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上口耕平

2018年6月 4日 (月)

DAY ZERO 5/31 19:00〜

青山DDDクロシスアター
C列センター

弁護士 ジョージ・リフキン: 福田悠太(ふぉ〜ゆ〜)
タクシードライバー ジェームス・ディクソン: 上口耕平
小説家 アーロン・フェラー: 内藤大希
パトリシア ほか: 梅田彩佳
モリー・リフキン ほか: 谷口あかり
カウンセラー ほか多数: 西川大貴

Based on the screenplay DAY ZERO by Robert Malkani
上演台本: 高橋知伽江
作曲・音楽監督: 深沢桂子
演出: 吉原光夫
ギター演奏: 中村康彦

カオスだと思ったメロディーも、2回目だと身体に入ってくる箇所もあったのは収穫。

東京公演初日前の取材では、この作品で描かれる近未来は2020年だと明かされていました。
劇中に「明日は昨日の続きだと信じて 今日を生きてきた」(意訳)というような歌詞があります。
2020年は2018年の続き。
それなら、せめて2010年代の政治の動きを踏まえたものにならなかったのでしょうか。

トランプ政権の任期は2021年1月までなので、2020年は大統領選真っ只中ということになります。
その話題がいっさい出てこないというのは、アメリカ社会を描くうえで、あまりにも不自然ではないかと思うのです。

原作の映画ではどう描かれているのかわかりませんが、2008年に上映された近未来の姿は2018年ではすでに過去のものになってしまっているような気がします。
ゲイやレズビアンのアスリートがオリンピックで活躍し、大物映画プロデューサーへのセクハラ告発に端を発する #Metoo ムーブメント全盛の今、彼らの思考・行動が時代遅れの感が否めないのです。

2020年という近未来にすることによって、自分たちに身近な話題となるはずなのに、2018年までが描かれていないのでこれが2020年である必要がないんですよね。
本当に徴兵制があった第二次世界大戦でもベトナム戦争でも描ける話。

決められたDAY ZEROまでどう過ごすか。
20年来の彼らの友情、それぞれが守りたいもの、やりたいこと、見つけたもの。残してきた過去と向き合うこと。
それがこの作品で描きたかったことだと思うし、伝わってはくるけれど、”現代があっての近未来”という前提がすっぽ抜けているので、状況が上滑りしてしまっているように感じてしまうのです。

1時間40分強の作品ですが、もう少し時間を伸ばしてでも彼らを取り巻く”社会”を描いて欲しかったように思います。

2018年5月27日 (日)

DAY ZERO プレビュー公演 5/26 15:00〜

@水戸芸術館 ACM劇場
S席 2階A列センター

弁護士 ジョージ・リフキン: 福田悠太(ふぉ〜ゆ〜)
タクシードライバー ジェームス・ディクソン: 上口耕平
小説家 アーロン・フェラー: 内藤大希
パトリシア ほか: 梅田彩佳
モリー・リフキン ほか: 谷口あかり
カウンセラー ほか多数: 西川大貴

Based on the screenplay DAY ZERO by Robert Malkani
上演台本: 高橋知伽江
作曲・音楽監督: 深沢桂子
演出: 吉原光夫
ギター演奏: 中村康彦

設定は召集年齢が35歳まで引き上げられ徴兵制が復活した近未来のアメリカ。
それぞれ別の道に進んだ中学生の同級生で今でも毎週末のように集まる34歳の3人に召集令状が届くことからこの物語は始まります。

DAY ZERO、それは出征する当日。
残されたタイムリミットは21日。
彼らはその期間で今までどうやって生きてきたかを突きつけられ、今の自分と向き合い、どうやって生きていきたいかを考えるようになる。

召集令状を受け取った瞬間、それは耕平くんが出演した『I Love A PIANO』でも描かれました。あれは第2次世界大戦でしたが。
それから、ベトナム戦争の出征前日を描いたミュージカル『ドッグファイト』も頭に浮かんできます。
どちらもアメリカを描いている作品。

単純化できる(してはいけない)話ではないけれど、第2次世界大戦では、連合国側の敵(ドイツ、イタリア、アメリカに宣戦布告した日本)に対する”正義”という大義名分があったのだろうし、ベトナム戦争は、当初はアメリカの圧倒的有利と言われていたこと、また『ジャージー・ボーイズ』でトミーが言うように、自分の境遇から抜け出す手段のひとつにもなっていたのでしょう。

20世紀に多くの戦争・紛争を体験してきた人々は、極力それらを避けるように努力してきたはず。

しかし、2001年9月11日を経た近未来のアメリカ。
召集令状を受け取ったタクシードライバーのジェームスは「自由」のために戦うと言うけれど、それは何のための自由で誰のための自由なのか。
ミサイルのアラートが鳴り、自国の安全が自国を飛び越えた国の間で協議される(だろう)2018年の日本にいる私にはそれが分かりません。これが平和ボケと言うのかもしれません。

彼らは、3人の青年は、自分らしくある自由を奪われたのではないのか。
守るべき大切な生活、初めて心が通じ合えた愛しい人、夢…それらをいきなり打ち切られることが果たして正しいことなのでしょうか。
彼らの21日間、私には何か間違ったもののために無理やり動かされているように見えました。


原案になった映画は11年前に公開されたものだそうですが、このミュージカルは近未来という設定なのに、人物描写やエピソードがなんだか古臭く感じてしまいました。
日本で言うところの”昭和かよ”みたいな(アメリカだけど)

弁護士のジョージについて、嫌悪感を抱いてしまう描写がいくつかあるのです。Metooムーブメントが盛んな今、ジョージが犯した過去の過ちについて触れることは、フィクションとはいえ、とてつもなく気持ち悪い思いがします。
彼の行動は被害者が何も救われない”謝罪オナニー”にしかなっていないのではないかと思うし、それに対してジェームスが返す言葉も被害者に対する視点が欠けていて「それはないだろう」という怒りの感情が湧いてきてしまいます。

そして、ハーバードを出て弁護士をしているという設定なのに、LGBTに対する認識はそんなものなのかという驚きというか落胆というか、違和感があります。

多くのセレブリティ、スポーツ選手、政治家がLGBTの権利を主張しているアメリカという国の法の下で働くジョージが、人のプライバシーや性的志向を踏みにじる行為をするということにおぞましささえ感じます。

極限状態になった人間は何をするのか分からない。それはそうかもしれないけれど、このような思考を持った人間が弁護士をしているということに、この作品の主題とはズレますが、絶望してしまいました。

アメリカの国防総省はオバマ前大統領下の2016年6月30日にトランジェンダー(心と体の性の不一致)の人々の米軍入隊規則を撤廃しました。
しかし、17年7月、新しく就任したトランプ大統領が、彼らの入隊を禁止しようとするツイートを更新し、18年3月には、軍務に就くことを一部の例外を除き禁じる方針を発表しています。

近未来は東京五輪より先に設定されているような台詞がありました。
それならば、あの時代は今のトランプ政権の流れを汲んだ思想に支配されているのでしょうか。
西川くん演じる人物の悲壮な様子に胸が痛みます。

先ほど、未来のはずなのに古く感じてしまうと書きましたが、時代全体が戻ろうとしていることを表しているのでしょうか。


性格も職業も環境も違う3人は、ただの仲良しではなく、2人はジェームスに、ジェームスは2人に、それぞれに”借り””恩”があるという、ジェームスを中心にしたバランスで成り立っている。
過酷な少年時代を過ごしたジェームスを助けてくれた2人のためにヒーローでいたいジェームスの思いは、友情というより自己犠牲で、彼は自分が2人よりも幸せになってはいけないと思っているようなフシがある。
なんというか、救われた命を他人のために使う、ジャン・バルジャンのようにも思えます。

バルジャンはコゼットをマリウスに託し命を終えますが、ジェームスはパトリシアを残して戦地に赴かなければなりません。彼女と過ごすことによって得られた安らぎも希望も気づきも捨てて。

