フォト
無料ブログはココログ

舞台

2018年11月12日 (月)

ジャージー・ボーイズ WHITE 11/10 13:00、BLUE 11/11 13:00

@神奈川県民ホール

11/10 : 1階24列下手サイド
11/11 : 1階17列センターブロック

Wキャストは10日WHITE/11日BLUEの順
フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴/伊礼彼方
ニック・マッシ:福井晶一/spi
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人/矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎

この2日間を終えて、“感無量”という状態を身をもって体感しました。

お前出演者かよ?的なツッコミありがとう。
えぇ、観客役として断続的にこの2ヶ月間この作品と一緒に過ごしてきたのだもの。

でも、何より50公演、アッキーがフランキーをまっとう出来たことにホッとした気持ちが大きかったかもしれません。
そして、シングルキャストの阿部兄、畠中さん、もっくん、大音くん、石川くん、ヤスくん、たくぴー、るんちゃん、びびちゃん、まりゑちゃん、まりちゃん!アッキーと同じく全公演完走、本当にお疲れ様でした。


「Who Loves You」の最後、WHITEは、フランキーとトミーが肩をぶつけ合ってキャッキャしていて、BLUEは、近づくフランキーをトミーがグッと肩に腕を回して引き寄せる。
これが再演でたどり着いたそれぞれのカラーなのだとしっかりと受け止めました。

ボーイズのみんな、フランキーと出会ってくれてありがとう。
ガウチトミー、フランキーと鉄の絆を見せてくれてありがとう。
伊礼トミー、フランキーを見つけてくれてありがとう。
海宝ボブ、フランキーを引っ張って突き進んでくれてありがとう。
ぴろしボブ、フランキーと共に歩んでくれてありがとう。
福井ニック、フランキーを見守ってくれてありがとう。
spiニック、フランキーを優しく包んでくれてありがとう。

信頼のWHITE、挑戦のBLUE。
初演から深化して進化したWHITE。
公演中も試行錯誤しながら新しい風を探したBLUE。

まったく違う2チームなのに「Who Loves You」で同じように幸せな気持ちになれるのは、フランキーが音楽を愛し音楽に愛され音楽を追い求め続けているから。
今、この時代の日本でそれを演じられるのは、中川晃教だけ。

『ジャージー・ボーイズ』はこれからも続いていくべき、もっとたくさんの人に見て欲しい作品ですが、初演と再演を見届けたことは、きっと私の生涯の宝物になると思います。

初演から数えると計91公演、たった1人でフランキー・ヴァリ役の重責を担い、最高のパフォーマンスでキャストと観客を引っ張ってきたこの2年数ヶ月。
アッキーが成し遂げたことに、心からの敬意と鳴り止まない拍手を送ります。
何万回でも「君こそ奇跡」と讃えるからね。

2018年11月11日 (日)

ミュージカル『深夜食堂』 11/8 19:00

@シアターサンモール
B列 センターブロック

マスター: 筧利夫
忠: 藤重政孝 小寿々: 田村良太
剣崎竜: 小林タカ鹿 ゲン: 碓井将大
マリアン松嶋: エリアンナ
千鳥みゆき: AMI
鮭: 谷口ゆうな
明太子: 愛加あゆ 梅: 壮一帆

原案・原作: 安倍夜郎
Book&Lyrics by JEONG, YOUNG
Music by KIM, HAESUNG
演出: 荻田浩一
日本語上演台本・訳詞: 高橋亜子
音楽監督・編曲・歌唱指導: 福井小百合

実は10月31日にも見ていまして、これで3回目の観劇&マイ楽。

劇中の人たちがますます愛おしく思えて、お別れしてしまうのが悲しい。
この作品には悪意が描かれていないのに、嘘くささや偽善臭がしない。人間って、本当はみんな優しい生き物なのだと信じたい、そんなメッセージにも思えます。

誰かが誰かを大切に思い、そこにはいつもマスターの料理がある。
幸せは分け合えば2倍に、悲しみは半分に。
忠さんがマスターに目の傷のことを聞くのも、小寿々さんがなぜ深夜に営業しているのかを聞くのも、彼らがマスターの痛みを引き受けてもいいと思っているから。

忠さんとお母さん、小寿々さんの初恋と竜ちゃん。
深い苦しみととてつもない愛を受け取ったことがある2人(忠さん・小寿々さん)だからこそ、人の過去を引き受ける覚悟があるのかもしれません。

誰にでもなんとなく落ち込んだりモヤモヤした気持ちで家に帰りたくないときはある。
深夜食堂は、そんなときにマスターの美味しい料理と気のおけない常連さんたちとのおしゃべりで心を和ませてくれる”陽だまり”。そこでホッと息をついて、また次の日を生きる糧を得る。

食べることは人間にとって不可欠だけれど、何を食べるか、誰と食べるか、どんなときに食べるかetcで、人となりの一端を伺い知ることができる。
マリリンのように好きな人に影響を受けまくる人もいれば、お茶漬けシスターズのように自分の好みを貫き、それがパーソナリティに落とし込まれている人もいる。

本人の出自は謎めいているけれど、食と人、人と人、そして、深夜食堂という場所と人を結びつけるマスターは、もしかしたら誰よりも食によって自分が助けられた人なのかも。


この回の小寿々さん、とにかく素晴らしかった!
恋する喜び、初恋の痛み、30年経ってわかった真実、全ての感情がビビッドに立ち上って、小寿々さんの来し方までもが想像出来るようでした。

「歌は語るように、台詞は歌うように」とはよく聞く言葉ですが、小寿々さんの台詞の節回しは心地よく、お茶漬けシスターズと一緒にお小言を頂戴したい気分になりました…むしろ私はお茶漬けシスターズの一員になりたい。高菜とかじゃこあたりで。

竜ちゃんの人となりは劇中では深く描かれていない。どうしてヤクザになったのか、どうして赤いウィンナーが好きなのか…。
でも、小寿々さんの卵焼きの思い出を聞いて、誕生日にあの扮装をして店を訪れる龍ちゃんは心の底から小寿々さんのことを大事に思っているのだということだけはしっかりと伝わってくる。

料理だけではなく、1つの椅子を2人で分け合い、竜ちゃんの肩に顔を傾ける小寿々さんの幸せな顔。
ゲイとヤクザという、側から見たら一風変わった組み合わせなのかもしれないけれど、人が人のことを愛しく思いやるということの本質を見せてくれました。

そういえば、ダンスが苦手だった田村くんが、「お弁当の二大スター」でステップ踏みながら歌っていたのと「キムチとサンマのタンゴ」でえりあゆと(ダンスとは言わないけれど)同じ振り付けをしていたことが感慨深い…。

マリリンのパフォーマンスはさらに突き抜けて、梅と明太子の喧嘩はより過激に、鮭はもっと愛らしく、毛利くんはかなり明るく進化していました。

もうそろそろ『深夜食堂』の営業は終わりますが、いつかまたこの仲間たちと再会できる日が来ることを楽しみにしています。

2018年11月 7日 (水)

ジャージー・ボーイズ WHITE 11/3 18:00、BLUE 11/4 13:00

@久留米シティプラザ
11/3 : 1階G列下手サイド
11/4 : 1階Q列上手サイド

Wキャストは3日WHITE/4日BLUEの順
フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴/伊礼彼方
ニック・マッシ:福井晶一/spi
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人/矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎

