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中川晃教

2018年9月22日 (土)

ジャージー・ボーイズ BLUE 9/19 19:00

@シアタークリエ
10列センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 伊礼彼方
ニック・マッシ:spi
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎

「8小節聞いただけで、ぼくはこの声のために曲を書かなければならないと思った」
「そこにいるボビー坊やも、誰のために曲を書くべきかわかるだろうね」
「いろいろうまくいったら、ホーンセクション全部入れてもいいんじゃないか」

『ジャージー・ボーイズ』というミュージカルの中で、「Can’t Take My Eyes Off You」はボブ・ゴーディオからフランキー・ヴァリへの最高のプレゼントで、ボブ・クルーに対する数年越しの満点の答案なんだろうと思います。

なぜ、そのときのフランキーのジャケットが黒なのか。
日本版独自の衣装を振り返って、赤(春)、黄(夏)、青(秋)を全部混ぜた色だから、ではないかと思いつきました。それまでの道のりがなければ、あの曲は生まれなかった。

「Can’t Take My Eyes Off You」の後のショーストップは、客席もそれまでの道のりを共有しているから起こるもの。そして、それを実現できるのはアッキーの素晴らしいパフォーマンスがあればこそなのです。

舌ったらずに「I Can’t Give You Anything But Love」を歌って、女の子にキャーキャーされるのを嬉しそうにする少年時代から、「そこにあるのはただ音楽だけだった」と彼の来し方や出会ってきた人々すべてを包み込んでしまうとてつもない大きさを持った男まで、それを3時間足らずの間に表現できる中川晃教という存在を言祝ぐしかない。

チケットの確保状況の都合上、BLUEが続きました。

「僕たちの未来に誰も巻き込みたくないんです、僕とフランキー以外の誰も」というボブの台詞を聞いた後のspiニックの真顔で客席の方に向くリアクションが、とてもアメリカ的。客席から起こる笑いもシットコムドラマのようで。

それに近いものを最近見たなぁ、と思っていたのですが、ふと先月行ったスヌーピーミュージアムだ!と思い出しました。
スヌーピーに不意打ちをくらったりルーシーにやり込められたときのチャーリー・ブラウンと一緒。
めちゃくちゃなのはスヌーピーやルーシーの方で、チャーリー・ブラウンはいたって普通の(でもちょっと変な)男の子。

ニックはハーモニーの天才だし、女性にめちゃめちゃモテるから”普通”とは言い難いのかもしれないけれど、トミーのように悪事に振り切れず、人の作った借金を背負うという正気の沙汰ではない選択をしてしまうフランキーとボブを見て、自分はあの位置まで行けないと思ってしまっても無理はないような気がします。
でも、あのグループの、あの状況の中で”普通”でいられたニックが実はいちばん凄いのでは…?

ぴろしボブは初日より前回観劇時、前回より今回と、かなり怒りや苛立ちが激しくなっていて、フランキーを傷つけるものは許さないという意志は、まるで、サバンナで自分の子どもを守るために大型肉食獣に立ち向かう草食動物のお母さんのようにも見えます。

それは握手をする前、フランキーがトミーに「別のリードボーカルを探せ」と楯突いてまでボブをグループに入れてくれたところから始まってるのかも。

そうそう、そのジャージー式の契約をするとき、ものすごい音がして、手を離したときに同時に「いってぇぇぇ」というように苦笑しながら、手をぶらぶらさせるアッキーフランキーとぴろしボブがめちゃくちゃかわいかった!
「そういうこと(正式な契約)したい?」って聞くフランキーがちょっと不機嫌で、フランキーにとってはもうボブは“ファミリー”だったんだろうなぁ。

伊礼トミーはTV収録だとスタッフの女の子に手を出していて「自慢話をベラベラしたり、女を置いておくアパートを買うのに忙し」い様子が分かりやすい。
そして、やっぱりジップの家に呼び出されても悪びれる様子がないのが、伊礼トミーなんですよねぇ。
ボブが未来を見据え、ニックが苦しみながらもグループの調和を重んじ、フランキーが自分のやりたい音楽について目を輝かせていたとき、トミーは自分のことしか考えていなかった。

「何か」を必要としていた若者たちが、それぞれ別の道を歩いていく中、彼だけがその「何か」の答えを見つけられなかったのだとしたら、哀しい人間ですね…。


前回書ききれなかったシングルキャストの感想なども。

まりゑちゃんのフランシーヌ。電話でフランキーに不満をぶちまけるシーンの口ぶりに、パパに甘えたいときにパパがいなかった寂しさを感じて、実年齢差3歳の親子(ちなみにママのびびメアリーの方が娘より1歳下)すごい。少女性ではなく、”子ども”を感じさせる女優さんって稀少な存在だと思います。

反対に、オトナな女性を一手に引き受けたのがるんちゃん(遠藤瑠美子ちゃん)。僕にもそのクリスマスプレゼントください(真顔)。
るんちゃんの役で初演から特に好きなのは、教会に忍び込んで「真実の愛」を歌うときのニックの恋人役。フランキーの歌声に表情が変わる瞬間がとても鮮やかで3人のコーラスワークが美しい。

白石くんと山野くんは、クソバカ野郎コンビのテンポ感に磨きがかかっています。
白石くん、ボウリング場の店員のときに、追い詰めるのはトミーなのに、なぜか通りがかりにボブに対する当たりが強くてちょっと面白い(笑) 今回、フィナーレで客席降りしてくれるとき、通路に近い座席だったので斜め前でピッカピカの笑顔で振り付け指導しているのが見えました。爽やか!

山野くんも警官だったり、ブリルビルディングでフランキーにムチャ振りする人だったりするのですが、「Bye Bye Baby」で街中をうろつくフランシーヌを狙う男として、この物語中ただ1人悪意を纏った人物を演じていることに注目。その時は助かったけど、フランシーヌの未来を暗示しているようで少し不気味なのです。

そして!阿部兄!!
ジップ・デカルロの鷹揚とした振る舞いは威厳の塊みたいなのに、ラジオDJの軽薄さといったら!何そのエベレストと高尾山みたいな高低差(笑)
もし、会計士の彼がトミーの借金について何か知り得て、対策を取っていたらどうなっていたんだろうと考えてみたり。

『ジャージー・ボーイズ』はフランキー・ヴァリとFour Seasonsの物語だけれど、彼らを支え、別れ、時には打ちのめし、形作ってきた人たちが魅力的であればあるほど、より物語が豊かになるのだと思います。

2018年9月14日 (金)

ジャージー・ボーイズ BLUE 9/13 19:00

@シアタークリエ
14列センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 伊礼彼方
ニック・マッシ:spi
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎

本編の最後の最後、「Who Loves You」の終わりでFour Seasonsの4人が客席から見て左からボブ、フランキー、トミー、ニックの順でセンターに集まるとき。

ボブとフランキーが自然に近くにいて、少しフランキーとトミーとの間が空いていたのですが、彼方トミーがフランキーをボブからひっぺがして自分の方に寄せてその肩に手を回し、もう片方はspiニックに。そしてドヤ顔。
苦笑しながら「おい〜」というふうに眺めるぴろしボブ。
みんなフランキーが大好き、それがBLUE。

この物語のすごいところって、全てが丸くおさまって大団円というわけではないところだと思うんですよね。
ロックの殿堂入りのときに、トミーに誘われてもフランキーは彼の部屋に行かなかった。行くことができなかった。

フランキーはそれまでもいろいろ嫌な目に遭っているのに、トミーの借金を背負った。彼と世に出たってことは、それだけで鉄の絆だから。
20年の間、地を這うように努力をして復活、借金を完済。大衆から愛された証の賞をもらっても、フランキーにとってトミーのしたこと全てを受け入れることは出来なかった。フランキーは神でも聖人でもない。だからトミーを赦すことは出来ない。

その思いは、古くから一緒の、フランキーの大好きな頭脳明晰なニックでさえ理解できなかったもので、フランキーとトミーとニックは全てを分かち合ったわけではない。(そもそも、ボブは「(トミーと)きっぱり縁を切る」と言い放っている)

それでも、フランキーの原点は街灯の下で仲間と奏でたあの音楽で、彼が帰ろうとしているのは音楽という家族のもとで、彼が最後に誰に向けて「Who Loves You」を歌っているのかと考えると、私たちにとってフランキーは光であり大天使なのです。
うぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーん(涙)

前回も書いているのですが、特に春〜夏、フランキーはspiニックが大好きなのがよくわかります。トミーやボブが観客に向けて話しているとき、いろいろオフマイクで話しているように見えるのですが、ニックに懐いているのが体格差もあいまって、とてもかわいいのです。

それが「僕の心を本当にとらえたのはニックだ」というフランキーの冬の始まりのモノローグに説得力を持たせている。脱退してからも機会があればフランキーに会いに行くニックは、ボブとは違う部分で彼の支えになっていたのだと思います。

ボブはボブで、借金を背負うと宣言したフランキーを受けて、トミーに「これでいいのか?」って聞く場面で、たぶん今まででいちばん怒りの感情が表に出ていて、ボブもまたフランキーの盾になろうとしている様子が伺えました。

本当にフランキーが好きだな、BLUEは!笑

フランキーは、初演よりも能動的になっていて、少しだけチンピラというかヤンチャ感が出ています。特にジップに対して「デカルロさん」と呼びかける部分、きっとトミーや街の悪い仲間がそう呼んでるから真似してみたんだろうな、と。かわいい。