ジェームスが21日間の間に見つけたものは、それまで手に入れられなかったもの。
耕平くんと梅田彩佳ちゃん(梅ちゃん)の繊細なやり取りはとても素敵でした。光と陰のような2人だからこそ惹かれあったのだということが伝わってきたと思います。
それにしても、演出のときの光夫さんってロマンチストだなぁ。

一方、アーロンは、カウンセラーから21日間でやりたいことの「トップ10」を作るといいとアドバイスをされ、今までやりたかったけれど踏み出せなくて出来なかったことをこなしていく。本当にやらなければならないことを避けながら。

ジェームスに言われるまでもなく、彼はやらなければならないことは分かっていたのだと思う。危ない薬に手を染めるほどに。
ジェームスがどんなに願っても手に入れられないもの。それを手放してはならない、自分のせいで手放してほしくない、そんな思いで突き放してしまうけれど、アーロンは絶望感を募らせていく。

内藤大希くん、前半はストーリーテラーというか状況説明のような役割を果たしながら、後半にかけて精神状態が狂っていく役でしたが、上手いなぁと驚嘆してしまいました。
アーロンが一人でいる時間に何を考えていたかという空白をきちんと埋められるお芝居の力が素晴らしい。

“Wたいき”ががっつり絡むカウンセリングソングは、西川くんの役が『Next to Normal』で新納くんが演じた精神科医を彷彿とさせます。あちらはロックで今回はフラメンコでしたが(笑) 西川くん、怪演です。

内藤大希くんと西川くんは子ども時代からの知り合いだけれど、板の上で共演するのは初めてなのだとか。

西川くんは、カウンセラー以外にもジョージの父親や部下、レポーターなど多くの役を兼任します。これは『ドッグファイト』の戸井さん(初演)やひのさん(再演)的な立ち位置ですよね。
後ろを向いてすぐに別の役として喋るなど、休憩なしの100分の中でスイッチをいくつも切り替え、また、ほかの3人に影響を与えるように台詞を投げなければならないという難しい役割に挑戦しています。

特筆すべきなのは、谷口あかりちゃんでした。
ジョージに関わる2人の女性を演じているのですが、彼に人生を救われた女性と彼(だけではないけれど)に人生を狂わされた女性という両極端な役柄を、どちらも的確に舞台上に立ち上らせていました。
また、全体的にメロディが難解というか、耳触りとしてはつかみどころのない曲調を歌詞とともにしっかり伝える力量にも圧倒されました。

最近、役者さんの中からも「ミュージカルは芝居だ」という論調をよく見かけます。
それに異論はないけれど、ミュージカルという”方法”を用いるならば、歌を通して心情を分かりやすく伝えるために、いくつかは劇場を去るときに頭の中に流れるようらキャッチーな曲がほしいところです。カオス感を表現するための不協和音の連続ははっきり言ってキツいものがありました。
また、耕平くんと梅ちゃん、福田くんが揃ってるのに踊らないっていうのがとにかくもったいない。
ダンスで伝えることもミュージカルのひとつの魅力だと思うのですが。

最後に、20年来の親友たちなのにファミリーネームで呼んでいた(ディクソン呼び)ところと、アメリカではサーティワンはサーティワンとは言わないはず(バスキン・ロビンスという正式名称がある)だというのがどうも引っかかってしまって…。
特に人の呼び方は関係性の距離を表すものだから、ファーストネームで呼ぶべきではないでしょうか。
(ビジネスだって、数回やり取りすればメールはファーストネームで送られてくるわけだし)
神は細部に宿って欲しい。

本公演での変化を期待します。



2018年2月19日 (月)

FUN HOME ファンホーム 2/17 13:30

@シアタークリエ
4列目 センターブロック

アリソン(現在・43歳):瀬奈じゅん
ブルース(父):吉原光夫
アリソン(大学生・19歳):大原櫻子
ヘレン(母):紺野まひる
ロイ、ペート、ボビー・ジェレミー:上口耕平
ジョーン:横田美紀
アリソン(小学生・10歳):笠井日向・☆龍杏美(Wキャスト)
クリスチャン(アリソンの1歳下の弟):楢原嵩琉・☆若林大空(Wキャスト)
ジョン(アリソンの4歳下の弟):阿部稜平・☆大河原爽介(Wキャスト)

原作:アリソン・ベクダル
作曲:ジニーン・テソーリ 脚本・作詞:リサ・クロン
翻訳:浦辺千鶴 訳詞:高橋亜子
演出:小川絵梨子


少し時間を空けて、『FUN HOME』2回目を見てきました。
ブルースが生まれ育った時代、そして生まれ育ったアメリカの田舎町という環境だったからなのかもしれないけれど、彼は同性愛者であるということを"欠陥"だと思っていて、美意識を高めることで完璧な人間になれると信じて、読書や美しいものに触れることでその"欠陥"を埋めようとしたのではないかと思いました。

周囲から"あんなに素敵な家に住んでいるブルース・べクダルは素晴らしい人間だ"という賞賛を得られる。"欠陥"に目を向けられず自分を誇示できる。
家を装飾することはブルースにとって自分を守る要塞を築くことだったのかもしれません。

その要塞は、ブルースの"異変"に気がついていたヘレンの献身によって守られていた。
「ようこそ自慢の我が家へ とてもピカピカでしょう 調和が取れていて (いつも穏やかでしよう)」の空々しさが哀しい。

ブルースは娘とどこか通じ合う嬉しさもあったけれど、「ドレスがイヤ、髪留めがイヤ」という、子ども時代のアリソンの"そういう兆候"を矯正しようとしたし、手紙でレズビアンだとカミングアウトしたときも「決めつけなくてもいい、あいまいなままでもいいじゃないか」と答えている。
その言動はブルースにとって、同性愛者であることが負い目であり、苦しみでもあったからという表れなのでしょう。
昔見かけたカッコいい女性の存在がアリソンにとっては"仲間"を見つけた一種の希望となっていて、大学時代にレズビアンだと自覚したことに戸惑いはしていたけれど絶望はしていないのがブルースの在り方と対照的でした。

ちびアリソンが、カッコいい女性が持っていたキーホルダーの束に注目するのは、自分の中にある、閉じ込められていた本物の気持ちの鍵を開けられたのと同時に、これから「あなたがレズビアンとして開く扉はたくさんあるよ」という明るい福音を見出したからというようにも思えます。

そして、時は経ち、カミングアウトしたアリソンはジョーンという理解者を連れて実家に帰ってくる。
ブルースは聡明なジョーンのことを気に入るし、アリソンは(表面上は)自分のように深刻に受け止めているようでもなく、今まで通り変わらないように見える。
そんなアリソンたちを見て、ブルースは自分の人生がわからなくなってしまったのではないでしょうか。
例えばロイのような存在はいても、身体だけではなく心から通じ合う理解者はいなかった。
文学の中に安らぎや共感を求め、要塞を頑丈に(=美しく)したのに、それは必要なかったのかもしれないという気づき、人生への否定。

そうして、改築中の家を放り出して、自らの意志で人生を終わらせてしまったのかなと思いました。

アリソンは父の自殺の(直接的ではないけれど)原因はおそらく自分にあったのだと心の奥では気がついていて、その中で自分と父との間には「特別な絆」や「楽しい思い出」があったことを確かめたかったのかもしれない。
飛行機遊びをしてもらっているときに、完璧なバランスが取れることがあったように。


生身の人間が演じる、ということは、そこに体温が生まれる、ということ。
英米文学作品の洪水にひいひい溺れながらも原作コミックスを読んだとき、自分の読書の苦しみとは別に、作品全体からはひんやりした手触りというか、低温状態で保たれた研究室の中にいるような気分になったのを覚えています。

『FUN HOME』を客席から見ていて、感情という熱量が自分の想像以上に、予想外の場所から自分にぶつかってくるっていうことが驚きというか不思議な感覚で、作品自体を素直に受け取れていないという思いがあります。あらかじめ自分が思い描いていたテンションとの落差についていけない、といいますか。

