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2018年8月 9日 (木)

宝塚BOYS team SEA 8/4 17:30〜 初日

@東京芸術劇場 プレイハウス
S席1階F列 下手側

上原金蔵: 良知真次 太田川剛: 藤岡正明
竹内重雄: 上山竜治 長谷川好弥: 木内健人
竹田幹夫: 百名ヒロキ 山田浩二: 石井一彰
星野丈治: 東山義久

君原佳枝: 愛華みれ 池田和也: 山西惇

原案: 辻則彦「男たちの宝塚〜夢を追った研究生の半世紀〜」
脚本: 中島淳彦 演出: 鈴木裕美



個々人が「夢を見る」ことが出来なかった苦しい戦争がようやく終わり、自分が好きなこと、出来ることをやってもいいという時代がやってきた。
歌が好き、芝居が好き、ダンスが好き。
キラキラしたショーが好き。
その想いだけを持って、宝塚にやってきたボーイズ。

清く正しく美しく。
観客に華やかな夢を見させる宝塚。
しかし、彼らにとっては、夢を叶える場所ではなかった。

君原のおばちゃんは怪我で、池田さんは自分の実力のなさを悟って、宝塚の”舞台”から去っていった。
彼らもまた夢を叶えられなかった人たちなのだけれど、おばちゃんは怪我をしなかったら/怪我が治ったら大劇場に立てたかもしれないし、池田さんは打ちのめされても演出の勉強を続けていれば、いつか舞台に携われたかもしれない。

でも、ボーイズたちは、運が良いとか悪いとか、努力が足りないとかではなく、「宝塚」という場所がそれを許してくれなかった。

人が仲間と目標に向かって何かに打ち込む姿は美しい。
でも、どんなに望んでも手に入れられないものがある。それがどんなに残酷なものなのか。
この作品にはその両方が描かれていました。

上原は戦時中、回天の通信士に配属されたと言っていたことから、おそらく学徒出陣組で、大学で高等教育を受けていた人物ではないでしょうか。(そこまでは言及されていませんが)
上原がリーダーに選ばれたのは、小林一三宛に宝塚男子部を直訴するハガキを出した言い出しっぺというだけでなく、育ち的なこともあったのかも、とも思ったり。

外地で凄まじい経験をして日本に戻ってきた長谷川と竹内。
佐世保から長崎のキノコ雲を見た星野。
戦争から帰ってきた兄の、今で言うPTSDに直面する山田、戦後何年も経ってから父の戦死を知らされる竹田。
病気のため兵役免除になったことを隠している太田川。

戦地に赴いた者、国内の任地で働いていた者。
兵役に就いていなかった者、当時は子どもだった者。
それぞれ立場は違っていたけれども、彼らは皆、戦争を経験し生き抜いた。

稽古に明け暮れる中で、大劇場に立てるかもしれないという希望が出ては消え出ては消える。
自分たちの居場所が制限される環境で、池田さんからの言葉や情報だけが頼みの綱。
“状況は良くなってる、君たちを認めようとする動きはある”という、池田さんの希望とも言える言葉。

それが「大本営の発表のよう」に聞こえるというボーイズの台詞がありましたが、当局や報道からは本当のことを伝えられずに多くの人々が死んでいった戦争と重ねられるぐらい彼らが追い詰められられていたことに、胸が締め付けられる気がしました。

そうして、彼らは2度目の”敗戦”を迎えることとなる。
敗戦をきっかけにして集まったボーイズは、敗戦を機に別れることになった。聴こえてくるのは、玉音放送ではなく、自分たちが歌う「すみれの花咲く頃」。

最後のレビューは、彼らが追い求めた理想の姿。
美しくて楽しくて輝いていて、だからこそ哀しくて切なくて。気がつくと涙が止まらなくなっていました。

それもみな、ボーイズたち、そして見守る2人の大人のお芝居が素晴らしかったからだと思います。

良知くん上原。
見た目は涼やかなのに、誰よりもアツい気持ちを持っていて、でもそれが空回りしてしまう情けなさ。
そこがキュートでもあり、笑いどころでもあり。良知くんはコメディに対して真摯だなぁと思うのですが、その塩梅に嫌みがないんですよね。
しっかりした竹内や経験値の高い星野がいても、やっぱりリーダーは上原なんだと思わせる雰囲気が素敵でした。

上山くん竹内。
一見落ち着いていてしっかりしているように見えながら、歌が大好きだという気持ちが爆発してしまったり、パリのイメージがズレていたり、「なんかちょっと変」のスパイスが、リーダーではないな?という絶妙な空気感を出していて良かったです。
コンビ感はないのですが、上原と竹内の補い合う関係はこのボーイズの核なのだなぁ。

カズアキくん山田。
褌キャラは上山くんではなく、カズくんでした。
不器用なヤマコーが可愛くて可愛くて。
コワモテを装うことで、自分は強いとハッタリをかまし、兄や母に「こいつは大丈夫なんだな」と安心させたかったのかな、と思わせる優しさが隠しきれないところがとても山田。

百名くん竹田。
腹に毒(と言っても、この作品ではかわいいものですが)を隠す爽やかなイケメンを演じたら、今、彼がいちばん上手いのでは?(笑)
しれっと山田の秘密をバラす強かさ、女の子とお付き合いしちゃうちゃっかりさ。その裏には自分ひとりで生きていかなければならないのかもしれないという恐怖があって、父の戦死を知らされたときに、その事実と直面する現実に襲われる。だからこそ、彼にはボーイズが必要だったのだと思わされました。