ブリルビルディングのフランキー。
「こんにちは!僕たちフォーラバーズです!!デモテー...(バタン)...プ」の間(ま)とか、最後の山野くんのときに胸ぐらを掴んで歌を聴かせるのとか、とてもかわいい。

「Walk Like A Man」後の控え室で、ボブとジャージー式の契約をする前、ボブの話を聞いてるときに椅子じゃなくてドレッサーの方に行儀悪く腰掛けていたり。初演から見ていても、あれはこの回で初めて見たなぁ。
うんうん、ジャージー育ちのフランキーと優等生のボブとの対比が鮮やかに見えて、すごくいいよね(ペシ風に)。


フランキーは、Four Seasonsからの、そして観客からの愛を一身に受けているのに、いや、だからこそ、自ら愛した女性とは上手くいかないのかもしれません。

びびメアリー、「ハーイ、トムーチ!」の一言で「こりゃ未成年のフランキーには手に負えないぞ」感が出ていて最高。うぶなフランキーを手玉に取る感じも最高。いい香りだよね、せっけん。

フランキーと結婚したメアリーは、もう赤いドレスは着ていないし、上、もしくは外に抜け出すどころかどんどん墜ちていく。もしかしたらフランキーだけが突き抜けて上に行ってしまっただけなのかも。
そしてメアリーには狭義の意味でのファミリーしかなかったけれど、フランキーには大切なファミリーが他にもあるんですよね。

まりちゃんロレインは初演よりフランキーの”才能”に惹かれているような印象を受けました。フランキーが100万ドルの墓穴から這い出るために地道にこなしている仕事は、彼女にとって「面白くない」。だから別れる。
ジャージー式のやり方と相容れない合理的な思考の持ち主。

よりポップに進化したのがもっくんボブ・クルー。
実際には、クルーはオープンリーゲイではなかったようですが、もっくんクルーの素晴らしいところは、そのセクシュアリティはクルーの数ある個性のひとつであり、クルーが音楽に関しては厳しい目(耳?)を持ち、有能なプロデューサーだとわかるところだと思います。
でも、フィル(音楽技師の彼氏)とはずっと仲良しでいてほしい。

そのフィルである大音くんは、ハンサム・ハンクでもありますが、オハイオ州の田舎訛りの警官として、バンバン笑いを取っています。頼もしい!
彼のブログを読むと分かるのですが、劇中でFour Seasonsがテレビやステージでパフォーマンスするときは、大音くんと小此木まりちゃんが、フランキーと同じパートを歌っています。
その大音くんが英語歌詞カテコの「Walk Like A Man」でリードを取っているのが本当に嬉しい。
また、劇中では舞台奥にいるので見えにくいかもしれませんが、「Oh, What A Night」でシャウトしているのも彼です。

3回見て、1回目カテコの「Oh, What A Night(日本語版)」のとき、シャウトの前にアッキーが大音くんのお尻を「行ってこい!」という感じで軽く叩くのが定番になっているようですが、この回、それで大音くんがすごく頑張ってるのが嬉しかったのか、アッキーもその後ものすごいフェイク入れてきて、パフォーマンスで引っ張るアッキーならではだなぁ、と思ったりして。

石川新太くんが演じるジョー・ペシ。
初演では、対トミーで関係性が完結していたように思えましたが、再演では「Cry For Me」の最後に向かい合って歌うなど、フランキーとの絡みも地元の(ちょっと)怖い先輩後輩のようで微笑ましいです。
注目は、トミーとボブが契約について話しているのを待っているときの、フランキーとニックにちょっかいを出されるペシ。特にフランキーはまだペシが作業しているギターケースの蓋を閉じたり、小突いたり、おいたが過ぎる(笑) ストーリーのメインは上にいる2人なのに、ついついこの3人を目で追ってしまいます。

あぁ、また長くなり過ぎた!

Four Seasonsのメンバーだけではなく、彼らを支え、多くの役を担っているシングルキャストたちが、再演ではストーリーをより豊かに彩ってくれています。
今回触れられなかった方々は、次の機会に。




2018年9月 9日 (日)

ジャージー・ボーイズ WHITE 9/7 19:00、BLUE 9/8 18:00

@シアタークリエ
9/7 : 1列目下手サイド
9/8 : 18列目センターブロック

Wキャストは7日WHITE/8日BLUEの順
フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴/伊礼彼方
ニック・マッシ:福井晶一/spi
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人/矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


2組7名のOUR SONSが帰ってきた!!

ボブ・ゴーディオは、僕らをトップまで押し上げたのは一般大衆だと言います。
トミー・デヴィートは、ロックンロールの殿堂入りは一般大衆が支持してくれたからもらえたのだと言います。
Four Seasonsはアメリカという大きなファミリーの息子たちとして愛されたグループなのです。

WHITE の初日のカテコでアッキーが「客席の皆さんもおかえりなさーい!」と言ってくれたとき、BLUEのカテコで彼方くんが観客を”5人目のメンバー”と言ってくれたとき、一般大衆とFour Seasonsの関係性とシアタークリエの客席と舞台上が重なりました。
「誰より愛をくれる人は誰?」その答えがここにあります。

舞台の座組はカンパニー(仲間)と呼ばれますが、『ジャージー・ボーイズ』では作品の中にいくつものファミリーが出てくるように、ファミリーという言葉がぴったりだと思います。キャスト、スタッフ、そして、観客たちもそのファミリーの一員に迎え入れてくれる温かさがあります。

私たちは彼らのように刑務所に出たり入ったりもしなければグループを結成してデビューしたりすることはないだろうし、マフィアとお付き合いしたこともないでしょう。
でも、フランキー・ヴァリがグループを通して春夏秋冬を辿るように、私たちも人生の中で順番や期間やインパクトは違っても誰もが春夏秋冬を経験し、家族や友人との距離感が変化したりその関係に悩んだりしているから、聖人ではない彼らに親近感を覚えるのだと思います。だから、“ファミリー”。


抜群のハーモニーがさらに進化したWHITE。初演の経験値を踏まえた上でゼロから構築した新しいFour Seasonsの物語は良質な白ワインのように爽やかだけど芳醇でキリっと引き締まっている。

新メンバーを迎えて新しくスタートしたBLUE。“Azzuri”と呼びたくなるような、イタリア男たちの栄光と陰。ピザのトマトソースのように味わい深くちょっぴりスパイシー。

初演では、REDのチーム色を特徴づけていたのはぴろしボブ、WHITEはガウチトミーだと感じましたが、再演WHITEを見てガウチトミーのスピード感が大好きなことに変わりはありませんでした。一方、BLUEはspiニックの穏やかさがキーポイントかもしれないと思いました。「こうきたか!」というニック像、とても興味深いものがあります。

ニックは登場シーンからしてガールフレンドと一緒だし刑務所から出てきたときも隣には彼女がいるし女遊びが激しい人物だけど、女性にモテるってことは魅力的な人であることは確かで、spiくんはニックを知的かつ穏やかな人として作っていました。地声が若くて甘いのもギャップ萌え。
そして、フランキーに対する溺愛っぷりがすごい(笑) 中の人の実年齢と逆転してるけど、弟が可愛くてしょうがない兄、ジェントルマンでかっこいい兄貴が大好きな弟というように、音楽を教えてくれたニックを尊敬して慕っているというフランキーの言動がより鮮やかになったように感じられました。

秋。福井ニックの爆発は、今まで我慢してきたことがどうにもならなくなって噴出した抑えきれない怒りとここでしか自分の意見を言えなかった悲しみを感じます。一方、spiニックは淡々とフランキーたちに自分が盾になっていたことを話していて、その理性があったからグループを存続させるために自分を抑えていたんだろうなと思わせる説得力がありました。

初演のとき、演出の藤田さんが”終わらない青春”をキャッチコピーに掲げましたが、そのイメージに、ガウチくんのしなやかな身体がすごく合致していた記憶があります。

ガウチくんのトミーのええかっこしぃ感は地元の後輩にいい顔見せたい先輩のようで、かっこいい自分でいるために悪ぶってマフィアに取り入ったり、借金を重ねてどうにもならなくなってしまうやるせなさ感が好き。

初登場の彼方トミーは、ニュージャージーでイタリア系に生まれた以上、マフィアと関わるのは当然のことっしょ?的に悪いことするのに躊躇がない感じ。”ファミリー”としてフランキーは可愛い弟で、自分の保護下にいて当然だと思っているふてぶてしさ。
その出自ゆえに、ボブとフランキーが音楽に邁進する姿を斜に見て、転落していってしまう様が愚かで哀れに見えました。

ボブの在り方として、海宝ボブは「フランキーの声を生かす才能のある僕が支えて頑張る」、ぴろしボブは「フランキーと一緒に頑張る」。それもチームカラーに表れていると感じました。
WHITEではトミーやニックはボブの才能に彼らから一線を引いているように見えるし、BLUEは彼らの末っ子の”かわいいフランキー”がボブに取られてしまうことで徐々にグループに亀裂が入っていく。

海宝くん、初演より良い意味で「スポットライトがしっくりこなかった」感に”ウソつけー!”感がなくなっていて、フランキーの歌を聴いたそのときから「どうしたらフランキーにもっと良い曲を歌わせられるのか」というプロデューサー的な視点で彼に寄り添い続けている姿がありました。ご本人のミュージカル知識などに見えるマニアックな性格にも通じるところがあるような…?