舞台を見るということは、演出、役者というフィルターを通して物語を見ることになるのだから、原作とは別物と考えなければならないとも思うのですが、自分にとって "人間が演じることのリアルさ"ではなく、逆に"嘘くささ"を感じることになってしまいました。
むしろ"お芝居は全部嘘"なのだから、それを楽しむべきものなのかもしれないけれど、観劇偏差値の低い私にはそれもなかなか難しい。

先に原作を読むという予習の功罪を考えさせられた観劇体験となりました。

2018年2月 8日 (木)

FUN HOME ファンホーム 2/7 19:00

@シアタークリエ
8列目 センターブロック

アリソン(現在・43歳):瀬奈じゅん
ブルース(父):吉原光夫
アリソン(大学生・19歳):大原櫻子
ヘレン(母):紺野まひる
ロイ、ペート、ボビー・ジェレミー:上口耕平
ジョーン:横田美紀
アリソン(小学生・10歳):☆笠井日向・龍杏美(Wキャスト)
クリスチャン(アリソンの1歳下の弟):☆楢原嵩琉・若林大空(Wキャスト)
ジョン(アリソンの4歳下の弟):☆阿部稜平・大河原爽介(Wキャスト)

原作:アリソン・ベクダル
作曲:ジニーン・テソーリ 脚本・作詞:リサ・クロン
翻訳:浦辺千鶴 訳詞:高橋亜子
演出:小川絵梨子

『FUN HOME』というタイトルだけ見ると、「狭いながらも楽しい我が家〜♪」(「私の青空」=My Blue Heavenより)とでも口ずさみたくなるところですが、この『FUN HOME』は、直接的には主人公の家族が営む葬儀社(FUNERAL : 葬儀)の建物のことを指している。

"FUN"という英単語を調べてみると、(戯れに身につける宝石やアクセサリーなどに用いて)"イミテーションの"という意味もあるようです。

主人公の母にしてみれば、ゲイの夫と築く夫婦生活、家族という形がイミテーションだったのだろうし、父・ブルースがお屋敷に手を入れてどんなに綺麗にしても、それは古き良き時代の風情とは違うもの。
FUN HOMEとは、いわばイミテーションの家族が住むイミテーションの入れ物という皮肉なのかもしれません。

しかし父親がゲイであるという"FUN" =冗談のような家でもあるのと同時に、子ども時代の" FUN " =主人公が父親と飛行機遊びをした楽しい思い出のある家でもあるのだとも思います。HOME、それは実体としての家だけではなく、心の中にある場所の記憶とも言えるのではないでしょうか。

父親は43歳で自殺。
その43歳になった漫画家である主人公アリソンが、子ども時代、レズビアンだとハッキリと自覚した大学生時代を行き来しつつ、ゲイである父親とレズビアンである自分とは共有した数々の経験があり、2人には確かに通じ合うものがあったことを振り返りながら、自分が父の死の引金をひいてしまったのではないか、彼はなぜ死を選んだのかを描くという形で物語は進んでいきます。

その過程はアリソン自身のカウンセリングのようだと感じました。カウンセラーに話すように、悩みや葛藤も包み隠さず漫画の中に描く。それならば、もしかしたらブルースが家を綺麗に飾り立てたのも自分の心の内を吐き出す手段だったのかもしれないとも思いました。"美"こそが自分を救ってくれるもの、裏切らないもの、味方でいてくれるもの。

ブルースは高校教師で、お屋敷の中には壁いっぱいの本のある部屋があり、いつも本を読んでいた。
『FUN HOME』の原作コミックスは、その中で膨大な文学作品が取り上げられていて、それが父親とアリソンを繋ぐものだったりするのだけれど、私は英米文学を通ってきていないので、アメリカ人が持つ"共通感覚" "共通言語"みたいなものを近くに感じられず、読み通すのに苦労しました。
ミュージカルではそこを極力削いでありましたが、今度は演劇的な"共通言語"を翻訳する能力がないために、内容を理解できているとは言えません。

なぜ、ブルースが自殺するに至ったのか、原作を読んでいても、1回目の観劇ではわかりませんでした。

誰かが自分のことを分かってくれる、自分はあの人のことを分かってあげられるかもしれない。
相手を失ったときの喪失感や無力感は、自分の身体を傷つけられるよりも強くその人を痛めつけることもある。アリソンとブルースは、親子である以前にソウルメイトだったのだと思いました。

43歳のアリソンを瀬奈じゅんさん、大学生のアリソンを大原櫻子ちゃん、10歳のアリソンを笠井日向ちゃんが演じました。3人で1人の人物だけれど、大学生のアリソンの中に10歳のアリソンがいて、10歳のアリソンの中に43歳のアリソンの欠片が見え隠れしたり。

日向アリソンは明るく瑞々しく、ドレスを着るのがイヤな女の子、ジーンズを履いて男性のような恰好をしていたトラックドライバーの女性に憧れた女の子を好演。光夫さんの次に歌の量が多いのでは?という大活躍で、パパはどこか普通とは違って、でも自分とは何か特別な関係性があるような…という微妙な感覚を表現していたと思います。

ついに自分がレズビアンだと覚醒し身体的な性の悦びを発見する櫻子アリソンのコケティッシュだけれど潔い弾けっぷりが印象的。恋人となるジョーン役の横田美紀ちゃんの気風の良さがとてもかっこよくて、私まで惚れそうに。そりゃアリソンやられちゃいますって。

43歳アリソンが多用する「補足説明!」は、原作コミックスでコマの上部にあるキャプションのこと。彼女が思い出しながら漫画を描いているから。
昔を思い出して懐かしむように2人のアリソンを眺めたり、状況を説明したり、時には失態に焦ったり、ほぼ相手と向き合わず芝居を続けなければならない難役。
カミングアウトしてから20年も経てば、レズビアンであるということは自分であることであって、ことさらに口調や言葉遣いを他の女性とは違うように強調させず、瀬奈さんのアリソンは落ち着いたオトナっぽさがあって素敵でした。
でも、父親の死の真相に迫るときには、このカウンセリングも役に立たない。

ブルースがアメリカの片田舎で、美しい家に住み、仕立ての良さそうなシャツを着て、小難しい本を読み、ときどき家族に向かって当り散らす様子は、小さな選民思想をこじらせているよう。
それはある意味、 家の外ではひたすらに生きづらい人生なのだろうと感じさせます。男の子( 2役とも耕平くん)と会話や視線を交わすときに浮かべる恍惚の表情はまるで違う人間みたいにも見えました。
高校教師の傍ら、家業である葬儀社も継いでいる。多くの死と接してきた彼にとって、自ら死を選ぶということはどのような意味があるのでしょうか。

私は他の国で先行上演された舞台について、曲などの情報はあえて追いかけないタイプなのですが、この作品のポップな演出に少しビックリしました。原作の色をグレーとするなら、いきなりピンクとかイエローとかで塗り変えられた感じ。
突然のJackson 5、突然の「Fabulous Baby (リプライズ)」(違)に面食らったりもしましたが、あの原作をこうアレンジするのか!という驚きと戸惑いとともに演劇の自由度も感じました。前述したように、その"共通言語"の翻訳ソフトがポンコツなので、その面白さを享受できているとは言い難いのですが。

瀬奈さん、光夫さん、耕平くんが揃うとどうしても日本版初演『シスターアクト』が頭に浮かんできてしまうのが困りもの。この作中に出てくる人名1つで意識がすっかりそちらに持って行かれてしまったり、光夫さんの口から「銀食器」という単語が出ただけで思わず吹き出しそうになってしまうということは、集中力の問題か…。

1 回の鑑賞では分からなかったところ、 受け止めきれなかったところが、 ジワジワ分かるようになっていければいいのだけれど。 観劇偏差値を上げたいなあ。





2017年12月 8日 (金)