行きの飛行機→満席、泊まったホテル→満室、帰りの飛行機→満席、立ち寄ったリムジンバス→満席、そして劇場は2日間とも満員御礼!の、満満満足な福岡旅でした。

神奈川で凱旋公演はあるけれど、ツアーとしては久留米公演が最終地。
私にとって1ヶ月以上空いた観劇となりましたが、この2日間でWHITE、BLUEそれぞれの完成形が見えたような気がします。

ガウチトミーにからかわれてプンプンしていたのに、トミーに「今日の歌よかったよ」と言われて、(あ、そう?的に)ポーカーフェイスで応じながら影でニヤッと照れ笑いするフランキーの可愛さ。

spiニックにどのように歌うのかをアドバイスされ、ニックの彼女とともにハーモニーを奏でた幸福感。

WHITEはトミーとの繋がりがフランキーの原点、BLUEは教会に忍び込んでニックに歌を教えてもらったことがフランキーの”グループで歌う”ということの原風景なのだと感じました。

東京公演中にも少し書いたのだけれど、WHITEは、ボブが入ることでオリジナルメンバーとしてのグループにヒビが入ってしまう。
言い換えれば、ボブが入らなければ、スターにはならなかったかもしれないけれど3人でそれなりに楽しくグループを続けられていたのかもしれない人たちではないか、と友達とも話していました。

フランキーはボブとパートナーシップを結ぶ際にトミーより先にニックの名前を出すけれど(「歌えるようになったのはニッキーのおかげだし」)、WHITEだとトミーとの絆が確かなものだからこそ敢えて先に名前を言わないのだろうし、BLUEではニックに本当に恩義と尊敬を感じているから真っ先に彼の名前を出すのだろうなと、この久留米公演を見て実感しました。

久留米公演初日のWHITEは、ガウチトミーとアッキーフランキーの”秋”に泣きました。
「俺がグループを始めた」と、自分の手柄を述べていくガウチトミーの目は涙で光りフランキーを見据える。
一方「君の方こそグループのことを全然考えてないじゃないか」とトミーに不満をぶつけるフランキーの表情は悲しみに溢れ、彼の目にも涙が浮かぶ。
両者が「俺はこんなことを言いたいんじゃない」という思いを正反対の言葉で吐き出している様子が痛々しく、胸が締め付けられました。

あんなにシュッとスタイリッシュだったトミーが背中を丸めて憔悴しきって3人の元から去っていく後ろ姿が忘れられません。

(ブログを読んでいただいていると分かると思うのですが)私は初演から中河内トミーが大好きなのです。特に再演ではフランキーとの繋がりが顕著で「春」のフランキーとの仲良しを見るのが楽しみでした。
「夏」のヒット曲パフォーマンスの後も、目を合わせたり、久留米では2人一緒に4階席に手を振ったりして、フランキーがトミーを慕い、トミーがフランキーを可愛がっているというのが伝わってきて、本当に2人が楽しそうで...。
だからこそ、離れたくないのに離れなければならない2人というのが突き刺さったのだと思います。

BLUEで感じたのは、フランキーの強さでした。
キャタピラーのように険しい道を突き進み、目的を達成する。

それは、ぴろしのソロが絶好調だったことに起因すると思います。
「Cry For Me」を歌い始めた直後、アッキーフランキーがぴろしボブと音楽をやりたい!という表情に一瞬にしてチェンジしたのが見えました。フランキーとボブが音楽で繋がった瞬間。(歌い終わった後は、フランキーとしてボブに「よかったよ」って労っているより、完全にアッキーがぴろしに「やったじゃん!!」ってポンポンしているように見えましたが…笑)

だから、トミーが何と言おうと「別のリードボーカルを探せ」と楯突いてまで、ボブと一緒にやりたいという思いが強く伝わってきました。

ぴろしボブとアッキーフランキー、東京では、ボブがフランキーのぴったり横に寄り添う、時には前に出て守るというような関係性でしたが、この回はフランキーがめっちゃ強かったからか、秋の時はむしろ暴走するフランキーを抑えようとしているようにも見えました。

ニックがハーモニーを教えてくれたこと、ボブと出会ったこと、それもトミーがまとめてくれたグループがあったから。それがどうしてもグループでやっていきたかった理由ではないでしょうか。

だから、「ソロの僕を気に入ってくれなかったからどうしよう」と急に弱気になるフランキーの気持ちも分かるし、ボブはきちんとそれを支えている。
「Can’t Take My Eyes Off You」のとき、ぴろしボブは、フランキーに向けて上から何か言葉をかけているのか、それとも独り言なのか、オフマイクで喋っているのですが、何を言っているのだろうなぁ…読唇術が欲しい。

この回のBLUEは「Can’t Take〜」から「Working My Way」でのフランキーの貫禄がまさしく本物のそれで、中川晃教という人物が”演じている”という感が1mmもなく驚いたのですが、あの作品内でのフランキーがボブを丸ごと信頼し、ボブがフランキーを輝かせるために存在しているという証だったのだと思います。

これほどまでに違う2チームの真ん中にいる中川晃教という俳優は何者なんだろうか…。天使?それとも怪物?

大きいホールでやると、音が丸いというかまろやかというか。クリエのようにハーモニーが突き刺さる感じではない、新しい聴こえ方でした。
BLUEの日にたまたま島健さんをお見かけしたのですが、リハの調整だけではなく、こうやって本番も見てくださるのは嬉しいことですよね。

WHITEのガウチトミーとアッキーフランキーは、カテコでは2人で拍手しながらとか手を広げながらとか、同じ仕草で上手下手から出てくるところが漫才コンビみたいでとてもかわいく、挨拶で真ん中に2人並ぶとなぜかなごなごしてしまう癒し系。
BLUEでは、ガールズが「sherry」歌っているときに、ぴろしに「なんでやねん」の手を連発するアッキー、1回下手袖に捌けるときに「バンドさんどうぞ!」的に膝をついて2人で同じポーズ、次に捌けるときは2人でぺこぺこお辞儀、アンコールが終わって最後に捌けるときに、アッキーとspiくんが踊る→帰りかけた彼方くんも戻ってきて踊る→ぴろしがお辞儀して締めるというワチャワチャ感。

それにアッキーのソロでは、(WHITEでは)海宝くん、まりゑちゃん、まりちゃん、大音くんがオタ芸(ケチャ)するなど、ツアーを経てテンションがおかしくなった人たち、大好きです(笑)

東京で見られなかったアッキーフランキーのかわいいポイントは、
・車の詐欺の「どうしようトミー」でのスポットライト当たる前の暗がりでトミーの周りをぐるぐる歩き回る。
・クルー「運命が待っている」\(^-^)/
フランキー \(^-^)/ (真似っこ)
かな…?