フランキーとボブは実際には、8歳の年齢差があるのですが、アッキーフランキーとぴろしボブはニコイチ感がとてもかわいい。REDからBLUEに変わっても、その雰囲気が変わっていなかったのが嬉しかったです。むしろ、トミーとニックがイタリア的な”ファミリー”の絆でフランキーを可愛がっていたので、フランキーがボブと出会って初めてトミーに逆らうシーンがよりドラマチックに浮き上がったと思います。

新メンバーといえば、もう1人、畠中洋さん。
初演・戸井さんのワックスマンは、マフィアのフロント企業のデキる社員みたいな雰囲気だったけれど、畠中さんのワックスマンは、ジャージーの男たちの成り上がりの手段としてマフィアの道を選んだ感じがして、トミーの兄のニックも演じていることもあって、スターになれなかったトミーの姿を見ているようでもありました。

さて、世界に宣言しよう、中川晃教は最高の歌い手、俳優だと。初演から何万回も言っているけど、君こそ奇跡の存在。でも、アッキーがこの役に巡り会えたのは奇跡ではなく必然なんだと思います。

アッキー本人も言うように、フランキーを演じる人が他にも出てくることが、アッキーにとっても日本のミュージカル界にとっても必要なことだと思うけれど、ずっとずっとずっと音楽を追い続けるフランキーとアッキーの親和性が私たちの心を完全に射止めてしまったのだから。

再演のフランキー、春の少年っぷりが本当に少年なので、夏、秋、冬と成長して青年・壮年・最後の初老期まで見ていく中で「あのかわいいフランキーが!」という感覚が、少年時代から関わってきた特にBLUEのトミーとニックと観客で共有できるのが面白かったです。

仕事とプライベートの絶頂とドン底、”ファミリー”の確執、新しいガールフレンドとの出会いとすれ違い、低迷期からの復活と人生最大の試練…。
3時間でジェットコースターのような約40年を演じますが、劇中の経験を取り込んで年齢の変化を感じさせていて、ただ時間が経過しただけではなく、実際のフランキーが考えて行動している、キャラクターの一貫性がしっかりとした役づくりに驚嘆しました。
アッキーは”歌”で評価されるし、自分でもそれが強みだって言ってるけれど、勢いに任せず、台本から緻密に役を作る丁寧なお芝居も素晴らしいと思っています。

天使の歌声。
こうやって書くのは簡単だけれど、キャスト、客席全員が納得するように表現すること。できること。それは想像を絶するような努力の積み重ねの上に培われたものでしょう。

トミーが、ボブが耳にした途端に特別だと思ったトワングという歌唱法を駆使した高音はもちろん、「My Eyes Adores You」や「Fallen Angel」など、フランキーがプライベートで喪失感を味わったときに歌う際の、そのまま溶けていってしまうのではないかという透明感に涙を誘われました。

初演から2年、その間、ものすごい仕事量を抱えながら、(5月にはコンサートもあった)この『ジャージー・ボーイズ』再演のためにフランキーの声のトレーニングを続けてきたアッキーに、心からの尊敬と永遠に鳴り止まないアプローズを。

さて、この2回は再演のスタート。
アンサンブルさんのこととか、まだ書けていないこともたくさんあるので、次回の観劇が楽しみです。
みんな体調に気をつけて(by中河内雅貴)!!

2018年7月 2日 (月)

銀河鉄道999 〜GALAXY OPERA〜 6/27 18:30、6/30 12:00 東京千秋楽

@明治座
27日: B席 3階正面1列目
30日: A席 2階左側1列目

星野鉄郎: 中川晃教 メーテル: ハルカ
機械伯爵: 染谷俊之 リューズ: 矢沢洋子
シャドウ: 雅原慶 クレア: 美山加恋
車掌: お宮の松
大山トチロー: 入野自由
鉄郎の母/トチローの母/プロメシューム(声): 小野妃香里
アンタレス: 塚原大助
クイーン・エメラルダス: 凰稀かなめ(特別出演)
キャプテン・ハーロック: 平方元基

岡崎大樹 高木裕和 高橋里央 出口栄一
富田大樹 長尾哲平 中島大介 バレッタ裕
藤田勇紀 森内翔大 森田カ斗
安里唯 池田美千瑠 新橋和
望月ちほ 安室夏 横関咲栄(男女別・五十音順)


原作・総監修: 松本零士

脚本: 坪田文 作詞: 石丸さち子
演出: 児玉明子
映像演出: ムーチョ村松
銀河鉄道999テーマ曲: 中川晃教
音楽: 久保田修

『銀河鉄道999』は40年の歴史と作品愛ゆえに、昨今の2.5次元舞台ブームに連なるような「舞台化されたらファンが喜ぶ」という図式は成立しない。
作品のファンは、コミックスとアニメを何十年も聖典とし、その図柄と声を自らの中でいわば神格化している、とも言えるでしょう。原作者が総監修に当たるとはいえ、素人目から見ても舞台化するにはリスクが高過ぎる。

また、普段から「観劇する」という習慣を持った人ではないと、直接劇場に足を運ぶというのはハードルが高いそうです。
作品が好きな人たちの中で舞台に好意的な興味を持った人たちがいたとしても、実際に来てくれる人はその数%に過ぎないのではないでしょうか。

ハーロックは「男なら危険を顧みず、死ぬと分っていても行動しなければならない時がある」と言いますが、キャスト・スタッフは原作ファンの批判という”危険”を十分に覚悟したうえでこの作品を送り出しました。

私が主演の中川晃教さんのファンで、時折知らされるハードな稽古の様子から彼の努力の成果を肯定したいがゆえの妄言と言えばそれまでですが、時間も空間も制限される舞台というフィールドで『銀河鉄道999』を表現できたのは、星野鉄郎が役について考えて考えて考えぬくアッキーだからだと思います。

鉄郎は最初、エメラルダスやアンタレスに”坊や”とか”坊主”って呼ばれるけれど、機械伯爵には”青年”って呼びかけられていることに気がつきました。
そこに至るまでの約2時間、子ども時代(お母さんとのシーン)があり、旅に出て様々な経験をし、鉄郎は少年から青年に成長する。
声、話し方、目の力、表情、姿勢、歩き方...舞台上のアッキーの全てでその変化を感じられました。

鉄郎はお母さんとトチローの母にハグされたり、シャドウに抱きつかれたり、クレアに盾になってもらったり手を取られたり、ハーロックとトチローに肩やら頭をポンポンされたり、メーテルに頬を触られたり、エメラルダス様と機械伯爵に顎クイされたり...と、スキンシップを一身に受けるのですが、アッキーの表情とリアクションで、鉄郎の相手に対する気持ちが分かるのです。

感情の動きを投げっぱなしにするのでも押し付け過ぎることもなく客席に届けるスキル、それがアッキーのすごいところだと思っています。


調べてみたらGALAXYという単語には、銀河という意味のほかに「華やかな集まり」という意味もあるそうです。

曲数は多くはないけれどバラエティに富んだ曲や、各ジャンルで活躍するキャストたちもGALAXY OPERAという副題にピッタリでした。

作品のファンが「なぜ鉄郎やメーテルが歌うのか?」とふと現実に戻されてしまったとしても、再現度の高い車掌とアンタレスがいること、圧倒的な美でねじ伏せるエメラルダスとハーロックがいること、リューズが美声でギターを弾き語りしてくれること、それがこの999の世界観を保ってくれている。
それが鉄郎としても心強かったと思います。

明治座というサイドにも席がある小屋型の劇場での見せ方という点では、見切れてしまう箇所が多いステージングに不満があるし、演出としては交通整理が足りなかったり逆に情報過多な部分もあり、ディレクションの確かさよりも、キャストの力量に依存する部分が大きいように感じてしまいました。

『銀河鉄道999』には少年の成長、恋、男と女、母親、死、夢...いろんなテーマが内包されていて、プレゼンテーションはワンテーマが基本と言われている現代において複雑過ぎると個人的には思うのですが(私が頭悪いだけか)、大きなくくりで言うと「人間讃歌」の物語ですよね。

クレアの純粋さに胸を打たれ、シャドウのこじらせっぷりになぜか共感を覚え、機械伯爵の狂気には、人間が生きる意味を考えさせられる。
永遠は哀しい。

限りある命を生きた人間のトチローだから、鉄郎に「本当の永遠」を教えることができる。
生身の人間が演じるということで、よりビビッドにその想いが伝わったのではないかと思いました。
それだけでも、舞台化した意味があったのかもしれません。

2018年6月25日 (月)

銀河鉄道999 〜GALAXY OPERA〜 6/23 18:30 初日

@明治座
A席 2階右側2列目

星野鉄郎: 中川晃教 メーテル: ハルカ
機械伯爵: 染谷俊之 リューズ: 矢沢洋子
シャドウ: 雅原慶 クレア: 美山加恋
車掌: お宮の松
大山トチロー: 入野自由
鉄郎の母/トチローの母/プロメシューム(声): 小野妃香里
アンタレス: 塚原大助
クイーン・エメラルダス: 凰稀かなめ(特別出演)
キャプテン・ハーロック: 平方元基

岡崎大樹 高木裕和 高橋里央 出口栄一
富田大樹 長尾哲平 中島大介 バレッタ裕
藤田勇紀 森内翔大 森田カ斗
安里唯 池田美千瑠 新橋和
望月ちほ 安室夏 横関咲栄(男女別・五十音順)


原作・総監修: 松本零士

脚本: 坪田文 作詞: 石丸さち子
演出: 児玉明子
映像演出: ムーチョ村松
銀河鉄道999テーマ曲: 中川晃教
音楽: 久保田修


この舞台作品は『銀河鉄道999』の実写化というだけではなく、作品誕生40周年を記念したものという側面が強い。
忠実な再現というより、松本零士という果てしない夢を持った漫画家が『銀河鉄道999』をどのように生み出し、なぜ今も漫画を描き続けているのか、というエピソードを織り込んでいる。