上口耕平LIVE vol.1『GOLD EXPERIENCE』

@Mt. RAINER HALL SHIBUYA
PLEASURE PLEASURE
1階D列

上口耕平(vo, dance) 堀倉彰(pf)
guest: 穴沢裕介

・It's my own(オリジナル/作曲: 伊藤靖浩)
・Call Me(『スーザンを探して』)
・Body and My Soul(『ALTER BOYZ』)
・Not My Father's Son *穴沢裕介ソロ(『キンキーブーツ』)

・Mes Mains(シャンソン)
・マダムヴォルフのコレクション(『エリザベート』)
・I Could Be A That Guy(『シスターアクト』)
・しあわせ(『Color of Life』)
・Let's Face The Music And Dance(『I Love A PIANO』)
<*穴沢裕介ソロダンス 「Y」C&K>
<*上口耕平 DEVAKINGSのダンス>
<クラーキーのピアノで盛り上げようのコーナー>
・Where's The Girl(『スカーレット・ピンパーネル』)
・The Proposal〜The Night Was Alive(『タイタニック』)
・Luck Be A Lady(『ガイズ&ドールズ』)
・Seven And A Half Cent(『パジャマ・ゲーム』)
・心の瞳(合唱曲/坂本九)
En
・GOLD EXPERIENCE(オリジナル)
*順番・表記は間違ってるかも....


いつかやってくれるといいな、と思っていたソロライブ。ついに実現しました!
音楽活動をしていない俳優の初ライブって難しいですよね。
出演したミュージカル曲をどのぐらいの割合でやるのか、JーPopとか洋楽のカバー曲は入れるのか、やるとしたらどこらへんをチョイスするのか。
特に耕平くんは「普段、こういう音楽を聴いてるよー♪」ってSNSやブログでアピールするタイプでもないですし。

チャレンジ曲は自分が出演した作品から2曲。
『シスターアクト』のエディが歌う「I Could Be A That Guy」と『スカーレット・ピンパーネル』からショーヴランのソロナンバー「Where' s The Girl」を。
カズさん(石井一孝氏)の役を乗っ取ろうとしているのか?という選曲(笑)

近くでたくさん聴いていたものを自分なりに歌いたいという思いが伝わってきました。
夢の中のエディがめちゃめちゃ踊れるのはご愛嬌。3バカを卒業しても、いつかエディとしてあの作品に帰って来れたら幸せですよね。
耕平くんはファニーで明るいイメージがあるけれど、役者として見たときには『タイタニック』のブライドのような真面目な役柄、『I Love A PIANO』の戦時中のレオンのようなシリアスな状況にも適正があるように感じています。
私はそんなにスカピン自体にはハマれなかったのだけれど、「Where' s The Girl」の切実な恋心は耕平くんに合っているのではないかと思いました。

そして、「Luck Be A Lady」は『パジャマ・ゲーム』で共演した北翔海莉さんが星組トップスター時代に演じていた役ですよね。それと、最近ではクリコレで吉野圭吾さんがパフォーマンスしていたのがとてもかっこ良くて印象的です。
『ガイズ&ドールズ』は見ていないけれど、この曲自体にはダンディなイメージがあるので、耕平くんとゆっけだとまだフレッシュ感が勝っちゃったかなー。でもスーツ&ハットは大好物なので、こういったスタンダードナンバーが似合うような俳優・ダンサーに成熟していくことを期待しています。

夏に1回だけゲスト出演したシャンソンのイベントには行けなかったので、今回聴けてよかったです。
耕平くんはお芝居と歌が直結していて、いわゆる「芝居歌」の側面が強い俳優だと思うのですが、短いドラマのようでもあるシャンソンは相性がいいと思いました。
耕平くんのお芝居は相手のお芝居を受けて返していくというより、まずきっちり自分の中で考えるという部分が大きいように思うのですが、内に貯める感情とその表出という部分で耕平くんの個性を生かせる歌のジャンルなのかもしれません。

でも、次回はJ-popや洋楽のカバーにもチャレンジしてほしいとも思っていたりもして。歌の力を借りて自分自身をもっと見せてもいいんだよー、という意味で。
ソロライブを通して、これから「歌そのもの」を歌えるようになっていくともっとライブも面白くなるはず。


もともと、ゲストはダンスユニットDEVAKINGSの相方・鏑木信三くんの予定だったところ、怪我のためステージには上がれないとのことで『Double Flat』で共演した穴沢裕介くんが引き受けてくれることになったのでした。
ゆっけとのタンゴは、2人でリフトもホールドも見せるダイナミックさがあり、流れるように踊るゆっけとポーズのポジションの美しい耕平くんのペアは息ぴったりというよりもその組み合わせの妙に面白さがあったように思います。

信三くんをロビーで見かけましたが、 アンコールのときの男性の声からすると、 役者仲間や主にダンサーとして活動していた時代の仲間も客席に来てくれていたのでしょうか。

私が耕平くんを知ったのはたまたま見つけたDEVAKINGSの動画でした。
なので、今回、耕平くんだけとはいえ、当時の衣装 (初めて大会に出たときに着たシャツも) でナマでそのダンスが見られた(音源を編集したのは信三くんだそうです)のは興奮しました。
いつかDEVAKINGSをナマで見るのが私の夢。

歌を見せる、ストーリーに華をもたせるシアターダンスではなくて、ダンス自体を味わえるのは、今の耕平くんのポジションではとても貴重。
舞台での活躍が認められるにつれ、それ自体は嬉しいのだけれど、プリンシパルとしては踊らなくなってしまうジレンマがあります。
踊れる人はたくさんいるけれど、(自分にとって)目が惹きつけられるダンサーというのはまた別で、私にとって耕平くんは特別なダンサー。
もちろん大野幸人くんという盟友とともにいろいろ企画していってほしいけれど、それとは別にダンスだけの公演でダンサーとして踊ってほしいという思いもあります。

自分で演奏をしない俳優が観客にライブを楽しんでもらうには、やりたいことを共有できる、そしてもっと良いものを提案してもらえるクリエイターが絶対に必要で、耕平くんが作曲の伊藤靖浩さんとピアノの堀倉彰(通称クラーキー)さんに出会えたというのは幸運だと思います。

クラーキーは、右手で「猫ふんじゃった」、左手で「犬のおまわりさん」という一芸を披露したかと思えば、「おもちゃのチャチャチャ」変奏曲の中で、ショパンの「革命のエチュード」から「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ曲に自然にスライドし、さらに右手で「渡る〜」左手で「おもちゃ〜」を弾いてしまうという芸達者ぶり。

伊藤靖浩さんは俳優でもあり、耕平くんの主演作『Color of Life』の作曲者でもありますが、最近では「一人芝居ミュージカル」の主宰としても活躍しています。
客席が数十人の、小さな小さな空間でたった1人によって演じられるミュージカルですが、素敵な企画なのでいつか耕平くんにも挑戦してほしいな。

アンコールにはファンクラブの運営か、それともファンの有志からかはわからないけれど、ペンライトで耕平くんを迎えるというサプライズがあり、 耕平くんの幻のデビュー曲 「GOLD EXPERIENCE」 をスタンディングで。
いつか再販されるといいですよね、 UEGLANDの国歌として(笑)

「GOLD EXPERIENCE」という直球の恥ずかしいタイトル(クラーキー談/笑)のとおり、耕平くんが"経験してきたこと"と、これから"経験したいこと"、それを今、ライブでやってみるということができたのは、耕平くんにとって黄金の体験になったのではないでしょうか。
たった1人、上ロ耕平としてステージに立つということ。

1 回やってみて、 耕平くん自身にもまたやってみたいことが出来たと思うし、 観客も 「今度はあんなものにも挑戦してほしいよね」 といった気持ちも沸いてきたと思います (っていうか、 私それしか書いていないような気がする・・・)。 これが始まり。

いろいろ拙いところもあったけれど、「(今この場を)一緒に楽しみましよう」だけじゃなくて(それはもちろん重要だけど)「これからの上ロ耕平をワクワクしていただけるような」っていう気持ちを伝えてくれたのはとても嬉しかったです。
これから先を応援していくのが楽しみになりました。