1500人以上収容、4階まである広いホールでも、お芝居とハーモニーの緻密さは失われず、むしろ物理的に距離が広がったことで、メアリーとの精神的な距離が浮き彫りになったり、スターとして大ヒットして大きな会場でパフォーマンスしているんだなと想像出来たりして、フィットしていたように思います。

福岡に来て、本当によかったと思える2日間でした。





2018年10月28日 (日)

ミュージカル『深夜食堂』 10/27 13:00

@シアターサンモール
F列 上手側

マスター: 筧利夫
忠: 藤重政孝 小寿々: 田村良太
剣崎竜: 小林タカ鹿 ゲン: 碓井将大
マリアン松嶋: エリアンナ
千鳥みゆき: AMI
鮭: 谷口ゆうな
明太子: 愛加あゆ 梅: 壮一帆

原案・原作: 安倍夜郎
Book&Lyrics by JEONG, YOUNG
Music by KIM, HAESUNG
演出: 荻田浩一
日本語上演台本・訳詞: 高橋亜子
音楽監督・編曲・歌唱指導: 福井小百合


『深夜食堂』のドラマは数回見た程度。
と言っても、寝落ちする寸前の状態だったり、寝落ちからハッと目を覚ましたときだったりして、きちんとTVに向かっていたわけではありません。

そんな状態で見ていたドラマ版ですが、人間、生きていればいろいろなことがあって、ままならないことだって多々あるということ、マスターの前のカウンターに常連さんと座ることが「1日の終わりの癒し」となっていること...それを音楽も最小限に、抑えに抑えた演出で表現していたように覚えています。

これがミュージカルになると、歌が持つ力なのか、キャストがドラマ版より若いからか、韓国という外国のフィルターを通したからか、筧利夫さんのパブリックイメージからか、”食堂”でご飯を食べることがとてもポジティブなことで、カロリーだけではなく、明日からを生きるためのエネルギーをチャージすることなのだと思えました。

全体を通して明確なストーリーがあるわけではないのですが、あえて言うなら、その料理が&この食堂で過ごす時間が彼らにとってどのような意味を持つのかというのが、いくつものエピソードを繋ぐテーマとなっている。

ゲイバーのママ・小寿々さんとヤクザの幹部・竜ちゃんの恋がしみじみと素敵。
過去に傷を持ち、お互いが「ヤクザは嫌い」「オカマは嫌いだ」と言いながら、それぞれの優しさに惹かれる。悲しみは分け合えば半分に、美味しいものは分け合えばもっと美味しく。好きな人と好きなご飯を食べること、それは人生の中で最も素晴らしいことなのではないかと思わせる2人でした。

田村くん、すごく良かった。小寿々さんは彼の実年齢より15歳近く上の設定。
ゲイだから自然に人間性が深くなるわけではなくて、16歳で東京に出てきて、つらいことや悲しいことを経験し、そして同じような後輩をたくさん背負っているという立場が、小寿々さんの度量を作っている。人を雇い入れ、使い、商売を続ける。しかも新宿という魔境で何十年も。
常連さん(特にお茶漬けシスターズ)に対して時に辛辣に思える言葉を投げかけるけれど、皮肉の裏には「そんなの大丈夫よ、前に踏み出してみなさい」というエールを感じ取ることが出来るのは、小寿々さんの芯にあるものを食堂で共有しているからなのでしょう。人は食べるもので出来ている。口にするとホッとする甘い卵焼きはきっと小寿々さんそのもの。

そんな小寿々さんが竜ちゃんのことになると、まるで初恋を重ね合わせているかのようにピュアで一途で可愛らしい。そして竜ちゃんも可愛い。この2人の恋物語が『深夜食堂』に流れる”受容”の空気感を作り出していました。

お茶漬けシスターズは、アラサーアラフォーの周囲からの視線に対する切迫感を体現しているのと同時に、誰もが願う「自分らしく」生きることについて投げかけてもいる、共感度MAXのキャラクター。
私は宝塚には疎く、トップコンビが対等にズケズケズバズバと言い合う関係性の役柄を演じているのが新鮮で面白かったのですが、往年のファンの人的にはどうなんだろうと素朴な疑問。演出が荻田さんだから”有り”なのでしょうか?

ミュージカルが作られた韓国は、見た目第一主義みたいなところあると思うので、「外見より中身を見て欲しい、それが本当の自分だ」と歌う「お茶漬けファンタジー」はけっこう意外で。ファンタジーだと思っていたことが現実になる、生きてればそんなことだって起こり得る。そうなればいいなぁ。
それにしても碓井くん、身体(頭?)張ってたわー。

エリアンナちゃん演じるマリリン松嶋は、某ドラマのタイトルに出てくるような、まさに”獣”。「こんなことすると周囲からどう思われるかな」と思ってしまうのが人間の常ですが、マリリンにはそれがない。だから獣。好きだから好き、食べたいから食べる。そのストレートさが魅力。
マリリンのそんなところが忠さんも好きなんだろうなぁ。
あの超絶イケメンだった藤重さんが、おっちゃんの役を魅力的に演じていたのが良い意味で驚きでした。お母さんとのエピソードもアサリの酒蒸しのように味わい深くて素敵だったなぁ。

マスターは人に深入りしないしさせないけれど、みゆきちゃんには自分から声がけをしているところに、いろいろな含みがあるように見えて、その加減が絶妙でした。

マスターはストーリーテラーでもなければ、トリックスターでもなく、でも作品の中心にいる。おそらく何かがズレたり欠けたりしたら一気に崩れてしまうぐらい難しいことのような気がします。
ぶっきらぼうのように見えて繊細なマスターのキャラクターと舞台上での役の居方が重なるように感じました。

休憩なしの1時間40分。
ある意味オムニバスのように常連さんのエピソードが連なっていく。その過程で彼らの背景が明らかになったり、ならなかったり。
お品書きはおでんだけ。マスターに言ったら何でも作ってくれる。
思い出の味、いつも食べる味。それにまつわるエピソードは誰にでも1つや2つあるもの。もちろん、私にも。

劇中にも出てきたバターライス。
今では空気を吸うだけで太ることに定評のある私ですが、幼少時〜小学校低学年までは食が細く、なんとか食べさせたい母親が朝によくバターライス(我が家では”バターご飯”と呼んでいました)にしてくれたのを思い出しました。
熱々のご飯にバターをうめて、その間に洗面を済ませて、食べるときにちょっとお醤油垂らす。
視覚と聴覚と嗅覚(!)で懐かしい記憶が蘇ってきました。

そう、嗅覚です。劇中、おそらく2箇所、客席に良い香りが漂います。ビックリ!

他にも、赤いタコさんウィンナー、お茶漬け、ソース焼きそば、秋刀魚、ねこまんま.....等々、劇中に出てきた料理を書き出すだけでお腹が空いてきます。
観劇後にフラッとどこかのお店に立ち寄ったら、このマスターと常連さんが温かく迎え入れてくれたらいいのにな。

2018年10月18日 (木)

タイタニック 10/11 18:30、10/13 12:30

@日本青年館
10日: S席1階G列 下手側
13日: S席2階E列 センターブロック

アンドリュース: 加藤和樹
イスメイ: 石川禅 スミス: 鈴木壮麻
戸井勝海、津田英佑、小野田龍之介
佐山陽規、安寿ミラ
相葉裕樹、菊地美香、栗原英雄、霧矢大夢
渡辺大輔、小南満佑子、屋比久知奈、豊原江理佳
藤岡正明、上口耕平、木内健人、百名ヒロキ、
吉田広大、須藤香菜

脚本: ピーター・ストーン
作詞・作曲: モーリー・イェストン
演出: トム・サザーランド

続投組: 加藤、戸井、津田、小野田、佐山、安寿、栗原、藤岡、上口、須藤
役変更組: 鈴木(イスメイ→船長)、
菊地(ケイト・マーフィー→キャロライン)
新規組: 石川、相葉、霧矢、渡辺、小南、屋比久、豊原、木内、百名、吉田
(順不同敬称略)