なので、劇場版『銀河鉄道999』を1回でも見たことがある人にとっては、「そこで終わるんかーい!」という場面で終わります。
つまり、メーテルに「私は、あなたの想い出の中にだけいる女。 私は、あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」と言わせない。

今回、トチローの死とエメラルダスとハーロックの友情を通して、青春は終わらないと描いている。
人間には永遠の身体はないけれど、“限りある命を燃やして生きる”ことが、その後”誰かの中で永遠に生き続ける”ことになる。青春は引き継がれる。


原作者であり総監修も務める松本零士先生のコメントがHPに掲載されています。
永遠の命とは何か?に向き合い続ける鉄郎は零士先生自身であり、また鉄郎に限りある命を燃やすことが永遠の命だと説くトチローもまた、鉄郎を生み出す零士先生なのです。

トチローが共に青春を翔けたハーロックとエメラルダス、それはあたかも零士先生と同時代に活躍したたくさんの漫画家たちにも重なるように感じます。
トチローは零士先生であるとともに手塚治虫でもあり、石ノ森章太郎でもあり赤塚不二夫や藤子・F・不二雄や藤子不二雄Aなのかもしれません。彼らは早く亡くなってしまったけれど、残したスピリットは受け継がれていく。

映画でも劇中でも、キャプテン・ハーロックから「男なら失敗するとわかっていてもやらなきゃいけないときがある」という台詞が頻発します。
ハーロックはヒーローで、トチローの親友でもあり、鉄郎にとっては憧れの存在。零士先生にとっては自分を鼓舞する理想の自分の姿なのかもしれません。

脚本の坪田さんは『プリキュア』のシリーズ構成に参加されているのですが、今シーズンのプリキュアのテーマは「女の子は何にでもなれる、何でもできる」(「男の子だってお姫様になれる」と提示した回もあるそうです)。
そんな時代において、「男なら」「男として」という思想を前面に押し出すことは、あまり受け入れられないものだと思うのです。
そこを1人の実在の男が辿ってきた話、つまり、画材と行きの切符だけを持って北九州から列車に乗って東京にやってきた松本零士先生のエピソードとかぶらせることによって、そういう生き方をする人間もいるのだという”一例”にも落とし込んだのは、効果的だと思いました。

名作と言われているものでも、メッセージには普遍性があるものと時代性のものがあると思います。
ある時代では無条件で受け入れられていた価値観がほかの時代では、ちゃんと背景を描いて「なぜそれを伝えなければならないのか」を明確にしなければ反発を招いてしまう。


鉄郎は、ガラスの身体を持ったクレアとの出会い、そしてトチローの生き様から、機械の身体を手に入れて永遠に生きるよりも、今、命を燃やしていきることこそが自分のやるべきことだと悟る。
松本零士先生がたくさんの作品を生み出し80歳の今もまだ走り続けているように、ひとつひとつ懸命に闘っていくことが旅の終着点に辿り着くただひとつの線路なのでしょう。

ただ、個人的には「大事なことなので2回言いました」的に、台詞に何回も出てきたのは過剰ではないかな?とも感じました。なんというか、道徳の授業みたいで。
大事なことは分かったから!みたいに、そっぽを向きたくなってしまうんですよね、ひねくれ者なので。
役者さんたちのそれまでの素晴らしい演技でじゅうぶんに伝わってきます。

私自身は『銀河鉄道999』をリアルタイムで観た世代ではありません。
なので、鉄郎役の野沢雅子さんと言えば『ドラゴンボール』の孫悟空だし、車掌役の肝付兼太さんは『ドラえもん』のスネ夫だし、リューズの小原乃梨子さんは同じくのび太だし(声優チェンジ前の『ドラえもん』世代)、ハーロックの井上真樹夫さんは『ルパン三世』の石川五エ門だし、エメラルダスは『ベルサイユのばら』のオスカルなのです。(『ベルばら』は子どもの頃に再放送やってたんですよねー)

なぜ凰稀かなめさんが『1789』公演を中抜けしてまでこの作品に関わったのか謎だったのですが、彼女もまた宝塚時代にオスカルだったと知りました。それが狙いだったのか!
でも、何かのインタビューで「久しぶりに戦いたかったの(笑)」と答えていたのをお見かけしたので、ファンの方はマントを翻して戦う姿を見られるのは嬉しいと思うんですよね。男役を卒業してしまうとそんな役はなかなか見られないし。
エメラルダスは孤独な女海賊と言われているけれど、戦いに身を賭し胸の中にトチローへの熱い愛を秘めた、強くてかっこよくて美しいかなめラルダス、最高でした。

エメラルダスの盟友ハーロックも、みんなが憧れるようなヒーローofヒーローで、あの衣装を着こなせる元基くんすごい。
ソロはすごく難しいメロディラインだったと思いますが、トチローとエメラルダスと共に戦った日々に想いを馳せ、鉄郎を見守る優しさや年齢以上の渋みや人生の痛みも感じさせるものでした。

同い年のかなめさん、年下の元基くんに「坊や」扱いされるアッキー鉄郎、めっかわ(笑)
小野妃香里さんにもたくさん抱きしめてもらっていて、坊や属性すごいな…。今回3人の母を妃香里さん1人が演じるというのは、”母なるもの”という点がですごく示唆的(舞台に直接関係ないのですが、最後にちょっと書きました)だと思いました。

車掌さんとアンタレスがアニメそのままで、思わず顔がニヤついてしまうほど!
車掌さんはちゃんと腕章が落ちるし、時間城に潜入してくるアンタレスかっこいいよぅ〜(体格差萌)。
冒頭、メーテルに名前を訊かれた鉄郎は、この名前は父親が付けてくれたと自慢気に言っていますが、アンタレスに「男らしい名前だな」と言ってもらえたことで、彼のことを父親と重ねていたのかもしれませんね。

永遠を手に入れてしまった狂気と哀しみの機械伯爵。染様、好演でした。美貌はもちろんなのですが、声が素敵ですよね。
驚いたのが初舞台だというリューズ役の矢沢洋子さん!もともと歌手として活動されているということで、歌う場面のあるリューズはハマり役だと思うのですが、伯爵を愛し抜く覚悟が伝わってくるお芝居、とても良かったです。また別の作品でもお目にかかれるといいな。

雅原さん演じるシャドウも、機械伯爵と同じように永遠を手に入れてしまった女性。艶やかな歌声が逆に失ってしまった生身の身体というものを際立たせていたように感じました。鉄郎が機械の身体を持つことに迷いを持つようになるきっかけとなるシーン、鮮烈な切なさを描いていました。

嬉しいサプライズだったのがガラスの身体を持った銀河鉄道のウェイトレス・クレア!
クレアと鉄郎の場面はまるでラブコメのようで、微笑ましくクスッと笑えて、とにかくかわいいです。そりゃ美山加恋ちゃんですからね。
ガラスの身体を持つクレアに出会うことで、鉄郎は人間の身体であることを自覚する。2人の出会いはとても意味深いもの。
そのやりとりがとてもキュートなので、映画版のラストまで描いてしまったら私が立ち直れないかもしれない…これで良かったのかも?(えっ)
クレアちゃんと鉄郎にはキャッキャウフフしていてもらいたい。

メーテル。難しいですよね。
映画やアニメを全編見ていなくともその存在だけはみんなが知っている。
舞台上で声を荒げず、抑揚なく台詞を続けることはかなり難しいことと思います。
鉄郎の母親を殺したのは機械伯爵だけれど、(劇中で明示されないのですが)その状況を生み出したのは自分の母親であるプロメシュームで、彼女の意に沿うように鉄郎を利用する、その葛藤と境遇の悲しみ。
鉄郎のピュアな言動がメーテルを揺り動かしていくのですが、大声で泣いたり叫んだりできないメーテルを表現するのは、鉄郎との対比にかかっているのだと思います。

トチロー(ともう1役)の入野自由くん。
朗らかで情熱的なトチロー、魅力的でした。そりゃエメラルダスの心もゲットしちゃうわ。
機械化人の悲しみを見てきた鉄郎が人間として何が出来るかと考えるようになる、説得力に溢れた存在になっていました。
零士さんパートと999を繋ぐ役として、また、この作品のメッセージを一身に担う役として、かなり特殊な役柄だと思いますが、パーンと弾ける声が仲間を、そして作品全体を鼓舞しているように感じました。

それにしても、アッキー鉄郎と自由トチローのデュエットが素晴らしく、インタビューで2人は声の相性がいいと言っていたけれど、これを聴けて良かった!