2017年10月13日 (金)

ミュージカル・コメディ「パジャマゲーム」9/25(初日)、10/7、10/12

@日本青年館ホール
9/25 S席1階G列 上手端
10/7 S席1階D列 センター
10/12 S席1階K列 センター

ベイブ・ウィリアムス: 北翔海莉
シド・ソローキン: 新納慎也
グラディス: 大塚千弘 ハインズ: 栗原英雄
プレッツ: 上口耕平 チャーリー: 広瀬友祐
メイベル: 阿知波悟美 ハスラー: 佐山陽規

青山郁代、天野朋子、音花ゆり
弓野梨佳、鈴木結加里、田中里佳
永石千尋、米島史子
青山航士、加藤良輔、神谷直樹
木内健人、工藤広夢、村井成仁

演出: トム・サザーランド
振付: ニック・ウィンストン


今まで日本で上演されたトム・サザーランド演出の『タイタニック』と『グランドホテル』は、限られた空間(船とホテル)と限られた時間(『タイタニック』は出港直前から沈没するまでの5日間、『グランドホテル』はたった一夜)の中での群像劇で、中心となった人物はいたものの、ある意味で主人公はタイタニック号という船であり、ベルリンのグランドホテルという建物でした。

その中で、各々の人物が突然に命を奪われ、愛する人を失い、または、命を輝かせ、恋を成就させ、未来を夢見ていた。

しかし今回の作品は明確に主演2人が設定されており、劇中での時間の経過も詳しくは分からないけれどおそらく何ヶ月かに渡っているので、初見のときは上記の2作品とのギャップに戸惑ってしまったのが正直なところです。

この作品は1955年のトニー賞受賞作品(その後映画化)。
役者が動くことでセットも動かしていくシームレスなトムの演出(特にミシン台を動かしながら歌い踊る女性陣はブラボー!)、フォッシースタイルを踏襲しながら創造性に溢れたニックの振付、そして曲を今の感覚に合うようにアレンジした島健さんの音楽という、イギリスと日本の才能のコラボレートが、アメリカの古いミュージカルを2017年に日本で上演することを可能にしました。

船が沈むようなこともホテルで人が銃殺されるような悲劇も起きないハッピーな作品を選んだと、トムさんが初日の挨拶でもおっしゃっていたけれど"ミュージカル・コメディ"と冠されているように、楽しい作品だと思います。

でも、ストーリー展開はゆるいし、演出はスピーディなのに話自体のスピード感はないのです。1曲ごとが長く、それはダンスシーンとしては見どころがあり楽しいのですが、ある意味「はい、ここはお楽しみナンバーですよー!」という唐突さでもあり、脚本自体の古さはどうしようもない、というか…。だからとにかく感想をまとめるのが難しくて。



<ネタバレしますよー>



ストーリー的にどうしても納得できないのは、実際、社長が不正をしていたのに、会社側はそれを黙って「組合側が遡っての要求を破棄すれば(これからの) 7セント半の賃上げを飲む」と妥協案を出しているのであって、組合側が勝ったのではないんですよね…っていうか、むしろ組合には社長の不正を伝えられていないぶん、騙されていますよね?

だから「私は分かる、私たちは勝ったのよ!」というべイブのセリフにものすごく違和感があるんですよ。だって、観客は社長が不正を行ったことを知っているから。
コメディだから、あそこで喜ぶ労働者を見て笑ってくださいってことなのでしょうか?それはちょっと彼ら(工場の人たち)がかわいそう。

それなら、不正を見抜いたシドが社長になってフィナーレを迎えるというルートも面白いんじゃないかな〜と思うのですが、1950年代のアメリカではそういったやり方は好まれなかったのかな…。

さて、冒頭、栗原英雄さん演じるハインジーが「この作品にはシンボリズムがいっぱいです」とエクスキューズをします。しかし、そのエクスキューズを覆すような描写もところどころ織り交ぜているのも面白い。

シンボリズム=象徴主義ですが、私的には「お約束事」と受け取りました。
「お約束事」には、ミュージカルとしての「お約束事」と一般的な「お約束事」2つの面があり、ハインジーは工場の時間管理責任者でありながら劇中で起こることをナビゲートしていきます。

例えば、見目麗しい2人の男女(べイブとシド)がキャスティングされたら、その2人は恋仲になる。そしてライバルのポジションは主人公よりグラマーでセクシーでちょっと頭が足りないかな?という女性(グラディス)。これは「お約束事」。
でも、この『パジャマゲーム』の中でいちばんしたたかで、むしろこの賃上げ闘争のロ火を切ったのは会社の裏事情を知っているグラディスではないか、と。彼女は切れ者。

帳簿をシドのオフィスに置きっぱなしにしたのは、シドを焚きつけて真相まで辿りつけるようにするため。それをカムフラージュするための「鍵」の演技だと思うのですが、真相はどうなんでしょう?

また、かわいい主人公に片思いする報われない男性の存在ももちろん「お約束事」 。
本人も仕事熱心で自分の仕事ぶりも評価してくれるシドに良い感情を抱き、べイブとシドの恋を応援するという、広瀬くんチャーリーの切ない演技はとてもよかった。
でも!!「なんで」チャーリーがべイブのことを好きか、べイブの「どんなところ」が好きかっていうことが伝わってこなかったんですよね。

べイブが苦情処理委員としてシドのオフィスに出向き、2人は恋に落ちる。

私が恋をしたら叫ぶわーと歌う(メイ「もう叫んでるじゃない」で、え、そうなの?と)

ピクニックでなんだかものすごくラブラブになっている

でも、私たちの間には7セント半の壁がある、と忠告

会社に戻ったら2人はバカップル全開(「好きって言って一 )

この流れが全然わからなくて。

べイブの人物像に「元気いっぱい」というキーワードは出てきましたが、他の人とどう関わってどういう人間でどこがどう魅力的なのかが伝わってこない。

「主役ですからみんなに愛されるキャラクターですよね!!」という昔の脚本のお約束事なのかな?これもシンボリズムかー!

で、ハインジーが最後に「この2人(シドとベイブ)は長く続かないな」というのは、一般常識における「お約束事」ですよね(笑)

主演の男女がカップルになるのが古い王道のミュージカル作品のお約束事だと言えばそれまでなのだけれど、トムさんは、『タイタニック』でも『グランドホテル』でも、男女、男同士、女同士、さまざまなドラマを丁寧に築いてきたのに、この作品は主役をどーんと配置してしまったことで、お約束事が優先されてしまったことが残念でした。

それを周囲の個性豊かなキャラクターが補っている、というか、彼らの方がきちんとバックグラウンドが見えたような気がします。

グラディスとハインジーの凸凹カップル、メイベルとハインジーのナイスコンビ、この3 人は殊勲賞ですね。飛び道具的にエロカワな大塚千弘ちゃんにノックアウト、栗原さんと阿知波さんのべテランの安心感に毎回癒されました。

栗原さんは『タイタニック』の出演者でもありますが、今後トムがまたコメディをやるようなことがあったら、阿知波さんは絶対キャスティングされるんじゃないかな、というぐらい、この作品の要だと思いました。

女好きの上ロ耕平プレッツと彼に気のある鈴木結加里メイ。この2人もアクセントとしてとても面白かったです。特に冒頭のナンバーの最後、ミシン台から男性陣が飛び出してくるところ、メイとプレッツが隣同士だということを2回目の観劇で気がついて「おお、だからメイがプレッツにぐいぐい来るのか〜」と納得しました。
最後はお揃いのパジャマですが、プレッツ、ワイフにはどう説明するのだろうか(笑)

そしてアンサンブル陣。
大きめの装置を動かす男性陣には『タイタニック』のときの階段を運ぶ様子を、工場のミシン台を運ぶ女性陣には『グランドホテル』でホテルのフロントを移動させる様子を思い出して、いかにもトム演出〜!!
跳んで回って走って踊る。ダンサーたちは男性も女性も本当に実力者ばかり。