初演キャストがけっこう残ったと思っていたのですが、こうやって書き出してみたら、新規組とあんまり人数は変わらないんですねぇ。

基本的には、抜けた人の代わりに新しい人が入っていますが、初演で古川雄大くんと矢崎広くんが2人でやっていた役を3人で分割しているのが再演の特徴でしょうか。また、初演で川口大地くんがいろいろ演じていた役を木内くんが大方引き受けている印象。

古川くん→ ジム・ファレル、ベル、転ぶ給仕など
ぴろし→ ベルボーイ、ハートリー など

渡辺くん→ ジム・ファレル、転ぶ給仕など
木内くん→ ハートリー、ベルなど
百名くん→ ベルボーイ など

私が前回見ているからか、それともサザーランド氏のチェンジマンぶりが発揮された結果か(日本の前にもイギリスで本作品のツアーをやってらっしゃることもあると思いますが)、それぞれの役柄の奥まで伺えるような深みを感じる再演でした。

そして、特に感じたのが”階級”という既存の枠組みと、それに抗うように生きる新しい世界を夢見る人たちのはち切れそうなエネルギー。
立場が違う二等客のカップルの”階級”をぶち壊したいという思い。

初演の未来さんキャロライン&シュガりんチャールズはこのタイタニック乗船が幸せの絶頂で、2人でいられることがとても嬉しいというラブラブっぷりでしたが、美香ちゃんキャロライン&ばっちチャールズは、イギリスという階級社会から抜け出してアメリカで結婚するんだ!(フラグをどんどん建てる)という決意と期待の船出、という感じ。

初演のシルビアさんアリスは、ファニーでミーハーでセレブを真近に見てキャッキャしている印象が強かったのですが、霧矢さんアリスは、二等客という身分には満足せず、セレブに交わることにこそ意味があると息巻いている。

これらのキャラクターの変化が、初演と再演のいちばんの変化であり、再演で強調されていた主題だと感じました。

三等客がエッチスに雑に扱われる描写、一等客を救助するために出口を塞いで三等客を待たせろという台詞、これらは彼らがいかに旧体制で虐げられていた存在かを表す一方で、バレットは彼らに手を貸し、ライトーラーは船長の指示にあからさまに怒りを見せ、ストラウス夫妻は自らの救命胴衣を三等客のカップルに手渡す。そして、アイダは自分の指から指輪をはずしてケイトに、イシドールは札入れをジムの手に伸ばす。

人間が同じ人間を助けるために全力を尽くす。当然といえば当然だけど、その美しさが際立つようになっている。

ライトーラーは、船長が電報に対して懐疑的な態度を取る場面で「これからはそういう時代が来ると思いますが」と意見を述べるのですが、上記の「三等客も救助すべきだ」と考えているような態度と合わせて、彼の台詞はそこまで多くないのに、新しい時代を担う人として描かれているように思えました。(実際は生き残った後はなかなか曲者的な生き方をしたようですが)。それをきちんと感じさせてくれたのは、龍ちゃんの力量でしょう。

また、階級というのは、一等客、二等客、三等客だけではなく、船長をトップとする乗員の統率体制にも言えることなのかも、ということも今回の再演で感じたことでした。

船長をトップとした体制は、正しくリーダーシップが機能しているときは物事がいちばんスムーズに進むやり方ですが、虚栄心に支配された偉い立場にある人ほど自分の経験に固執し周囲からの情報を跳ね除け、自分を盲信することになる。

もし、機関室から「これ以上のスピードは危険だ」と航海士に意見が出来たら、悲劇は防げたかもしれない。
しかし、航海中、船は船長のもので、船長はたとえ自信がなかったとしても自信があるように振る舞うもの。

特にベルくんの上と下に対する態度の違いが、トップダウンの弊害を如実に表しているのがよくわかりました。
ベルは自分の下で働くバレットや他の機関士には厳しく当たる一方で、航海士からの指示が来るたびに「承知しました」と返事をする。急にスピードを上げたら危険だということが分かっているのに「それはおかしい」とは言えない。
「承知しました」と応える健人くんの表情のひとつひとつの変化で、状況がおかしい方向に進んでいることがわかる。

イギリスから、アメリカに向かうタイタニック。その船内は、階級を飛び越えて物を考える人もいれば、自分の所属する階級、職掌の権力を振りかざす者もいた、本当に旧体制と新世界そのせめぎ合いの場所だった。
“彼女”が沈んだ後、ますますアメリカという国は力をつけていく。


藤岡くんの第一声「すーごいぞータイターニック!」は、この作品のファンファーレだなぁと思うと同時に、一緒に百名くんベルボーイの若い溌剌さに注目させるスポットライトの使い方が上手い。
全編を通して、スポットライトが視覚的な”予兆”となっており、また藤岡くんの歌がこの作品の芯として機能している。

「バレットソング」では歌としての”予兆”、「プロポーザル」で”ラブバラード”、チャームソングはハートリーのパートかな?と、『グーテンバーグ!』を見た人には「お、あの説明そのままやんか!」的なオーソドックスな構成でありながら、群像劇として、どのキャラクターも2時間半を生きているサザーランド氏の演出の巧みさに感服。

健人くんは、開演前も和樹アンドリュースの同僚or部下として活躍。
上から見ると、開演前の加藤くんの机にあるのは青い紙に書かれたタイタニックの設計図とノートだと分かりました。
健人くんとは、設計図見ながら「ここはこうかな?」的なお芝居をしていることもあればアンドリュースが気分転換に雑談してるんだろうな、って感じもあったり。
健人くんがいることで、アンドリュースも他の船員や乗客と同じように仕事をしている普通の1人の人間なんだってことが伝わってきて、前回の一人芝居より好き。

健人くんは『グランドホテル』『パジャマ・ゲーム』今回の再演『タイタニック』でサザーランド演出作品皆勤賞!おめでとう〜。
カメラマン、ベル、給仕係、三等客、通信士の同僚とか取っ替え引っ替え出てくるのですが、いずれの登場人物でもきちんとその役割を演じ分け、ハートリーで登場したときの華がすごいぜケントキノウチ!
ハートリーは歌手なので当たり前といえば当たり前なのですが、ソロが2曲もあるんですよね。
お客様を新世界へ運ぶエンターテイナーとして最後まで演奏し続けて職務を全うした彼の矜持が素敵。最後の立ち位置、おそらく「秋」を歌っていたときと同じ位置です。

耕平くんは、前回から変わらずブライド、一等客のセイヤー氏、お店を持ちたい三等客。
そういえば、ブライドくんは、冒頭のバレットの「さらば恋人 きっとすぐに帰るさ」(フラグ!)の後にソロで同じメロディを歌うんですよね、そして手紙にキス。もしかして、ブライドにも恋人がいたのかなぁ。
それとも恋人未満の想い人?だから、バレットのプロポーズを手伝いたくなったのかも…。
コミュ障気味だけど仕事ぶりは真面目。彼が通信のメモを握りつぶしてしまうシーンは彼の心も潰されてしまうような痛々しい表情でした。
バレットが恋人に歌う一節「どうか 神の祝福を」。
これがブライドによって、死者へのレクイエムとなる切なさと美しさに涙が止まりませんでした。