アッキーの星野鉄郎は、完璧な衣装のおかげもあるのですが舞台に現れた途端に少年の鉄郎でした。姿勢もかなりアニメを意識して作っているように見えました。
台詞は野沢雅子さんリスペクトを感じさせつつ、冒頭、特に、旅に出発する前とお母さんを殺される場面は初めて聞く声でした。アッキーは「フランキー・ヴァリのトワングが第3の声」と言っていますが、この少年の声は第4の声と言えるのではないでしょうか。

喜び、葛藤、苦悩...それぞれの出来事に正面からぶつかり、鉄郎少年は、銀河の旅で青年へと成長する。その変化を自然に、しかし考え抜いて演じられるのはアッキーだけだと思います。

オープニング、スラム育ちを表現するのにラップを使ったことに軽く驚きつつも、かなり踊るアッキーも見られてラッキーだったり。要注目!
ジャケットにしてもマントにしてもあの衣装は暑いはず。ものすごい汗をかき、約3時間出ずっぱりで舞台を引っ張っています。

初日、カテコで松本零士先生から挨拶があり、キャストにエールを送ってくださいました。また、客席に野沢雅子さんがいらっしゃっていたので、アッキー、お話しが出来ていたらいいなぁ。


正直に言うと、初日を見た感じでは、演出面でこの999という作品と明治座という空間を手に負えていない面が見受けられました。衣装&メイクによる再現度の高さもあいまって、自分の役柄への理解度が深いキャストたちの力に頼っている部分も大きいと思います。

そういった意味では、車内放送(開演前&休憩時間のアナウンス)をキャストにやってもらうのは正解だと思います。
クレアちゃんのツイートによると、クレアちゃんと車掌さんが生アフレコしているのだとか!
次回の観劇も楽しみです。


<ここからは舞台にあんまり関係ない話>
アッキーが出るということで、劇場版のBlu-rayを入手して2〜3回観た程度。
『銀河鉄道999』では、おそらく数えきれないほどの考察や論文が発表されていると思うので、”何を今さら感”があると思うのですが、『銀河鉄道999』の中での描き方で特徴的なのは”母”の存在で、映画では鉄郎の母、トチローの母、そしてプロメシューム(メーテルの母)という3人の母親が登場します。
子どもを慈しみ理解しようとした2人の母親と支配しようとするプロメシュームという描写。

ユング心理学には「太母(グレート・マザー)」という共有されるイメージがあるそうです。
愛情豊かで弱きものを包み込むように優しく保護する姿によって、男性の内面の異性像の理想化となる一方、グレート・マザーには、その包容力ゆえに子どもを飲み込み独占しようとする負の側面もあって、まさしく999ではその両方が描かれていたのだと気がつきました。

鉄郎は母の仇を取るために母とそっくりなメーテルと旅をする。つまり、初恋の女性の中に母を見ている(劇中では言及されていなかったけれど、実際、メーテルの身体は鉄郎の母のもの)。
プロメシュームとの対決はこの舞台版では描かれていないので、鉄郎はずっと「母親は無条件に愛する存在」と信じていて、メーテルが抱える葛藤には気がついていません。
そして旅の中で鉄郎はメーテルと母親は違うと言うようになりますが、機械伯爵を倒してメーテルの元に戻ったとき、成長して愛する女性の前にやってきたのか、それとも母親の面影を彼女に見ていたのでしょうか。

もし続編があるのであれば、描かれるのはここなのかなぁ。

2018年6月12日 (火)

ラヴ・レターズ 6/11 18:30〜

@草月ホール
1階 SD列 下手側

メリッサ・ガードナー: 知英
アンドリュー・メイクピース・ラッド三世: 中川晃教

演出: 藤田俊太郎

アッキーが過去2回出演したときは見ていないので、同じ演目で時間が経って、また、相手役が代わってどう変化したのかは私には分かりません。

たわいもない話題を書いてはお互いの環境を分かち合い、すべてを知ろうとしていた若い2人が、知り過ぎたゆえに離れ、別々の道を歩み、いつしかクリスマスカードのやり取りだけになっていくということだけで時間の流れが分かってしまう構成がリアルでした。
2人のような関係ではなくても、大人になれば(日本で言うところの)年賀状のやり取りだけになっていってしまうものですよね。

ツイッターにアンディのパートをアップしているアカウントがありました(もしかしたら、メリッサのもあるのかな?)。

アンディのこの文面、”書くこと”を”音楽”や”歌うこと”に置き換えてみると、そのままアッキーじゃないか!と思えて、一気にグッと引き込まれました。


少年少女とも言えないような子どもの時代から壮年〜初老期まで、2人が交わした手紙を読んでいく。
2人それぞれの人生でありながら、彼らが1つの物語を作っていく過程のようでもありました。

成長しても少女のように可憐で危なかしく自由奔放で少しエキセントリックなメリッサと、背負うものが大きく重たくなっていくアンディ。
2人は何もかもが正反対で、だからこそ月日が経てば経つほどお互いがお互いを求めるしかなかったのでは。

2人の若い肉体は手紙の中の2人によって結ばれることはなかったけれど、数十年の年月の手紙の2人が実体の2人を近づけ、いつのまにか心と身体をひとつに添わせた。



アンディの妻子、そしてアンディを取り巻く状況からしたら、表面上2人の関係は不適切なものに見えるのかもしれないけれど、アンディは手紙という手段でメリッサにすべてを投げ出し、長い時間をかけてメリッサを侵食してきた。そして、アンディはもはやメリッサの中に生きていて、2人はひとつになるべくしてなったのだと思いました。

学校や家族に束縛されることは苦手なのに、アンディの手紙によってアンディに絡め取られてしまうメリッサ。
アンディは自分にそんな思いはなくとも、手紙でメリッサにある種の呪いをかけ続けていたのかもしれません。

同じく手紙のやり取りによって成り立っている『ダディ・ロング・レッグズ』は、ジルーシャの手紙によってジャービスが現実の呪縛から救われる話だけれど、手紙に込められた思いが相手を包み込んでいく様子としては同じなのかも、とも思ったり。

話はずれますが、殺人犯の兄と弟の手紙について描いたミュージカル『手紙』(原作: 東野圭吾)も、演出は藤田俊太郎さん。手紙の持つ力をまったく別方向で取り扱った作品が同じ演出家というすごい偶然。


舞台上には2脚の椅子の間に小さい机、その上にお水の入ったデキャンタとグラスが2つだけ。
知英ちゃんは頻繁にお水を飲んでいました。
それが、メリッサの情緒不安定さやアンディからの手紙を受け取ったときの心の動きを表現しているように見えて、視覚的にとても効果的だったと思います。
白いワンピースもメリッサの少女性の象徴のようでした。

一方、アッキーは1幕2幕通じてほとんどお水に口をつけなかったと思います。それも、アンディがメリッサの手紙と真剣に向き合っているようで、手紙の中のメリッサとの逢瀬を邪魔されたくないというような意志にも感じました。

子ども時代のピュアなラブ、青春時代の性衝動と感情の不一致、別の恋愛、戦争、仕事を得て自分のエリートとしての務めを果たそうとする様子、結婚……
アンディは50数年を駆け抜ける2時間で目まぐるしく変わっていきます。
でも、”手紙を書く”という行為だけは変わらなかった。

朗読劇ではありますが、アンディを演じるアッキーの表情が刻々と大人になっていく様子を見ることができました。
子ども時代から国を動かす立場になるまで、キュートな笑顔とちょっとした角度で顔に陰影をつけて社会的責任のある男の覚悟のようなもの、ただ座っているだけなのに、年齢の経過を感じさせる演技でした。

アッキーは、殊更に声音を変化させるようなこと(わざとしわがれさせるとか、スピードを変えるとか)をしないのですが、壮年期のアンディの声自体に深みを感じさせられました。
これはJBのフランキーでも思ったことなのですが、その深みというのは、キャラクターが(舞台で描かれていない)経験してきた喜怒哀楽が声に宿っているということなのだと思います。
アンディの地位相応のズルさ、したたかさ、それと相反する元来の純粋さ…。それが声に、朗読に現れている。

そして、ラストシーン、極限まで我慢していたものが決壊した感じの最小限の泣き。素晴らしかった!
例えばJBの「Fallen Angel」、例えば『フランケンシュタイン』の「後悔」…アッキーが伝える“喪失”の繊細な表現が大好きです。
刺されるような、えぐられるような痛みというより、心の奥の奥に大切にしまっていたいちばん大事なものにヒビが入ったような、その人にとって最大の悲劇を静かに慈しんで悲しむような涙。

アンディがメリッサの母親宛ての手紙を読むとき、知英メリッサが手紙を介さずアンディに寄り添っている。もうメリッサはアンディの手紙に縛られることはなく、今度はアンディがメリッサの幻に縛られて生きていくことになるのかもしれません。

メリッサとアンディ、演じる役者さんたちの数だけ、その形はあり、また観客それぞれの環境やテンションに寄って受け取るメッセージが異なる物語だと思います。
だからこそ、こんなに長く上演され続けているのでしょう。

最後に、アッキーは客席ではなく上に向かって投げキスを送りました。
アンディから天の上にいるメリッサになのか、アッキーから亡くなられた演出の青井陽治さんに宛ててなのかは分からないけれど、何か温かい感情がその場を満たしていたように感じます。

2018年5月20日 (日)

ひかりを聴け オーケストラコンサート ♪コトダマの音楽会 partⅡ♪ 5/17 18:30、5/18 18:30

@オーチャードホール
17日: S席1階17列センターブロック
18日: S席1階8列 下手側

中川晃教、三浦大知、木村優一
藤澤ノリマサ(17日)、松下優也(18日)

ピアノ:川田健太郎、葛岡みち
ドラム: 小田原豊 ベース: 渡辺等
音楽監督・指揮: 千住明
東京フィルハーモニー交響楽団

ひかりを聴け ※2台ピアノ+オーケストラ

オン・ブラ・マイ・フ(ヘンデル) /木村
17日: You may cry〜それがあふれる涙なら〜 /藤澤
18日: Eternal now 松下
ふれあうだけで〜Always with you〜 /三浦
Earth Song (Michael Jackson) /中川