私は特に木内健人くんのダンスが好きなのですが、ピクニックのときの天野朋子ちゃんとのニ人三脚ダンスは見せ場だし、この2人、そのシーンの前の上手側でも、男の子を連れ去っていくメイベルを見送る表情とか、細かくお芝居をしていてかわいいです(笑)
そして、健人くんはとにかく「ヘルナンドス・ハイダウェイ」のラテンダンスがかっこ良くて、舞台前方1列目で踊ってくれてとても嬉しい。

耕平くんはよく視線泥棒と呼ばれますが、健人くんは狙った獲物は逃さないスナイパータイプ。カテコの客席降り、きっと1 -B列30番台後半の人たちはバッタバッタ堕ちていることでしょう(笑)

耕平くん、いてほしいダンスシーンにいてくれなかったり(苦笑)もしたのだけれど、センターで踊る「7セント半」パートは、彼のダンスの個性にあった、アイソレーションがポイントになるものだったので少し満足。

素晴らしかったのが前田文子さんの衣装。工場で働いているとき、ピクニック、就業時間外の私服、そしてフィナーレのパジャマ姿は、各キャラクターに合っていて、目が楽しい。
耕平くんのオーバーオールのインナーに赤い星柄のTシャツを合わせてくれてありがとうございます!メガネもくるくるのパーマも良い感じ。

お気に入りのパジャマは朋子ちゃんのお腹&脚出しと、健人くんのボーダーに星柄スウェット&ニット帽と加藤良輔くんの裾が長いタイプのシャツ、もちろんグラディスとハインジーのおそろコーデも♡きっとこの2人はずっと仲良しだと思います(笑)

さて『タイタニック』は再演が発表されましたね。(『グランドホテル』の晃教オットーも待っていますよ〜! ! )

新メンバーでは、特にこの『パジャマゲーム』にも出演し、『グランドホテル』のジミーズ役で、赤ではシンガーも務めた木内健人くんに注目しています。そのままキャストをスライドするのか、1人で何役もこなしていたので、その配置をいろいろ変えるのかはまだかわりませんが、初演で矢崎広くんが2役こなしたうちの1つ、シンガーの方を担当するのではないかな〜と予想していますが、どうでしょうか。楽しみ!!

とはいえ、まだスリープタイト社東京工場での勤務はもう少し、そして大阪工場でも賃上げ闘争は続きます。

「スチームヒート」も含め、本当にダンスは素晴らしいので、未見の方はぜひぜひ楽しんでくださいませ。
女の子もバンバン側転します! !
個人的には最後の最後に上手端で踊る耕平くんに「こういうダンスが見たかったんだよおおおお!!!」となりますが、正味5 秒ぐらいしか見られません(笑)





















2017年6月19日 (月)

I love a PIANO 東京凱旋公演大千秋楽 6/16 18:30

@よみうり大手町ホール
11列目 上手側

屋良朝幸、上口耕平、鈴木壮麻
小此木まり、吉沢梨絵、樹里咲穂
ピアノ演奏: 堀倉彰

Music and Lyrics by Irving Berlin
Conceived by Ray Roderick and Michael Berkeley
上演台本・訳詞・演出: 小林香
音楽監督: 大貫祐一郎
振付: 木下菜津子

たった1日の東京凱旋公演。

「凱旋」という名に相応しく、東京公演で培ったもの、大阪公演で進化したものが感じられる素晴らしい大千秋楽でした。

カテコで屋良っちが「ライブ感」って言っていたけれど、これだけ公演を重ねても、何が起きるか、何を起こすか分からない。いやー、屋良っち、べンチの手すりにお尻をぶつけたのは痛かっただろうねえ。あれ、一瞬呼吸が止まる、目の前が真っ白になる痛さだよね(笑)
マーサ・ハンプトンは耕平レオンにも「トンガリフレーム」を強要、ダンスマラソン参加者の樹里ぴょんはいつからダジャレを言うようになったの...。「チアガールが立ち上が一る」妙に語感が良くて、上演中も、その後の日常でもふと思い出してしまう謎の中毒性。
「早起きは大嫌い」は毎回、私、屋良っちといい勝負ができるなと思いながら見ていました(笑)。
「アニーよ銃をとれ」のオーディションはもう抱腹絶倒の域。壮麻レオンからあざす先輩への「おどかさない!」「早く去る!」のアドリブは最高、まりちゃんはいつもよりもキッチリ直角に曲がって、屋良っちジョージの手の甲パチパチはたぶん後列にも音が聞こえてたんじゃないか的にパワフルでした。

まりサディが言う「神様から見たらみんな同じ」「雪が降ったらみんな真っ白になって全部同じに見えるわ」という台詞。
ユダヤでも、貧しくても、お金持ちでも、みんな同じ。サディの明るさ、聡明さ、心の大きさ・豊かさといったものが、異国で頑張ってきたレオンに響いた瞬間。
40年前のレオンとサディはそれぞれ別の人生を送った2人の中にいつもいて、ピアノが戻ってきたことで、止まっていた時間を動かすことができた。
「ホワイトクリスマス」は、レオンがサディのために作った歌で、サディがレオンに贈った言葉がもとになっている、いわば2人の共作。だから40年前の2人が歌うことで、ようやくあの歌が完成したのだと思う。

「一度生まれた歌は死なない」けれど、歌を「生かす」には歌われなければならない。バーリンの音楽が彩るこのミュージカルは、生かされ続けた曲の集まり。
そして、この作品が上演されることで、また歌は生き続ける。

耕平くんはパブロ(「シスターアクト」)とかへルちゃん(「TdV」)みたいな、インパクトある感じの役の方が代表作にあげられるかもしれないけれど、私的には「タイタニック」の内向的な通信士の繊細なお芝居が印象に残っています。

今回、戦前・戦中のレオンを演じましたが、べティ・グレイシーが歌っている間に見せるレオンの音楽そのものへの情熱や愛を、表情の変化でしっかりと感じさせてくれたところがとてもよかったです。

それから、特に大千秋楽で感じたのが歌の成長。ソロの「Let's face the music and dance」はもちろん、上パートのハモりも、今まであんまり歌うことがなかったと思う低音もよく聞こえました。
そろそろ個人でライブやってもいいと思うんだけどなー。

そして、耕平くんは、たっぷりカウントを使って余韻を感じさせながら踊るダンススタイルやきちんと身体のラインを見せる振り付けへの適性が抜群だと改めて実感しました。洗練された清潔感というのか、見ている人を心地よくさせるダンスだと思うんですよね。
秋の「パジャマ・ゲーム」はついにフォッシー・スタイルに挑戦(するよね? )だと思うので、今からとても楽しみ。

機材で舞台がほぼ見えないだろう見切れ席に振付、音楽監修、もう1人のピアニストだった桑原まこさん、客席いちばん後ろに演出の小林香さんがいらっしゃっているのをカテコで紹介していましたが、こういった愛のあるスタッフさんたちに見守られて大千秋楽を迎えられた幸せなキャストを見て、観客として、ファンとして嬉しくなりました。

屋良っちがヘにゃっと笑顔、壮麻さんとラブラブで、ほかの4人がつっこんだり話を膨らませたり収集のつかなくなった大千秋楽のカテコでしたが、樹里ぴょん発案の3本締めで大団円。
またいつかこの6人での再演を、ワンエナツーエナ待っています。









2017年6月12日 (月)

I love a PIANO 東京千秋楽 6/11 13:00

@DDD青山クロスシアター
E列 センターブロック

屋良朝幸、上口耕平、鈴木壮麻
小此木まり、吉沢梨絵、樹里咲穂
ピアノ演奏: 桑原まこ

Music and Lyrics by Irving Berlin
Conceived by Ray Roderick and Michael Berkeley
上演台本・訳詞・演出: 小林香
音楽監督: 大貫祐一郎
振付: 木下菜津子