美しさといえば、やはりストラウス夫妻。
このお二方の佇まいと行動には、お金持ちだからではなく、人としてどうありたいかということが描かれているのだと思います。崇高で、気高くて、優しい。
そして、日本で上演されるミュージカルとしては珍しく、大人の愛を描写している稀有な例だと思います。

2人で最期まで共にする愛、相手だけは助かって欲しいと願う愛、一緒に生き延びようとする愛だけではなく、仕事に対する愛に生きた人々も描くなか、アンドリュースが人が蹴落とし合い死の淵でもがいている様子を歌うソロは、とてつもない皮肉だと思いました。

彼がタイタニックの中で見ていたのは、何だったのでしょうか。
設計士が主演(群像劇ですが)に位置付けられた意味を考えたいと思います。

2018年10月11日 (木)

タイタニック 10/6 12:30、10/9 12:30

@日本青年館
6日: S席1階D列 センターブロック
9日: S席1階J列 上手側

アンドリュース: 加藤和樹
イスメイ: 石川禅 スミス: 鈴木壮麻
戸井勝海、津田英佑、小野田龍之介
佐山陽規、安寿ミラ
相葉裕樹、菊地美香、栗原英雄、霧矢大夢
渡辺大輔、小南満佑子、屋比久知奈、豊原江理佳
藤岡正明、上口耕平、木内健人、百名ヒロキ、
吉田広大、須藤香菜

脚本: ピーター・ストーン
作詞・作曲: モーリー・イェストン
演出: トム・サザーランド

シンケンブルーとデカピンクとモアナがいても、船は沈むんだな…。

タイタニックという船は、新しい世界と古い価値観の境界線にいた。
新天地でたくましく生きていこうとする女性三等客、階級を乗り越えようとする女性二等客、速さを求める男性一等客とイスメイ、電報を駆使する通信士、電報の時代がやってくると受け入れる航海士。
一方、今までの経験に即して考える船長や客室係。

設計士のアンドリュースという人物は、世界一大きな船を設計する科学技術の知識を有しながら、船が氷山にぶつかったのは「神の意志だ」と嘆く、自らの中にその二面性を持った人物として描かれている。

アンドリュースは、船の速さについても(22ノット、もしかしたら23ノットまで)、浸水してから沈むまでの予測(1時間半、もって2時間)にしても、自分が自信を持って保証できる範囲と希望的観測を述べていますが、そのエクストラの部分が”神が味方をしてくれるなら”といったニュアンスを含んでいるように感じられます。
”自分の船”のことは自分がいちばんよく知っている。

しかし、イスメイはあくまでも”自分の船”が記録や伝説を作ることにこだわった。技術的に可能であること=実現可能であることではない、それがイスメイには分かっていない。

スミス船長は、自分こそが船長で、この船が海の上にいる間は全て自分の統治下にあると自負している。それをイスメイに邪魔されるたびに自分の方が上であることを示そうとして、本来の一番の任務である安全航行を疎かにしていく。

そうして、イスメイとスミスは、虚栄心からアンドリュースが口にした”神”の領域を侵し、人間は敗北することなった。
冒頭、生き残ったイスメイの目に光る涙は、愚かな自分への怒りや後悔なのか、乗客への贖罪なのでしょうか。

船がまさに沈もうとしているときに起こる通信室での三者の責任のなすり合いは、人間の醜さの極みを描写しているが、その脇で、最悪の状況から脱するために一心不乱に自分のできることをやり続けるブライドに人間の光を見ることができる。

氷山にぶつかる前にメモを握りつぶした耕平ブライドにスポットライトが当たるのが本当につらい。
それまでに彼の意見が船長に聞き入れられていれば...。

「この船の一番重要な場所へようこそ!」で、ブライドがどんなに自分の仕事に誇りを持っていたかが分かるし、機関士の藤岡バレットも、船長からの指示を伝えに来た木内ベルに「これ以上スピードを上げたら危険だ」と警告する場面があるし、そのベルも船長(マードックから)の指示を聞いた瞬間は「それは無茶だ」という表情をする。
乗組員はみんな”自分の船”に、自分の仕事に責任を持って動いていた。

登場人物の都合上、一等客室係のエッチスが三等客と言葉を交わす場面があるけれど、実際では持ち場がきちんと決められていて、他のエリアの客とは交わらないはず。
彼が階級によって人を見定めるような人物として描かれているのは、彼が古いタイプの人間であることを示唆しているけれど(反対にライトーラーは三等客の処遇について船長に意見を申し入れている)、彼の仕事は一等客をもてなすことであり、彼も最後まで自分の仕事に努めたことは間違いない。

最後の最後まで通信室にいたブライド。
船が沈むまで「秋」を演奏し続けたハートリーの楽団。

この船の船員は、皆、自分の使命を全うした。
人間の尊厳は、輝かしい名誉を手に入れることではなく、苦境に陥ったときにどのような行いが出来るかと、この作品の中では定義されている。


ふと気がついたのですが、この作品、乗客も仕事のことを多く話しているんですよね。
三等客は「アメリカで死ぬほど働きたい」と歌い、二等客のビーン夫妻は金物屋で手堅い商売をしていて、駆け落ちするチャールズは八百屋の息子だけどアメリカでスポーツ記者になりたいと目を輝かせる。
一等客のストラウス夫妻は、デパートの経営を息子に譲り、今後はどのような仕事をしようかと話している。

プロテスタント誕生時に、ヨーロッパ諸国では職業は天から授けられた使命であるという考え方が根付きましたが、産業革命を経験したイギリスでは、だんだんとその説は否定されていったそうです。自分に喜びをもたらす仕事と、ただただ厳しい仕事に分けられる、と。

しかし、タイタニック号に乗り合わせた人々の仕事観は、自分がどう生きたいか、どういう人間になるのかという指針に思えて、様々な愛が描かれているなか、自分にはなんだかお仕事ミュージカルの一面もあるのかな、などと思えてきました。

不真面目に仕事しているもんで、彼らがあまりにも純粋なのでそこに刺さったのかもしれません。










2018年10月 2日 (火)

ジャージー・ボーイズ WHITE 9/30 13:00

@シアタークリエ
15列センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴
ニック・マッシ: 福井晶一
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


グループの歩みを4人に聞けば答えは4通り、栄光にたどり着くまでに4つの生涯。

あのとき友達や家族はああいう風に考えていたのか〜、とふとした会話から気がつくことがありますよね。
『ジャージー・ボーイズ』では、Four Seasonsのメンバーが春夏秋冬の語りを未来からの視点で担当することで、それが明らかになるのが面白いところ。



この本の中に、リック・エリスとマーシャル・ブリックマンが『ジャージー・ボーイズ』の脚本を作るにあたり、ボブ、フランキー、そしてトミーから聞いた話の内容の食い違いが、作品を構成する上での重要な要素となった、と書かれています。

『ジャージー・ボーイズ』は2004年に試験興行が行われ、2005年に正式公演となりました。
劇中でも明かされるように、ニック・マッシは2000年のクリスマス・イヴにこの世を去っているので、生前のインタビューだったり、残された資料から丁寧に拾っているものだとしても、彼が立ち去った本当の理由...トミーの態度に我慢の限界がきたのか、ボブとフランキーに嫉妬したのか、本当に家族のもとに帰りたかったのか、そこに至るまでの思考は、誰も分かるはずがないのです。

