The Proposal〜The Night Was Alive(『タイタニック』)
・Luck Be A Lady(『ガイズ&ドールズ』)
・Seven And A Half Cent(『パジャマ・ゲーム』)
・心の瞳(合唱曲/坂本九)
En
・GOLD EXPERIENCE(オリジナル)
*順番・表記は間違ってるかも....


いつかやってくれるといいな、と思っていたソロライブ。ついに実現しました!
音楽活動をしていない俳優の初ライブって難しいですよね。
出演したミュージカル曲をどのぐらいの割合でやるのか、JーPopとか洋楽のカバー曲は入れるのか、やるとしたらどこらへんをチョイスするのか。
特に耕平くんは「普段、こういう音楽を聴いてるよー♪」ってSNSやブログでアピールするタイプでもないですし。

チャレンジ曲は自分が出演した作品から2曲。
『シスターアクト』のエディが歌う「I Could Be A That Guy」と『スカーレット・ピンパーネル』からショーヴランのソロナンバー「Where' s The Girl」を。
カズさん(石井一孝氏)の役を乗っ取ろうとしているのか?という選曲(笑)

近くでたくさん聴いていたものを自分なりに歌いたいという思いが伝わってきました。
夢の中のエディがめちゃめちゃ踊れるのはご愛嬌。3バカを卒業しても、いつかエディとしてあの作品に帰って来れたら幸せですよね。
耕平くんはファニーで明るいイメージがあるけれど、役者として見たときには『タイタニック』のブライドのような真面目な役柄、『I Love A PIANO』の戦時中のレオンのようなシリアスな状況にも適正があるように感じています。
私はそんなにスカピン自体にはハマれなかったのだけれど、「Where' s The Girl」の切実な恋心は耕平くんに合っているのではないかと思いました。

そして、「Luck Be A Lady」は『パジャマ・ゲーム』で共演した北翔海莉さんが星組トップスター時代に演じていた役ですよね。それと、最近ではクリコレで吉野圭吾さんがパフォーマンスしていたのがとてもかっこ良くて印象的です。
『ガイズ&ドールズ』は見ていないけれど、この曲自体にはダンディなイメージがあるので、耕平くんとゆっけだとまだフレッシュ感が勝っちゃったかなー。でもスーツ&ハットは大好物なので、こういったスタンダードナンバーが似合うような俳優・ダンサーに成熟していくことを期待しています。

夏に1回だけゲスト出演したシャンソンのイベントには行けなかったので、今回聴けてよかったです。
耕平くんはお芝居と歌が直結していて、いわゆる「芝居歌」の側面が強い俳優だと思うのですが、短いドラマのようでもあるシャンソンは相性がいいと思いました。
耕平くんのお芝居は相手のお芝居を受けて返していくというより、まずきっちり自分の中で考えるという部分が大きいように思うのですが、内に貯める感情とその表出という部分で耕平くんの個性を生かせる歌のジャンルなのかもしれません。

でも、次回はJ-popや洋楽のカバーにもチャレンジしてほしいとも思っていたりもして。歌の力を借りて自分自身をもっと見せてもいいんだよー、という意味で。
ソロライブを通して、これから「歌そのもの」を歌えるようになっていくともっとライブも面白くなるはず。


もともと、ゲストはダンスユニットDEVAKINGSの相方・鏑木信三くんの予定だったところ、怪我のためステージには上がれないとのことで『Double Flat』で共演した穴沢裕介くんが引き受けてくれることになったのでした。
ゆっけとのタンゴは、2人でリフトもホールドも見せるダイナミックさがあり、流れるように踊るゆっけとポーズのポジションの美しい耕平くんのペアは息ぴったりというよりもその組み合わせの妙に面白さがあったように思います。

信三くんをロビーで見かけましたが、 アンコールのときの男性の声からすると、 役者仲間や主にダンサーとして活動していた時代の仲間も客席に来てくれていたのでしょうか。

私が耕平くんを知ったのはたまたま見つけたDEVAKINGSの動画でした。
なので、今回、耕平くんだけとはいえ、当時の衣装 (初めて大会に出たときに着たシャツも) でナマでそのダンスが見られた(音源を編集したのは信三くんだそうです)のは興奮しました。
いつかDEVAKINGSをナマで見るのが私の夢。

歌を見せる、ストーリーに華をもたせるシアターダンスではなくて、ダンス自体を味わえるのは、今の耕平くんのポジションではとても貴重。
舞台での活躍が認められるにつれ、それ自体は嬉しいのだけれど、プリンシパルとしては踊らなくなってしまうジレンマがあります。
踊れる人はたくさんいるけれど、(自分にとって)目が惹きつけられるダンサーというのはまた別で、私にとって耕平くんは特別なダンサー。
もちろん大野幸人くんという盟友とともにいろいろ企画していってほしいけれど、それとは別にダンスだけの公演でダンサーとして踊ってほしいという思いもあります。

自分で演奏をしない俳優が観客にライブを楽しんでもらうには、やりたいことを共有できる、そしてもっと良いものを提案してもらえるクリエイターが絶対に必要で、耕平くんが作曲の伊藤靖浩さんとピアノの堀倉彰(通称クラーキー)さんに出会えたというのは幸運だと思います。

クラーキーは、右手で「猫ふんじゃった」、左手で「犬のおまわりさん」という一芸を披露したかと思えば、「おもちゃのチャチャチャ」変奏曲の中で、ショパンの「革命のエチュード」から「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ曲に自然にスライドし、さらに右手で「渡る〜」左手で「おもちゃ〜」を弾いてしまうという芸達者ぶり。

伊藤靖浩さんは俳優でもあり、耕平くんの主演作『Color of Life』の作曲者でもありますが、最近では「一人芝居ミュージカル」の主宰としても活躍しています。
客席が数十人の、小さな小さな空間でたった1人によって演じられるミュージカルですが、素敵な企画なのでいつか耕平くんにも挑戦してほしいな。

アンコールにはファンクラブの運営か、それともファンの有志からかはわからないけれど、ペンライトで耕平くんを迎えるというサプライズがあり、 耕平くんの幻のデビュー曲 「GOLD EXPERIENCE」 をスタンディングで。
いつか再販されるといいですよね、 UEGLANDの国歌として(笑)

「GOLD EXPERIENCE」という直球の恥ずかしいタイトル(クラーキー談/笑)のとおり、耕平くんが"経験してきたこと"と、これから"経験したいこと"、それを今、ライブでやってみるということができたのは、耕平くんにとって黄金の体験になったのではないでしょうか。
たった1人、上ロ耕平としてステージに立つということ。

1 回やってみて、 耕平くん自身にもまたやってみたいことが出来たと思うし、 観客も 「今度はあんなものにも挑戦してほしいよね」 といった気持ちも沸いてきたと思います (っていうか、 私それしか書いていないような気がする・・・)。 これが始まり。

いろいろ拙いところもあったけれど、「(今この場を)一緒に楽しみましよう」だけじゃなくて(それはもちろん重要だけど)「これからの上ロ耕平をワクワクしていただけるような」っていう気持ちを伝えてくれたのはとても嬉しかったです。
これから先を応援していくのが楽しみになりました。

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