人の一生は音楽とともにある。
また、音楽は時代とともにある。

好きだった曲はもちろんのこと、その曲自体に特に強烈な思い出や思い入れはなくても、音楽を聞いて、ふと昔を思い出すことや懐かしい気持ちになることは誰にでもあると思います。

出会い、別れ、成功、再会。
貧困、戦争、戦後、自由。

ロシアからの移民だったレオンにとって、音楽は慣れない環境での心の拠り所であるのと同時に、アメリカ社会に溶け込むための手段だったのでしょう。
音楽は自分と人とを結びつけ、 自分と社会を結びつけ、 やがて自分の音楽が人と人とを結びつけ、社会を形づくるひとつの要素にもなった。

若々しいキュ一トさとサディを失ってから半狂乱になる屋良レオンのギャップ、 戦場で聴く音楽に自分のアイデンティティを再確認するような耕平レオンの眼差し、 成功を手にしたからこそ過去と向き合おうとする壮麻レオンの愛。

レオン・バルターという人間を3人で演じることで、レオンの一代記という雰囲気よりも、彼と時代との関係が浮き出るようになっていたと思います。

音楽は人の心を動かす。良い方にも悪い方にも。
人間は忘れていく生き物。忘れたくて忘れる。日常の雑事に飲まれて忘れる。時間が経ち、当事者が亡くなり語る者がいなくなって忘れ去られていく。
だから、人は忘れないうちに曲にする。
忘れたくないこと、忘れてはいけないことを曲にする。

前回観劇時にはストレート過ぎると感じた「God Bless America」ですが、大事なことを伝えていくには、いらないことを削ぎ落としてこれぐらいド直球にしないと人の記憶には残らないのかもしれない、とも思いました。


「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」もそうだったのですが、少人数の総力戦ともいえる作品は、開幕してから回を重ねるごとにキャストの結束力が目に見えて高まっていく、その過程と完成形を見られることがとても楽しいのです。

この「I love a PIANO」でも、シリアスなシーンはより深く、弾けるところはどこまでも突き抜けていく6人。
マーサ吉沢、顔で踊るダンスマラソンまりちゃん、壮麻兵士、オーディションスタッフ耕平、チャラ屋良っちジョージ、あざす樹里ぴょん(笑)

屋良っち&樹里ぴょんのルンペンカップルは、戦争の場面のすぐ後に出てくるので、観客の意識を楽しい方向に持っていくために意識的にアドリブを増やしていったとのこと。(この回は暗転中にピアノの上にスタンバイしている時点で、2人が頭をごっつんこするというアクシデントから始まり、もう何をしても笑いが起きる感じになっていました)

歌に手拍子が入ることを目標にしていたそうですが、ようやく東京千秋楽にしてそれが達成できたので2人ともとても嬉しそうでした。

カテコではそれぞれあいさつ。
マーサ吉沢のトントン振付講座や、真面目な挨拶を屋良っちにつっこまれて「根は真面目なので」と言いたかったのに噛み倒す耕平くんとか、お稽古中に疑問点があると演出家にひとつひとつ確認していたので「妥協しない男」とあだ名をつけられた壮麻さんとか、壮麻さんの挨拶中にみんなでフリーダムに喋り出して、「ねー、みんな自由だから」とまとめにかかる樹里ぴょんに「それ、そっくりあなたに返すよ?」的にみんなが混ぜっ返すのとか、とても明るい雰囲気で、それを真ん中でニヤニヤふにゃふにゃ見ている屋良っちも可愛いかったです。

この回初めて桑原まこさんのピアノでしたが、繊細で柔らかく、特に屋良レオンとまりサディのときはキュンキュン度がアップしているような気がしたかと思えば、ときどき6人を先導するように勇ましさを感じたりもしました。

ビアニストによっても、作品の印象が違ってくる。「I love a PIANO」というタイトルは、レオンの物語というよりも、この上演形態を指すものなのかも。

体力と集中力とアクシデントを笑いに変える臨機応変能力を極限にまで使った2時間弱ノンストップ。25公演歌って踊って作り上げた作品は、一度として同じ物はなかったでしょう。
それほどライブ感がありながらも、それぞれの場面にぴったりと合う親しみやすいバーリンの曲があることで、ストーリーは要所要所で引き締まり、人生は歌に彩られ、時代には歌が不可欠なのだということを受け取ることができました。

あと1回、凱旋公演でこの素敵な作品と愛すべき6人に会えるのが楽しみです。









2017年6月 1日 (木)

I love a PIANO 5/31 19:00

@DDD青山クロスシアター
A列 センターブロック

屋良朝幸、上口耕平、鈴木壮麻
小此木まり、吉沢梨絵、樹里咲穂
ピアノ演奏: 堀倉彰

Music and Lyrics by Irving Berlin
Conceived by Ray Roderick and Michael Berkeley
上演台本・訳詞・演出: 小林香
音楽監督: 大貫祐一郎
振付: 木下菜津子


終盤に「たとえー度も歌われなくても、生まれた歌は死なない」(うろ覚え)という壮麻レオンの台詞があります。

初日にこれを聞いたとき、違和感がありました。歌は歌われてこそ意味があるもの、生きて繋がっていくものではないのか、と。

でも2回目の観劇で、ここでいう歌とは「誰かを思って作られた歌」のことを言うのではないかな、と思いました。レオンがサディを思ってサディのためだけに作った歌。

冒頭の壮麻レオンの台詞は、屋良レオンがピアノを売ってしまうときに「鳴らない鍵盤があるピアノ」の状態で売りたいと言った気持ちから繋がっているものなのだと思います。

思い出のつまったピアノを見るのはつらいから自分の前からなくしてしまいたい。
でもサディを好きだったという気持ちは自分の中に残り続けるのだから、あの譜面を取り出して捨てたり燃やしたりせず、あえてピアノの中に残して音楽と一緒に生かし続けてあげたかったのだろう、と。

作曲家として成功したレオンの原点。あったかもしれない過去を愛しく思えるには、40年の月日が必要だったのかもしれません。

「そしてショーは続いていく」
「今までも最高だったけれど、これからも」

というレオンとサディの台詞は、壮麻レオンと樹里サディの中に、屋良レオン&まりサディ期に2人で築いた関係性と耕平レオン&梨絵サディ期に別々に成熟した人間性が見えるからなのだと思います。
それにしても、あざす先輩(参照より)直後にあのお芝居ができる樹里ぴょん、まじすごい。


耕平くんの事務所がデレてくれて、なんと最前列の観劇となりました。
顔の表情を見るには見上げる角度となりましたが、 タップの足元が目の前というのは贅沢の極みでした。

姿勢の良さからくるのでしょうか、往年のミュージカル映画スターのような少しレトロな感じのスーツやクラシックな黒燕尾をナチュラルに見せられる耕平くんの着こなしカって、数多いるあの年代の役者さんたちの中でけっこう貴重なのではないかと思っています。

そこまで SNS に熱心ではないある意味少しミステリアスなところや、言葉使いなどからどことなくにじみ出る育ちの良さなどがそう思わせるのかもしれません。

耕平くんがレオンを担当するパートは、彼が音楽を奏でたり作ったりする場面ではないのが難しいところ。
でも、慰問に来た歌手が「Blue Skis」を歌っているとき、上手側の壮麻さんと屋良っちがウェイウェイはしゃいでいるのとは違って、ピアノに寄り添って音楽を作った日々を懐かしむような表情が印象的で、とても惹きつけられました。

平和が何より大切で平和であるからこそ音楽ができる、ということはわかっているのですが、いや、わかっているからこそ、その後の「God bless America」という直球ストレートは、感動的な場面ではあるけれども私には少し説教くさく感じてしまって。

3組のレオンとサディの繋ぎ方、キャストの演じ方には繊細さがあったので、この部分のなんというか洋画CMの「全米が泣いた」的なというか、「はい、ここで感動成分入りますよー」みたいな大味な感じはもったいないと思いました。