だから、あの場面では、それまで過ごしたFour Seasonsとしての感情と俳優本人のプランが化学変化を起こし、また、観客側も自分の経験によってそれぞれが違う受け取り方をして、いっそう刺さる場面になっているのではないでしょうか。

この回の福井ニック、フランキーとボブが2人で未来のことを相談しているときに「抜ける」と宣言するときには、これから犯罪とか自殺でもしてしまうのではないかっていうぐらい壊れていて、今まで見たことがないニックでした。

「グループを解散するつもりはない」というフランキーはニックに絶対の信頼を寄せていたのだと思う。だって、歌を教えてくれたのはニックだから。
クルーに「シェリー」を聴かせる前に「僕とニックでヘッドアレンジをして…」と言っているように、ボブはニックの音楽的才能を理解していた。

フランキーとボブはニックも音楽で繋がっていてくれるものだと思い込んでいたのかな…。


同じ本からの引用になりますが、ニック・マッシが若い頃のことをこのように回想していたそうです。ところどころ、劇中のボブがフランキーの歌を聴いた場面の台詞と重なりますね。
「フランキーはいい声をしていた。個性的なね。素晴らしいファルセットが出せたが、あの時代、あれに似たようなものは誰も聴いたことがなかった。それはまったく予想もしないやり方だった。彼は働き始めるには若すぎたけど、人一倍音楽を愛していたね」

先日『BKLYN』というミュージカルを観劇したとき、”『ジャージー・ボーイズ』と一緒に見ると面白い”とツイートしたのだけれど(感想も書いた)、『ジャージー・ボーイズ』では、『BKLYN』の冒頭で提示された「おとぎ話の中には真実があり、真実の中にはおとぎ話がある」というテーゼを強く意識させられます。

『ジャージー・ボーイズ』は、Four Seasonsのドキュメンタリーではありません。
トミーのキャラクター造形も(上演されたとき、ご家族が「パパはこんな人間じゃない」と泣いたエピソードがあるそうです)、クルーの描き方も本人のパーソナリティとは異なる部分があると言われているし、作中に出てくる曲もその場面とは違う年代(「My Eyes Adored You」や「Oh What A Night」は1974〜75年発表の歌なので、オリジナルのFour Seasonsが歌っているわけではない)のものが採用されていたりします。

そんな中で、ひとつ真実なのは、フランキー・ヴァリという男が音楽に生き、ずっとずっとずっと歌い続けているということ。
84歳の今でも驚くべきスケジュールでコンサートを行っています(ウェブサイト)。

役に対して、俳優本人のバックグラウンドは必ずしも一致するものではないでしょう。
それでも、フランキー・ヴァリという役と中川晃教という稀代の歌い手の必然の出会いは『ジャージー・ボーイズ』日本版にとって最大の幸福だと断言します。

歌うことについて、歌を伝えることについて、真摯に向き合うアッキーだからこそ、私たちは「Who Loves You」で最高の愛を受け取れるのです。


フランキーの歌手としてのベースを作ってくれるトミー。「今日の歌よかったよ」の後のニヤッと、ボーリング場での「何笑ってんの」とトミーにツッコミを入れるフランキーのアドリブ、よかったなぁ。
フランキーにとって最初に自己肯定感、自分には音楽があると見出してくれたちょっと悪くてカッコいいお兄さん、それがガウチトミー。

ニュージャージーの仲間内ではいちいち口に出して相手の家族の心配はしないのかもしれないし、お金は持っている方が払うのが当然という考えなのかもしれない。
フランキーは”自分がどこから出てきたか忘れることはない”と言いますが、トミー自身は抜け出そうとしたけど、根本は”そこにいたかった”人なのかな、とも思ったり。そして、ニックも。
同じ場所で育ちグループを作って音楽をやったことが重要だった。

ロレインはフランキーを「昔のしがらみから抜け出せれば」と糾弾する。ボブは「昔馴染みの土地なんてクソくらえだ」という。

海宝ボブは音楽の才能だけではなく、存在自体があのグループの中では異質。
「今いる場所が僕の居場所」という彼は、グループが居場所なのではなく、自分の創造意欲を掻き立てるフランキーの近く、音楽ができる場所ということが重要だったのではないかと思わせる。

音楽という一点で繋がり合った彼らが、グループの危機を迎えたとき、海宝ボブは音楽が続けられる方向に舵を切るし、そのためなら、借金を背負ってでもフランキーをプロデュースする。実は天然のクラッシャーでは…?

誰もが音楽が好きでハーモニーでは多幸感溢れる「Cry For Me」が、実は崩壊に向けてのカウントダウンになり得るのがWHITEのいちばんの特徴ではないかな…と感じた東京MY楽でした。

私が観劇するのは1ヶ月以上先になります。
これから、クソいまいまし…くない、彼らのツアーが始まります。各地の皆様、お楽しみに!!

2018年9月29日 (土)

ジャージー・ボーイズ BLUE 9/27 14:00

@シアタークリエ
4列センターブロック(下手寄り)

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 伊礼彼方
ニック・マッシ:spi
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


BLUE東京マイ楽。今まで見た回より彼方くんがだいぶ抑えているように感じて、私的にはこれぐらいが好みでした。

トミーがtoo muchになると、グループの話というより、ニックが心優しき騎士、ボブが弟分の忠臣となって、フランキーを暴君から徹底的に守り、ロックンロール王国の王座に就かせようとする物語になってしまっているように見えて、それはそれで面白いのだけれど、描きたかったことからはズレてしまう。

前回、前々回鑑賞時は「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」のではないかというぐらいにフランキーのことしか考えてなかったボブが、今回はちゃんと才能ある音楽プロデューサーとしてフランキーに寄り添っていたし、フランキーも大天使ではなく最初から最後まで人間でした。

というのも、上で書いたように、春である程度わかりやすい形でトミーからの愛情が提示されないと、フランキーがトミーの借金を肩代わりすることに対して、ストーリーを知っていても「なぜだ…理解できない」「フランキーは大天使だからそんな選択ができるのか?」という方向に考えてしまう。

ニュージャージーのイタリア系チンピラはもっと荒くれ者なのかもしれないけれど、例えば本場のイタリアンよりも日本人に合わせたイタリアンの方が美味しく感じるように、日本人が受け取りやすい表現の仕方はあるのではないか、と考えています。

だからリアリティを追求することだけが正解ではないよな、と思う一方、フランキー・ヴァリはまだ存命で、今もコンサートで歌っている人物。彼を大天使のように扱うよりは、栄光を掴み、傷つき、どん底に落ち、それでも歌い続ける1人の男として演じるべきだとも思うのです。

彼方トミーが10代のフランキーを語る表情が優しかったり、2人で「真実の愛」を歌いながら真ん中のマイクに寄っていくとき、目を合わせて手をガシッと握るなど、トミーとフランキーの関係性が観客に分かりやすい形で垣間見えたのは、フランキーがこの先、夏秋冬を生きていく上でよかったと思いました。

トミーに「今日の歌よかったよ」って言われるところ、再演、WHITEだと思わずニヤっと笑っちゃうのに、BLUEだと”坊や”とからかわれたことをフランキーはずっと怒っている。たしか、初演のときは赤白ともにニヤっとしてたような気がするけど。
彼方トミーのあのからかい方は確かにカチンと来るよねー(苦笑)と思いつつ。