悪魔的暗示(プロコフィエフ「4つの小品」より) / 川田 ピアノ演奏

アヴェ・マリア(バッハ=グノー) /木村
ピエ・イエズ(フォーレ) /木村
月の光 (ドビュッシー) /中川
Can’t Take My Eyes Off You(Frankie Valli) /中川
止まらない一秒 /中川
あなたが欲しい(サティー) /17日藤澤/18日松下
17日: 未来への道 /藤澤
18日: 旅立つ日(映画「象の背中」より) /松下
ひかりを聴け/ 三浦
EXCITE / 三浦
music / 三浦+全員

ひかりを聴け/ 全員

『蜜蜂と遠雷』は、ピアノコンクールを題材とした恩田陸さんの作品で、2017年の第135回直木賞と同年の本屋大賞を受賞したベストセラー。

今年の1月には、この小説をベースにしたリーディング(朗読)コンサートが行われました。
木村優一さんとアッキー(大阪公演のみ)は、そのコンサートにも参加しています。(へっぽこ感想は→こちら)
キャストがコンテスタント(コンクールの参加者)の心情を朗読し、ピアノ曲が演奏され、その中で恩田陸さんが詞をつけたオリジナル曲「ひかりを聴け」と、日本語歌詞で歌ういくつかのクラシック曲が出来上がりました。

今回のコンサートは、物語の内容から離れ、「音楽」という共通項を通して集まった4人がコンテスタントのように個性を発揮する”異種格闘技戦”(千住さん談)のようなものでした。順位はつかないけどね。
前回のコンサートで生まれた曲を交えながら、カバー曲、オリジナル曲をピアノとオーケストラの演奏でそれぞれのシンガーが歌っていく、という構成。


アッキーがシンガーソングライターとしてデビューする少し前に大知くんが休業期間に入り、その後、アッキーは舞台俳優としての活動が多くなっていったので、2人が同じ番組やステージに立つことはなかったと思います。

今では役者としてのアッキーも大大大好き。でも私がアッキーを知ったのはデビュー曲を偶然TVで見たからで、原点はシンガー。大知くんのファンはアッキーのことをまったく違うフィールドの人だと思っているかもしれないけれど、スタートは同じところなのですよ。

どうしてこの2人の話から始めたのかというと、2人の出会いが、2人の声の出会いが幸せだったから。

アッキーは、2人で歌うとき、相手が男性でも女性でも、相手の声を生かすことに長けていますが、大知くんと声を合わせて歌うところは、”音楽”が祝福しているようでした。
大知くんの曲「music」ではキュートで楽しそうに、オリジナル曲「ひかりを聴け」では、声の重なりを慈しむように、4人の真ん中で目を合わせて歌っていることが奇跡に思えました。

そこに木村優一さんの包容力のある高音が合わさり、藤澤ノリマサさんの声や松下優也くんの声が加わって、この人たちと観客が音楽で繋がっていること、音楽が包み込んでくれることを実感できた空間でした。


アッキーが1曲目に歌ったMichael Jacksonの「Earth Song」は、17年のホワイトデーコンサートでも歌っています。
原作『蜜蜂と遠雷』の中で、コンテスタントの1人である風間塵という少年が「音楽を外に連れ出したい」「音楽は外にある」と言っているのですが、アッキーは「Earth Song」でそれを表現しようとしていました。

「Earth Song」は、地球が人間によって破壊されていることを訴えている曲です。
特に18日のアッキーは、地球の悲しみ、叫び、痛み、人間の愚かさ、生命を脅かす恐怖、全ての感情が爆発していたように感じました。それが逆説的に自然の美しさを想起させて、音楽が譜面と離れたところで生きているようでした。

一方、ドビュッシーの「月の光」。ピアノとアッキーの声が混然となって、月光に溶けていく。
最初は夜の湖に映る月の静謐な感じから、思索に耽っていると空が白んでくる、その数時間が脳裏に描けるようなドラマチックさもありました。

アッキーは、原作のテーマと絡めて、地球と月という自然の対比をセットリストに組み込み、ダイナミックで悲劇的な「Earth Song」と清らかな「月の光」、この対照的な事象を表現できるのが”音楽”であることを証明したのです。そのことに心から感服しました。

「Can’t Take My Eyes Off You」はフランキーとして歌うよりもパワフルだった気がします。
MCで「この曲は50年前にFrankie Valliが歌った曲だけれど、それを今、自分を通して届けることができる、それが音楽の素晴らしさ」といったようなことを話していたように思うのですが、その50年に対するリスペクトと、それを今の自分が歌うという自負も感じられました。
「止まらない一秒」は、何度も聴いているものですが、歌詞にある「勇気を鞄につめ 希望の駅へ」って、ものすごく星野鉄郎的だな、と今更思ったりしました。
繋がっているんだなぁ。


大知くん、1日目の時点でオーケストラとの呼吸が合っていて驚かされたのだけれど、2日目ではこの機会が初めてだとは思えないくらいにフィットしていて、音楽に対するセンスと勘の良さがあるから、どこを調整すれば良くなるのかすぐに分かって対応できるんだろうなぁと思わされました。
「ふれあうだけで」も1人で歌った「ひかりを聴け」も、オケの音を体全体で感じながら歌っているのが、音を身体とリンクさせてパフォーマンスする人ならではだと印象に残りました。
2日目の「EXCITE」はかなり踊っていましたよね。

また、まったく異分野の現場で、自分のペースに引き込むのではなく、相手をリスペクトしてそこに自分がスッと入っていく姿が素敵でした。

木村優一さんは「ソプラニスタ」と言って、男性でありながら女性のソプラノ音域を歌える歌手です。
女性のソプラノは、時に音が鋭すぎて聴いていると頭が疲れてしまうことがあるのですが、木村さんの声は、耳に優しく、神聖な雰囲気がありながらもリラックスしてしまう魅力がありました。

藤澤ノリマサさんはTVでは拝見したことがありますが、生は初。オペラの歌唱法で日本語を歌う、というのは難しいですよね。
ベートーヴェンの「悲愴」をモチーフにした「未来への道」は、このコンサートの趣旨にピッタリだったと思います。どこまでも伸びやかで、その力で私たちも押し上げられるようなポジティブさ。

松下優也くんは舞台でも活動しているのは知っていますが、残念ながら今まで観劇したことがなく、こちらも生で見るのは初めて。
「あなたが欲しい」は3人聴いたことになりますが、松下くんのバージョンがいちばん好きかも。キラキラ感。

そして、1曲だけプロコフィエフを弾いた川田健太郎さん!1小節の音を拾うだけで1日が終わってしまうのではないかというぐらい複雑怪奇な音の連なりをねじ伏せる超絶技巧。
前回のコンサートでは、プロコフィエフとバルトークの協奏曲を全3曲暗譜で弾ききったという驚異のピアニストです。
千住明さんとは旧知の仲のようですが、彼のピアノは2回のコンサートの核だったと思います。


千秋楽の挨拶で、千住さんから「アッキーは、歌手のみんなのまとめ役として頑張ってくれて…」という言葉がありました。
アッキーは「そんなこと言われたら今、両肩が急に重くなりました(笑)」なんて言っていたけれど、こういう場に不慣れな大知くん(初日は”だいだい”と呼んでましたw)をさりげなくフォローし、松下くんには真っ白のスーツにツッコミを入れつつ「X4」という彼が所属するグループ名を出し、木村さんと藤澤さんとは、4人で歌うときにアイコンタクトを取ってみんなで楽しもうとしていました。
その気配りを尊敬します。

個人的には「(後ろの指揮台にいる)千住さんが前に出てくるまで、口笛吹いて待ってますね〜♪」というどこのスヌーピーですか?というフリーダムなアッキーも大好きですけどね(笑)

このコンサートで多くの出会いが生まれたようで、それぞれのSNSを見て嬉しくなります。
また、一緒に音楽を作り出す機会がありますように!

2018年5月16日 (水)

ジャージー・ボーイズ in コンサート 5/13 17:30

@シアターオーブ
S席 1階10列 センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 藤岡正明(赤)、中河内雅貴(白)
伊礼彼方(青)
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広(赤・青)、海宝直人(白)
ニック・マッシ: 福井晶一(白)、Spi(青)

コーラス:
小此木まり、遠藤瑠美子、ダンドイ舞莉花、湊陽奈
白石拓也、山野靖博、森雄基、伊藤広祥、

音楽監督・ピアノ: 島健 演出: 藤田俊太郎


アッキー「皆さん、こんばんはー!僕たちー...」
8人 \ジャージー・ボーイズです!!/
藤岡くん「これで4回目だけど、すっげぇ恥ずかしい!」
アッキー (笑顔で受け流す)

アッキー「このコンサートは春、夏、秋、冬(ここでイントネーションがおかしくなり、やり直し)...」
<ちゃんと言えたので観客から拍手>
それを見た藤岡くん「お前、得してんなぁー!」
アッキー (ニコニコ)

かわいいな、おい。

ペンライトのくだり、
藤岡くん「(青を出していたぴろしに向かって)お前も赤(チーム)じゃねーか!」
ぴろし「どうしたらいいかわからなくなっちゃったから、もういっそ白にしちゃおうかな…」
藤岡くん「お前、今日、赤の大ボス来てるんだぞ!」
というわけで、初演赤チームでニック役を務めた吉原光夫さんがいらしているということが舞台上から明かされてしまいました。
ひっそり見ることは観念したのか、盛り上がる曲が終わると、後ろから光夫さんの「ブラボー」が聞こえてきたのが面白かったです(笑)