ちまちまとYou TubeやiTunesを漁っては、この作品で扱われるバーリンの曲を聞いているのですが、かなり大胆にアレンジが加えられていて、一度世に出て多くの人に愛された音楽は、その時代や歌われる場に合わせて姿を変えても生き続けるのだと実感させられます。

そう、たとえば、Four Seasonsの「December, 1963 (Oh, What a Night)」がラップを取り入れて2000年に「Ces soirées-lä」という曲名でフランスで流行したように、フランキー・ヴァリの「Can't Take My Eyes Off You」が1982年にBoys Town Gangがディスコ調にアレンジして大ヒットしたように 。

2017年5月26日 (金)

I love a PIANO 5/25 19:00 初日

@DDD青山クロスシアター
D列 センターブロック

屋良朝幸、上口耕平、鈴木壮麻
小此木まり、吉沢梨絵、樹里咲穂
ピアノ演奏: 堀倉彰

Music and Lyrics by Irving Berlin
Conceived by Ray Roderick and Michael Berkeley
上演台本・訳詞・演出: 小林香
音楽監督: 大貫祐一郎
振付: 木下菜津子


アーヴィング・バーリンという名前は知らなくても、「White Christmas」を聞いたことがない人はほぼいないのではないでしょうか。作品の中で印象的に使われている曲です。プログラム(2,000円とちょっとお高めではありますが、キャストの写真がとてもかわいいので是非!)に書いてありましたが、歌手ビング・クロスビーが歌った「White Christmas」のシングル盤は5,000万枚以上のセールスがあり、世界最高とされているそうです。

また、フレッド・アステアなどが出演するMGMのミュージカル映画や 「アニーよ銃をとれ」 (「ショウほど素敵な商売はない」) などのミュージカル音楽でも有名で (フィギュアスケートでもよく使われますね)、誰もが一度は耳にしたことがある曲ばかり30数曲がこの作品の中に登場します。

1920年代後半のニューヨークから、1960年代後半〜70年代前半を1組の男女と1台のピアノを軸に描いていきます。その1組の男女、レオンとサディを年代ごとに、屋良っち&まりちゃん、耕平くん&梨絵さん、壮麻さん&樹里ぴょんで演じ継ぎながら、6人全員でバーリンの曲を何役ものキャラクターに扮して歌い踊る。

3組が同じ服装なのではなく、それぞれの年代でその当時の年齢・流行りの服装に変化しつつ色味は変わらないので、演者が変わっても1組のカップルというのがわかりやすいです。衣装全般、とてもかわいい。


屋良っち&まりちゃんパートはキャッキャウフフなラブラブ期。レオンはロシア系ユダヤ人(バーリン自身も同じ出自)で、ニューヨークに住む作曲家を夢見る若者。アレクサンダー楽器店に1台のピアノがやってきたことからこの物語は始まります。レオンはとにかく音楽とピアノが好き。その思いが屋良っちの躍動的なダンスから伝わってくる。そうしてレオンはこの楽器店で働くことになる。

サディは壮麻さん演じる楽器店店主の姪で、良い家柄のお嬢さんながら、おじさんと仲良しで楽器店に遊びに来ていてレオンと出会い、惹かれあう。まりちゃんは「手紙」のときもそうだったけれど、身体は小さいのに心はでっかいというキャラが似合いますね。

しかし、残酷な1929年を迎え、人々は生きていくのに精一杯。レオンとサディの身分違いの恋は、サディの親によって引き裂かれてしまう。愛しいサリーとの思い出が詰まったピアノを手放したレオン。それでも音楽だけは捨てられなかった。


そして、時は流れ1941年12月8日。ここのパートは耕平くん&梨絵さん。

新進の作曲家になったレオンは大ブームとなっていたダンスマラソンのゲストとして招待される。ふらふらになっても踊り続ける人々を苦笑しながら眺めるレオン。しかし、ダンスはある一報で突然の終わりを迎え、男は戦地に向かい女は家でひたすら無事を祈りながら待つ日々を送ることになる。

戦地の生活は「非日常」ではあるけれど、それがいつしか「日常」になっていく。そんな中で戦地に慰問に来たシンガー(樹里ぴょんかっこいい! )から、今自分たちが置かれている状況と音楽が持つ力を再確認する。
いつか自分もまた音楽を中心とした生活に戻れる日が来るのだろうか。「あの」ピアノに想いを馳せるレオが切ない。耕平くんの静の演技、好きだなぁ(告白)。


戦争は終わった。人々はボロキレをまとっていても音楽を心から楽しんでいる。

劇中で正確な年代は明示されていませんでしたが、おそらく1960年代後半〜70年代前半のレオは壮麻さん、サディは樹里ぴょん。
(5/31追記: 2回目見たら、ラジオのDJ KO-HEYが1970年って言ってましたね)

音楽家として成功し、地位を築いたレオン。ブロードウェイミュージカルも手掛け、主演俳優ジョージ(チャラ屋良っち)とともに地方公演の相手役オーディションを行うことになる。個性溢れすぎるオーディション参加者(女性陣3人)の芸達者ぶりには脱帽&爆笑。


このあとの展開はさすがに初日終わった時点でネタバラシしてしまうのはこれから見る方の楽しみを奪ってしまうので、また別の機会に。
壮麻さんと樹里ぴょんのお芝居が素晴らしく、じんわりとした温かさを感じました。


耕平くんだけで数えても、レオン以外に、ピアノの運搬業者、楽器店の客であるミュージカルの演出家、禁酒法時代のバーにやってくる客(5/31追記: 演出家と同一人物?)、サイレント映画の俳優、黒燕尾(正義!バンザイ!! )、ルンペン(ボロボロの服を着ている浮浪者)、オーディションのスタッフなど、いくつもの役を兼務。
これが6人分なのでかなり多くの登場人物になるのですが、演じているのはまぎれもなく6人、しかも休憩なし。着替えて出て着替えて出てを2時間ぶっ続けというのは体力と集中力が要求される作品だと思います。

また、舞台上のピアノはセットではなく、そのピアノを使って歌の伴奏をします。(プログラムには演奏者はこの回の演奏を担当した堀倉彰さんと桑原まこさんがクレジットされています。)ピアノだけで紡ぐ歌とダンスはシンプルである分ごまかしがきかない、その面でも非常に「試される」作品ではないでしょうか。
初日公演が行われた5月25日は奇しくも「タップダンスの日」だったそうですが、本間憲一さんが振付を担当したタップダンスも見どころのひとつです。

40年間を追っていくので場面転換が多く、ピアノを動かしたり(動いていながら演奏し続けている堀さんブラボー!)、暗転が多いのが少し気になるところではありますが、回数を重ねていけばもう少しスムーズになっていくと期待しましょう。

主演の屋良っち。練習期間3ヶ月であそこまでピアノを弾きながら歌えるとは本当に頑張ったんだなあと感嘆の思い。
緊張の糸が切れたカテコ初日挨拶、内容がループしたり、ふにゃふにゃへにゃへにゃ喋っていて、ものすごく珍しいものを見てしまった感(笑)それを隣で温かく見つめる壮麻さん→気がついた屋良っちが壮麻さんに投げキス→受け取った壮麻さんが屋良っちに投げキス→屋良っちが受け取らずに下にポイッの投げキス芸がとてもかわいかったです。観客総萌。

(そういえば、この劇場では『End of the Rainbow』の初演で、ふざけて壮麻さんの膝に座るこにたん(小西遼生さん)を見たけれど、今回は壮麻さんの膝に座る屋良っちが見られました。仲良しかわいい。壮麻さんの膝からは座りたくなる磁カみたいなのが出ているのでしょうか)

ゲネプロで歌い方や台詞・歌詞の変更があったり(樹里ぴょん)、本番で衣装が変わったり(梨絵さん)「幕が開くとは思わなかった」ぐらい大変だったようですが、笑い声も手拍子も入り、カテコではヒューヒューも飛んだ素敵な初日となりました。

DDD青山クロスシアターという濃密な空気感のあるハコが、 これからこの作品を育ててくれると思います。

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