そうそう、spiニックが「Oh What A Night」のときサスペンダーをお腹側もクロスにして出てきたのを見て「こいつやべぇな(笑)」と思ったのですが、前もやってましたっけ?
あと、車の場面でジャケットの襟を全部立てて、
ニック「あなたに、中に、入ってきてほしいパ!」
ボブ「パ...?」
も「やべぇな(笑)」と思いました...。

穏やかで優しくてジェントルマンで繊細なspiニック、ここに来て面白キャラをぶち込んでくるとかとてもズルいわー。

ボブはニックが毎日同じ時間に起きて同じお酒を飲んでシャツに二度もアイロンをかける几帳面な性格だと明かすし、トミーと車に同乗したときは、借金について苦言を呈している。
ペシが言っていたように、”めちゃくちゃ”なトミーと正反対。
でも、音楽の才能に溢れたニックには、トミーの持つ「何か」に期待したかったし、そうすることが抜け出す道だった。

それが、自分たちはトミーの力よりも大きなアメリカンドリームを手に入れてしまったから、メッキが剥がれてトミーのやってきたことが表に出てきてしまう。

最初にノーマン・ワックスマンが登場する場面、ボブにもスポットライトが当たっているのは、あの時のボブは語り手として殿堂入りした後のボブで、グループの転換点を暗示していたのかもしれません。
あのときトミーが借金をしていなければ「Can’t Take My Eyes Off You」は生まれていなかったかもしれないのだから。
ボブはどう思っていたのかな。

この回のぴろしボブ、ジャージー式の契約をして「Oh What A Night」を歌い始める前に、何回も握手をした右手を見ていました。そこからの歌い出し「Oh What A Night〜」、ボブにとっては二重の意味でなんて素晴らしい夜だ!って感じだったんだろうなぁと微笑ましくなりました。
ぴろしボブはフランキーが「Can’t Take My Eyes Off You」を歌い始めてから、ソデに捌ける前の最後にフランキーの背中に向けて指をさすのですが、それはボブが追い続け支え続けたもので、「次はキミの時代だ」ともう1回後押しをしているのかな?とも思ったりして。

歌い終わった後のフランキーのちょっと心配そうな表情から、万雷の拍手を受けている間のホッとしたような表情までの変化が本当に素晴らしい。「ソロの僕を気に入ってくれなかったらどうしよう」という台詞をきちんと回収して、それ以上の喜びを返してくれるアッキーのお芝居。
それを私たちは”フランキーが素敵な曲を歌っているのを目撃する観客”としても受け取れる。その構造の巧みさは、『ジャージー・ボーイズ』でしか味わえないのではないでしょうか。

「どこまでも果てない あの本当の愛 まだ遠い」の歌い出しから始まる「Let’s Hang On!」
歌う〜長いモノローグ〜歌う〜ボブと話す〜後ろにコーラスを入れて歌う、という1曲の中で状況がくるくると変わる場面ですが、音楽とのタイミングはもちろん、アッキーが全部違う声でやっていることに驚愕します。

そして、「Can’t Take My Eyes Off You」「Working May Way」を立て続けに歌った後のモノローグも一切声がブレることはありません。

日本版『ジャージー・ボーイズ』で描かれるフランキーの強靭な精神力を支えているのは、アッキーのとてつもない努力とスタミナと作品に対する愛と献身に他ならないでしょう。
音楽に情熱を燃やし続けるフランキーと溶け合う瞬間を感じられるフィナーレを迎え、カーテンコールで、その思いを劇場全体で共有できるのは最高に幸せ。

カテコの最後の最後、4人で手を繋いで挨拶をして捌けようとしたとき。
アッキーが彼方くんとぴろしと手を繋いで、彼方くんが振りほどこうとしてもギュッとしたまま。結局spi先生が先導して3人繋がったままで下手ソデに捌けていきました。
かわいいなー。

2018年9月26日 (水)

ジャージー・ボーイズ WHITE 9/24 18:00

@シアタークリエ
6列下手側

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴
ニック・マッシ: 福井晶一
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


ようやく初日ぶりにWHITEが見られました!嬉しい。
これだよ、これ、このスピード感がWHITEの魅力。
ガウチくんのツイートにあるように、フランキーや仲間たちはその波に自然に乗っているし、私たちも一気に物語を追体験できる。
このスムーズさは、春から冬まで1曲の歌のように完成されているからなのだと思います。
WHITEは”こうなるべくしてこうなった”男たちの物語。

とにかくガウチトミーが最高に素晴らしい!
トミーとフランキーの鉄の絆を見せる春パート、青春の煌めきを感じました。トミーは弟分のフランキーが可愛くてしょうがないし、フランキーも何でも(ちょっと悪いことも)教えてくれるトミーに子犬のようについて行く。
2人のじゃれ合いがキュートで、WHITEはトミーとフランキーがニコイチで、トミーがロレインに手を出すまで、その関係性は続いているように見えました。

ボブがグループに入るときのトミーとフランキーの言い合いも、売り言葉に買い言葉で、2人が今までそうやってコミュニケーションを取ってきたんだろうと受け取れます。
だから、昔からの仲間のニックも新しく入ってきたボブも対等な立ち位置で意見を言い合っている。

BLUEのぴろしボブは意識的に(フランキーを守るために)グループの主導権を自分のもとに寄せているように感じますが、海宝ボブは、音楽やグループが歌うことに対しての意見は表明するものの、グループを運営することに関してはトミーを立てているように感じました。

だからトミーは自分をもっと良くもっと強く見せようとして借金を重ねてどうしようもなくなってしまう。そのやるせなさ。

トミーの欠点を挙げて「きみが酷い目に遭えばいいって本気で思ってるよ」と告げるときのフランキー、WHITEではとても悲しい。本心はその正反対で「グループを解散するつもりはないから」、借金を肩代わりしようとする。自分がどこから出てきたか忘れない。
「Beggin’」で、トミーにこれ以上のことを起こしてほしくないように請い(beg)、1回目の「STAY」で涙を目に浮かべて歌うアッキーフランキーの思いに胸を打たれました。

一方、この状態では音楽を続けていけなくなるから、「金を払って除名しよう」と言い放つボブは冷静で、強かにここでグループを掌握する。
でも、ニックが望んだのは、ボブがリーダーになるグループに留まることではなかった。

「今はボブがグループを回している、フランキーはもうトミーの弟ではない」
トミーがもう戻れないところまで来てしまったことを表すニックのセリフ、福井ニックは自分にも言っているように聞こえました。
「自分のグループを作るかな」と言いかけても、トミーに止められる。それで納得する。トミーがリーダーでフランキーがいて自分がいる、それが彼がいるグループ。

福井ニックから感じたのは、前に出て歌いたいという気持ちよりも、フランキーに音楽を教えたのは自分なのに、という自尊心。ボブに対する嫉妬、なのかもしれません。

ボブは、エピローグで彼の現在の生活が快適で安定して平和であることを話します。ぴろしボブはそうありたかったのに、自ら激動の中に飛び込んでしまいますが、海宝ボブは、ある意味天然の天才でマイペースを貫いているように見えます(それもニックには羨ましかったのかも)。
冬のパートで「ジェットコースターに乗っているようだ」とつぶやくフランキーには、穏やかな凪いだボブの存在は慰めになったのだろうなぁ。