カテコのWアンコールでは客席が揺れるほどの”みつおコール”を浴びながら舞台に呼ばれると「ぴろし、すごい歌ってたなー!」と労いの言葉を。客席で聴いていても、その進化ぶりに驚かされましたが、赤チームとして一緒に稽古し演じていた光夫さんからしても、そう感じられたんですね。

ぴろしの舞台挨拶、「なぜかこのメンバーでいると初めての事が全然怖くなくて、力強くて頼り甲斐があって」という部分がいかにもボブらしくて、ニヤッとしてしまいます。
(ちなみに、初演後に行われたアッキーのファンクラブイベントでは、上演期間中の舞台上のハプニングはだいたい赤チームで起きていたとの報告がありました 笑)
初めてのコンサートも、そう思っていたから楽しむことができたのだろうなぁ。

“文化的成長”を促す兄貴たちに囲まれたボブと藤田さんをはじめとするスタッフの方々や音楽的に経験豊富なキャストに引き上げられたぴろし(もちろんものすごい努力をしているのだと思いますが)、とても近いものがあるんですよね。だから、私にとって彼のボブが魅力的なのかもしれません。

「真実の愛」を歌い終わってからフランキーとトミーのハグ拒否→ハグと、ボブとフランキーのパートナーシップ結成の握手拒否→握手が、トミーにやられたことをボブにやるという、フランキーを中心とした兄貴分と弟分の関係性の再現みたいで良かったんですよね。
それを初演の赤チームで見られたことが嬉しかったし、本公演では見られないのに、Four SeasonsがよりFour Seasonsっぽいと思えるスペシャル感がありました。
藤田さんすごい!


さて、千秋楽は前方席で見られたので、舞台上のライトが当たっていない場所でのやり取りや動作がいくつか見られました。

「Short Shorts」の直前に待機しているとき、後ろのセンターから出てくるアッキーと下手袖から出てきてセンターにスタンバるぴろしが、暗い中で向き合って目を合わせてからお辞儀し合っているのが、とても可愛いかったです。

そして、冬パートの島健さんのピアノソロに、暗闇の中で軽く自由にステップを踏むアッキーの美しさにハッとさせられました。音楽の中にたゆたうというのは、こういうことを言うのだな、と。

千秋楽、アッキーの歌声はそれはもう素晴らしく最高だったのですが、それにもまして、フランキーの最後の傍白のときの表情と台詞回しに、言葉が出てこないぐらい圧倒されました。
アッキーとフランキーの境目がないというか、溶け合っているというか。
尽きることのない音楽への情熱を宿した目の力に息が止まりそうになるほどでした。

その後のカテコはとても楽しくヒューヒュー盛り上がったのですが、少し時間を置いてこのシーンを思い出すと、放心してしまうようなすごみを感じました。

再演の9月には、この人はどこまで行ってしまうのだろうと少し怖くなってしまいます。

このコンサートがあったことで、再演から登場の彼方トミーとSpiニックが役としてどう動き、フランキーとボブに向き合っていくのか楽しみになりました。そして初演から安定感があった白チームがどう進化/深化するのかも期待が高まっています。

そうそう、カテコの最後の挨拶になって、光夫さんにマイクを渡してしまったアッキーに、スッと自分のマイクを向けたガウチくん。優しい〜。”癒し”ですね(笑)

で、東宝さん、「Short Shorts」の映像はいつ解禁されますか?(結局そこかよ)


2018年5月13日 (日)

ジャージー・ボーイズ in コンサート 5/12 13:00、17:30

@シアターオーブ
マチネ: S席 1階17列 センターブロック
ソワレ: B席 3階3列 センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 藤岡正明(赤)、中河内雅貴(白)
伊礼彼方(青)
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広(赤・青)、海宝直人(白)
ニック・マッシ: 福井晶一(白)、Spi(青)

コーラス:
小此木まり、遠藤瑠美子、ダンドイ舞莉花、湊陽奈
白石拓也、山野靖博、森雄基、伊藤広祥、

音楽監督・ピアノ: 島健 演出: 藤田俊太郎


ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』をコンサート形式で上演するというのは、世界初の試みだそうです。
2016年の初演の本編映像と、リアルタイムで撮影した映像を大画面に映しながら、春(=トミー)夏(=ボブ)秋(=ニック)冬(=フランキー)それぞれのメンバーの語りで極力本編に沿った形で進行していきます。
しかし、その中で、ダブル(トリプル)キャストで歌ったり、フランキーの曲を他のキャストが歌ったり、アンサンブルが歌った曲をFour Seasonsが歌ったりと、コンサートでしか聴けないスペシャルな仕掛けがありました。

このコンサートに出ないメンバー、再演に出演しないメンバーも含めて、『ジャージー・ボーイズ』に関わった人全員の存在を感じる演出で、大音くんが阿部さんと石川くんと前日のゲネプロを見たとツイートしてくれましたが、客席から見て自分たちが確かに『ジャージー・ボーイズ』という作品の中にいると実感できるのは嬉しいだろうと思いました。藤田さんの愛ですね。

フランキーが「僕は古いタイプの人間だから、一緒に世に出るってことは、それだけで約束みたいなものだし、それは鉄の絆だ」とトミーを見捨てなかった理由を語りますが、「初演で一緒に『ジャージー・ボーイズ』という作品を作り上げたカンパニーは”ジャージー・ファミリー”のようなものだ」と、藤田さんにも当てはまるような気がします。

初回公演終了後に特別舞台挨拶(詳細はげきぴあさんでどうぞ)があり、その中で藤田さんが『ジャージー・ボーイズ』脚本のリック・エリスさんの言葉を紹介してくださいました。

「この『ジャージー・ボーイズ』は観客ひとりひとりのものです。そしてこれは、バックステージ、スタッフ、舞台上にいるミュージシャン、バンド、作品を影で支えるそれぞれひとりひとりの物語でもある」

人それぞれの人生には、ハッキリとした形でなくとも、また、順番は違ってもFour Seasonsと同様に春夏秋冬があるはず。季節はめぐり、人や状況は変わる。
聖人ではない、多くの失敗と挫折と絶望を積み重ねていくFour Seasons。それでも彼らには音楽がある。

「誰より愛をくれる人は誰?」
本編最後で歌われる「Who Loves You」の歌詞、それはフランキーにとっては音楽であり、この作品を見ている観客にとっては舞台上に立つ彼らである。
フランキーの音楽に対する思いの強さが、希望となり、私たち観客を照らしてくれているように思います。


「俺、トミー・デヴィート」「俺がトミー・デヴィート」「俺が、トミー・デヴィート」
ヤンチャが過ぎた赤の藤岡トミー、ええカッコしぃで追い詰められた白の中河内トミー、新生・青の伊礼トミーはふてぶてしい感じ。
三者三様のトミーでとても良かったです。

「伝説の赤」と、客席にペンライトの色を赤にするように脅迫、違った、強要する藤岡くん。
台詞が飛んで藤岡くんに無茶ブリする伊礼くん。
舞台挨拶で「僕はアッキーさんが居やすいように、居心地がいいように癒しとなるべく頑張ります。TEAM WHITEは向こう(赤と青)と違って温厚なチームですから」と、続投チームとしてコメントする中河内くん(反対側で膝から崩れ落ちるぴろし)。
個人的に「Big Girls Don’t Cry」のAメロでのガウチくんの肩の動きが最高だと思っているので、歌割りが白チームで嬉しかったです。

ぴろしボブ、頑張りました!
海宝くんがギリギリのスケジュールだったこともあるのか、キッカケの確認が必要な箇所の多くはぴろしくんが担当していたように見えました。

私は本当にぴろしボブが好きなのです。
今まで末っ子ポジションだったフランキーに出来た弟のような存在だけど、いつのまにか音楽という言語を通して強く結びつき、2人で高みに登っていく。
初演ではヤンチャな赤チームの中だからこそ、2人のニコイチ感が可愛らしく特別に見えました。青チームではどうなるのでしょうか。

そして、彼の歌の成長に驚かされました。
「Oh, what a night」はもちろん、ボブ・クルーの下でバックアップコーラスをするシーンでは、戸井さんの超高音パート(通称“いま雨が”おじさん)と阿部さんの男臭いパート両方にチャレンジ。
コンサート自体が初めてだとのことですが、夜公演では観客を煽る仕草もあり、色々な挑戦も楽しめているように見えました。

海宝くんは、フランキーとメアリーの曲「My Eyes Adored You」と、バックアップコーラスでは、まりゑちゃんのパートを。
音程だけではなく音色を合わせるというところまで持っていくというジャージー・ボーイズのコーラス。
白チームの安定感は、海宝くんの歌唱力と実力があってのもの。
それが「フランキーを世に出すのは自分だ」というボブの自信に繋がっているように見えて、クールでクレバーな白ボブ像を作り上げていたと思います。
どう深めていくのか楽しみです。

「Dawn」は藤岡くんの合図から全8人で。
さすがにコーラスの厚みがスゴい。その中から浮かび上がるフランキーの歌声の頼もしさ。

最初にフランキーに歌のテクニックを教えてくれたニック。どんなことがあっても「みんなと一緒だ」とついて来てくれるという安心感。
福井さんと、光夫さん、そしてさらに身長の高いSpiくんの大きさは、その余裕のようなものに視覚的な説得力がありました。
だから、フランキーもボブもトミーも甘えてしまったのだと。

白ニックの福井さんは、飛び道具な役割。
それまでバランスが取れていたトミーの借金が発覚した後の爆発力は物語を大きく動かす。
福井さんのソロ曲が意外性があったかも。

Spiくんはニック役としては未知数なのですが、「Beggin’」では体全体でリズムを取る感じで躍動感がありました。
でも、カテコライブの「Big Girls Don't Cry」のSilly Girl〜♪で自分から白ニックの福井さんに絡みに行くあたり、もうちゃんとニックでしたね(笑)

そして、冬のパート、フランキー。
冬パートは大画面に壇上のカメラで撮影されているリアルタイムでの映像も初演の映像も映されない。フランキーを演じるアッキーの声だけで物語を紡いでいく。
それだけアッキーの歌に力があるということ。

天使のような歌声の春パートでは、トミーたちの後ろでキュートにペンライトを振っている様子がまさに天使かと思いましたね??なんだあの可愛い生き物。
夏はオリジナルFour Seasonsの全盛期。照りつける夏の太陽のように強力なヒット曲と雲まで突き抜けてしまいそうなフランキーの高音。
秋から冬は、台詞に人生経験を積んだフランキーの凄みが感じられました。

ジェットコースターのような展開でも、勢い任せにせず、丁寧に台詞を紡ぎ、歌う。
アッキーのお芝居の好きなところです。

新しいFour Seasonsを集めてヒットチャートに返り咲く貫禄たっぷりの「Walking My Way」の後に続く悲劇。

春パートで、トミーがフランキーの声を聴いて「Earth Angel」を歌い、冬パートでは、フランキーがフランシーヌを思って「Fallen Angel」を歌う。
地上に堕ちてきた天使が自分の天使のために歌うラブソングの美しさは神聖なレクイエムのようにも感じます。

ここまで、いろいろ書いてきましたが、このコンサートを通して中川晃教って最高じゃない?ってところに帰結してしまう。
大正義・中川晃教、大天使・中川晃教。

舞台挨拶で藤岡くんが「演出家に嫌われたので再演には出られないんですが(藤田さん: 私は藤岡正明さんが大好きです!!)」とジョークを飛ばしていましたが、9月からの再演には出演しない藤岡くんとアッキーの絡みがたくさん見られたことは、私にとって素晴らしい経験でした。藤田さんありがとう。

「真実の愛(A Sunday Kind Of Love)」で向かい合って声を合わせて歌うアッキーの充実した表情、カテコライブの「Can’t Take My Eyes Off You」で藤岡くんがアッキーの歌にアレンジをかぶせて楽しそうに笑い合う様子。
この作品と音楽が2人の出会いを喜んでいるようでした。

さて、このコンサート、ほぼ本編を見たような満足感があるのですが、「Four Seasonsという名前でグループがひとつになった瞬間」と、ボブ・クルーに曲が認められた場面は再現していなかったのです。(もっくんボブ・クルーの印象的なあの台詞もお預け)
Four SeasonsがFour Seasonsになるその瞬間は、本編を見なければわからない。

世界初のコンサートバージョンを経た9月の再演がますます楽しみになりました。

あと、東宝さん、ひとつお願いがあるのですが、Short Shortsのアッキーがめっちゃ可愛かったので、映像を売ってください。(これで締めるのかよ)

2018年4月22日 (日)

4/21 中川晃教 Symphonic Concert 2018 Spring has Come

@板橋区立文化会館
1階1列 センターブロック

中川晃教(vo)
高谷光信(指揮) 音屋室内管弦楽団

<1幕>
銀河鉄道999(『銀河鉄道999〜GALAXY OPERA〜』より)
LISTEN

旅人
Stereo Voice
フタツ、ヒトツ Futa-tu, Hito-tu
<2幕>
Ease On Down The Road(『The WIZ』より)
Believe In Yourself (『The WIZ』より)
HOME(『The WIZ』より)
Can’t Take My Eyes Off You(『Jersey Boys』より)
ユーアーザスーパースター
止まらない一秒
相対性理論

I Will Get Your Kiss
僕こそ音楽(『モーツァルト!』より)

人生で初めて東武東上線に乗って人生で初めて板橋区に来たら、初っ端からギャラクシーエクスプレスに乗せられて宇宙に連れて行かれました(笑)
制作発表で披露されたとはいえ、まだ上演していない舞台の劇中曲を1曲目に持ってくるとは!
でも、「今、旅に出る!」という歌詞で終わるこの曲は音楽の旅とも言えるコンサートの始まりにピッタリでした。

『銀河鉄道999』原作者の漫画家・松本零士先生は、板橋区のお隣の練馬区にお住まいで、また、練馬区はアニメの製作会社が多い場所でもあるのだとか。

「銀河鉄道999」はサントリーホールでも聴きましたが、ゴダイゴの「銀河鉄道999」の疾走感を意識した箇所もありつつ、今回もう一度聴いてみて、曲調が何度も変わっていく感じはQUEENの「Bohemian Rhapsody」を思い起こさせるな、とも感じました。

「LISTEN」を2曲目にした理由。
アッキーがMCで、オケのそれぞれの楽器の音が聴けるアレンジの曲だからそれも聴いて欲しいと話してくれました。
アッキーはコンサートで(この曲だけに限らず)歌だけではなく楽器の響きや重なり方も聴いて欲しいと言うことが多いのだけれど、自分の声も楽器、音楽を伝えるための道具だということも言っていて、まさに「音を楽しむ」伝道師なのかもしれません。

日差しが強く初夏のような天気の日でしたが、「春」と「旅人」では、うららかで爽やかな春の空気で客席が満たされました。
特に「旅人」は、オケの演奏で気持ち良さそうに歌うアッキーの歌声が、原曲である「花のワルツ」の踊りたくなるようなメロディーと旅に出る主人公の高揚感を見事に表現していて出色だったと思います。

旅に出ることはステージに立つ自分に必要なことというMCから、先日行ってきたカンボジアの話を少し。
実在したカンボジアの王様を題材にした三島由紀夫の戯曲『癩王のテラス』では、病気を患った王様の精神と肉体の対話が描かれるそうです。人間という1つのものでもあり2つにも分かれる。1つが2つ。2つで1つ。

そんなところから選曲のヒントを思いつくのかという面白さと、「Stereo Voice」と「フタツ、ヒトツ」という曲調でも歌詞の内容でもほぼ正反対の色合いを持つ2曲を並べるという意外性にやられました。

そういえば「フタツ、ヒトツ」では、指揮の高谷さん(通称: ミッツ)が歌詞を口ずさみながらタクトを振っているのが見えました。
冒頭の「999」では、高谷さんがアッキーにメーテルにされかかったり(笑)、アッキーが客席に「ミッツー!」と呼びかけるように要求したり、MCのときにオケの皆さんの反応を見てみたり、(感想は書いていないのですが)昨年のクリスマスツアーのときよりオケとグッと距離が近くなったように感じられたのが嬉しかったです。

2幕は、大好きな『The WIZ』の3曲からスタート。
「Ease On Down The Road」はドロシーとかかしがエメラルドシティに向けて出発する曲なので幕開けに相応しい1曲。アッキーとオケが軽やかに黄色いレンガの道を踊りながら歩いて行く、その周りから観客も参加していつのまにか賑やかな大所帯になっていく映像が思い浮かぶような、とにかく楽しい曲。

「Believe In Yourself」では「自分の心の中にあるものを信じなさい」と力強く歌い上げ、それを受けた「HOME」では大好きな家の存在を再確認する幸せと喜びが感じられました。そして、アッキーのHOMEのひとつには、音楽という世界もあるのだろうと思います。

「Can’t Take My Eyes Off You」はオケとやった中では今回がいちばん自由度(フランキーではなくアッキー本人として歌う)が高かったかな。伸びやかでいて煌びやか。

「この曲(Can’t Take〜)、甥っ子も大好きで歌うと喜ぶですよ」という話から、子どもたちに向けて書いたという「ユーアーザスーパースター」へ。
子どもに伝わるように意識して作られたものは、もちろん大人にも伝わる。大人はかつての子どもなのだから。
「ユーアーザスーパースター」から感じる優しさや肯定感は、きっとそこから生まれているんだろうな。

「止まらない一秒」は直接的に奮い立たせるというより、心の奥の感情を湧き上がらせて挑戦に向かう人に寄り添う曲だと感じました。

「相対性理論」は可愛らしい歌詞が特徴的なダンスミュージック。そのオケアレンジが最高で、人(ナマの楽器演奏)が生み出すグルーヴに、アッキーの身体と声が自然に乗っていくのがよく見えました。客席に座っている自分も踊りたくなるぐらい心地よかったです。

アンコール1曲目はもちろん「I Will Get Your Kiss」。デビュー曲であるのと同時に、アッキーとともに成長・進化していく曲なのだと思います。

アンコール2曲目、コンサートの締めに「僕こそ音楽」のピアノのイントロが流れたときには、客席から「ほぉ…」「わぁ…」という歓声が。
バラエティに富んだセットリストの最後に歌われる「僕こそ音楽」は反則級の確信犯。

オリジナル曲、POPSSIC、ミュージカル曲、さまざまな曲を歌った後にこの曲を持ってこられる自信。その裏に積み重ねてきたもの。それを体感出来るのはアッキーのコンサートならではの醍醐味。


チケットが届いたのは確認していましたが、座席まではしっかり見ておらず、当日朝にまじまじとチケットを見たら最前列だったことに驚きと少しの落胆がありました。
というのも、コンサートのときは、極端な前方席だと音が上を素通りして感じられることが何回かあったので。

しかし、板橋区立文化会館では、一切ストレスなく素晴らしい歌と演奏を堪能することが出来ました。会場と音響スタッフさんの腕に感謝です。
身体も頭も心も幸せいっぱいになりました。

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