でも、海宝ボブは自分の音楽の手腕には相当自信があって、それが自分がフランキーの近くにいる意味だと思っているようにも感じられます。
「Can't Take My Eyes Off You」のレコードを出したいとクルーに相談に行く時、海宝ボブは「この曲はヒットする」ことに確信があり、上からフランキーに対して「ほらね、自分の言ったとおりでしょう?」というサムズアップが印象的。
フランキーを最高に輝かせるのは、自分。
ボブ・ゴーディオ氏は『ジャージー・ボーイズ』を上演するにあたり、フランキー役のオーディションを課していますが、なんとなく海宝ボブの裏方気質と地続きのようにも思えました。

WHITEのハーモニーは何と言っても福井さんの低音が効いているのが最高。バンドでもそうだけど、やっぱりベースって大切。そこに意外にも甘い声のガウチくん、声量と安定感のある海宝くんが合わさると栄養たっぷりというか、脳が気持ちよくなって、アッキーの声が降り注ぐともはや天国。さすが天使の声。
それと、ガウチくんというスーパーダンサーがいることで(福井さんも踊れますし)、ちょっとした振り付けもすごく華やかに見えます。これはWHITEだけの特権かも。

この回、下手サイドで見ていたので、本編中の「Oh What A Night」でアッキーフランキーが上手ソデに捌けていくとき、オケの近くで8カウントぐらいノリノリで脱いだジャケットを振りながら身体を揺らしてたのが見えました。とてもかわいい。
それと、カテコの日本語詞のとき、大音くんのシャウトの後にアッキーが引き継ぐように自由自在にフェイクを操っているのですが、バックアップセッションでフランキーが好き勝手にハモるときのようで、それを見守るメンバーもあの場面のように「来た来た(笑)」という表情をしていたのがとてもよかった!

英語詞カテコに入ると、ガウチくんが「明日は休み(休演日)だー!」と飛び出してきて、海宝くんが「Oh What A Night」を歌う後ろで、アッキーと回転して戻る振付の距離と勢いを競争してたのが、春のトミーとフランキーのじゃれ合いのリプライズのようで微笑ましかったなぁ。

最後は3回挨拶に出てきてくれて、ボブとフランキー、トミーとニックで上手下手に別れて、アッキーとガウチくんが手を上下にパタパタさせながら捌けていきました♥︎

2018年9月24日 (月)

THE MUSICAL -BKLYN- WEST 9/22 12:00 EAST 18:00

@上野ストアハウス
WEST: D列
EAST: A列

キャストはWEST/EASTの順。
ブルックリン: 青野紗穂/RiRiKA
パラダイス: エリアンナ/塚本 直
フェイス: 尹 嬉淑/香月彩里
テイラー: 高橋卓士/染谷洸太
ストリートシンガー: 長尾哲平/吉田純也

脚本・作詞・作曲:
マーク・ショーンフェルド&バリー・マックファーソン
翻訳・訳詞: 金子絢子
演出: 奥山寛 

ニュージャージーをちょっと離れて、お隣、野球チームの本拠地のあるニューヨークの片隅に行ってきました。
『ジャージー・ボーイズ』と相互作用するような物語で、この時期に両方とも上演されたことが素晴らしい。

おとぎ話には、少しだけ真実が混じっていて、真実の中にはすべからくおとぎ話が混じっている。
ニューヨークの雑草、ホームレスのストリートパフォーマーの”ファミリー”たちによる劇中劇という形を取り演じられる父と娘の物語。

あらすじはホームページからどうぞ。

2人のブルックリン、びっくりするぐらいアプローチが違うように見えました。

紗穂ブルックリンは「父親を探すために歌う」
RiRiKAブルックリンは「歌えば父親が見つかる」
紗穂ブルックリンの歌は届けたい「願い」で、RiRiKAブルックリンの歌は届く「確信」がある。

紗穂ブルックリンとRiRiKAブルックリンのいちばんの違いは、父親に「会いたい」という感情が思慕によるものか憎しみなのか、なのだと思います。

紗穂ブルックリンにとって父に会うことは母から受け取った最後のメッセージを叶えることで、RiRiKAブルックリンにとって、父は(間接的であれ)自分から母を奪った憎むべき存在という側面の方が大きかったように思えて。
だから、マチネで紗穂ブルックリンを見て、ソワレにRiRiKAブルックリンを見たので、テイラーを問い詰めるRiRiKAブルックリンの剣幕に驚いたんですよね。

歌で名声を得たパラダイスとしては、ブルックリンのように歌を”手段”にしている人は許せなかっただろうなぁ。

エリアンナパラダイスはひたむきな紗穂ブルックリンに対して完全なヒールで、スーパーDIVA。
直パラダイスは気っ風のよい姐御で、したたかなRiRiKAブルックリンが気に食わない感がありあり。

もう2人のパラダイスがかっこよくて!
悪趣味スレスレ(劇中では下劣な、とも言われていますが)の振り切ったパフォーマンス。

エンターテインメントと資本主義の国、アメリカ。
勝者が名声を得る国、アメリカ。

その国で勝ち続けてきた彼女が望んでも手に入れられなかった物を歌うソロバラードは泣きました。
彼女はそれでもアメリカのSuperLoverであり続けるために、どんな手を使ってでも勝ち続けるのでしょう。一度名声を得た人が負けることほど、みじめなものはないのだから。

そう、テイラー・コリンズのように。

ベトナム戦争の英雄にして、今はヘロイン中毒のブルックリンの父親。
彼が愛した人・フェイス、その意味は”Faith=信念”。彼にとってフェイスは生きる意味だった。
音楽を愛しギターを奏でた手で銃を操作してたくさんの人を殺して名声を得ることは、彼の望んだことではなく、信念と現実の乖離に苦しむだけ。

高橋コリンズはブルックリンの来訪に怯え、染谷コリンズは心を閉ざしたけれど、長尾ストリートシンガーはブルックリンを見守りたかったし、吉田ストリートシンガーは一緒に歌いたかったんだろうと思う。長尾シンガーの優しい眼差しは高橋コリンズがフェイスとブルックリンに向けたかったもので、吉田シンガーの力強い歌声はRiRiKAブルックリンとの繋がりの証。

どこまでがおとぎ話でどこが真実か。
語られる真実が誰にとってのものなのか。
それは観客には関係ないこと。
ブルックリンという名前の街があることは事実。

ただ、アメリカという国にはときどきとんでもない夢を見させる力がある。例えば、街灯の下で歌っていた青年たちがロックンロールの殿堂入りをするような。


フェイスが残した言葉「涙は薔薇を育てる」→ エポニーヌだ!
ベトナム戦争後のPTSDに苦しむアメリカ → ミス・サイゴンだ!ドッグファイトだ!SONGWRITERSだ!
と、今まで見てきた作品のエッセンスを感じながらも「BKLYN」はリアリティとは一線を画した様々な”見立て”によって、逆にエピソードやキャラクターの本質が浮かび上がってくるようで面白かったです。

ニュージャージーの街灯の下で音楽を始め世界的人気グループになった若者たち、彼らの物語もきっと真実の中におとぎ話があり、おとぎ話の中に真実があるのだろうな。本棚の隣同士に並んだ2つの物語を読んでいる気分になりました。


より以前の記事一覧

その他のカテゴリー