東山くん星野。
1人だけプロの厳しさを知っている分、夢や気持ち「だけ」ではエンターテイメントの世界で生きていけないことは分かっているけれど、技術以外の「何か」が必要なこともまた分かっていて、ボーイズとの距離の取り方、その後の詰め方が自然でした。後半の姿を見ていると、最初に寮の居間でおばちゃんに向ける笑顔が彼の本当の姿なんだろうなぁ。感情が昂ぶったときにホロっと出る大阪弁も、さすがネイティブ。

藤岡くん太田川。
ネイティブの東山くんがいる中で全編ベッタベタの大阪弁。賑やかでいて周りを盛り立てていれば、自分のことはそんなに喋らなくて済む、周りに病気のことを知られないで済む、その空元気。必要以上に明るいその感じが、カウンターパンチとなって返ってくるから、ボーイズたちも観客もショックが大きいんですよね。
美声を封印し、レビューでもがなり声なのだけど、とにかく楽しそうに歌う藤岡太田川の笑顔は太陽のようでした。

木内くん長谷川。
木内健人くんが、この作品でボーイズの1人に選ばれて心から嬉しい!
朗らかでお調子者で女の子と芝居が大好きな長谷川。ムードメーカーの役割を好演していました。
旅役者の家族に生まれ、最初は役者になんて興味がなかったのに、大衆演劇の作法が滲み出てきて、どんどんやっちゃう感じが役者一家に育った者の性なんでしょうね。君原のおばちゃんとの演技レッスンで顔つきが変わるところが素晴らしく、「花形愛一郎」という芸名も、長谷川のパーソナリティにピッタリでした。

星野とはまた違う場所から「舞台」に立つということを分かっていた人物。その想いが果たせないことを突きつけられたときの涙と、それを振り切るようにレビューでどんどん表情が変化していくのが印象的でした。

いつも親身で、ここぞというときにさらにもう一歩踏み込んで手と気持ちを差し伸べてくれる君原のおばちゃん。あの場所を目指し、その難しさが分かるからこそ、プッシュし過ぎずに応援してくれる距離感と包容力が温かく、ありがたい存在でした。

池田さんは、8人目のボーイズなんですよね。
彼らの夢が、一度夢破れた池田さんの再びの夢でもあった。
どうにかしてあげたい、それが叶わない。
最後のレビューは、池田さんの想像が具現化したものなのだろうなぁ。
それにしても、私が山西さんを見るとだいたい戦争が絡んでるんですが、自分がその時代を知らないのに「キャラクターそのものだ!」と思わせる説得力はどこから来るのでしょう…。


7人のボーイズが青春を、人生を捧げた時間と引き換えに得たものは彼らが本当に欲しかったものではなかっただろうけれど、彼らの行く道に幸あれ!と願うぐらいに
心が揺さぶられる観劇でした。

2018年7月29日 (日)

グーテンバーグ!ザ・ミュージカル!2018 千秋楽 7/29 12:30

@新宿村LIVE
B列 上手側

ダグ・サイモン: 鯨井康介
バド・ダベンポート: 上口耕平
ピアノ演奏: 桑原まこ

日本語上演台本・訳詞・演出: 板垣恭一
​原作: アンソニー・キング(Anthony King)&スコット・ブラウン(Scott Brown)


ヘルベチカの胸問題。
私は、ちびっこがお尻やおち◯ち◯が大好きなように、男の子の自分が持っていないおっぱいというものに対する純粋な好奇心みたいなもの、と受け取りましたが、人の身体の一部を笑いに使うことに対して、嫌な気持ちになる方もいることは理解できます。

でも、なぜわざわざヘルベチカに胸の大きな女性という役割を与えたのか。

胸の大きな女性はバカであるという偏見。
それは「賢い女性」という存在を認めたくなかった昔の男性が作った愚かで卑怯な言説。

ヘルベチカは文字が読めないというだけで、彼女が卑下するように頭が悪いわけではない、と劇中のグーテンバーグは言っています。彼を愛しているがゆえに修道士に騙されますが、彼女は思いやりに溢れた思慮深い人物ですよね。

修道士が人々に力を持たせないようにと文字を与えなかったように、また、バド・ダベンポート=上口が終盤に「文字が読めない8億人のうち、3分の2は女性だ」と糾弾するように、今も世界のどこかでは女性から学ぶ機会を奪っている人たちがいます。
女性のシンボルでもある膨らんだ胸を持つヘルベチカの存在は、その示唆でもあるのかもしれません。

さて、千秋楽。
鯨井くんがボケを拾いに拾ってさらに未然に事故を防ごうとしているのに、そのバリケードを突破していく耕平くんの勇気。
「考えてから喋ろう!!!!!!」と止めてくれるときと放置するときの鯨井くんのバランス感覚。
カテコではそれぞれお互いに感謝の言葉を述べていましたが、素晴らしいペアでした。

いろいろな役を演じても、耕平くんはBad-boy修道士、鯨井くんは理想に燃えるグーテンバーグという核になる役を魅力的に演じていて、その役になったときには舞台が締まる感覚がありました。
修ちゃん、初日からめちゃくちゃパワーアップしたキャラクターじゃないでしょうか。
正直、チャームソングである「ビスケット」より、「呪いの森」の方が頭の中をグルグルします。なんならステップを踏みたいぐらい。

そういえば、修道士がグーテンバーグをそそのかす場面はTdVのクロロック伯爵のようにも見えましたが、息子なのだから当たり前かー!(違)
あ、ヘルベルトとヘルベチカって似てますね(関係ない)。

耕平くんは男性役の歌い分けはもちろん、ファルセットを駆使して女性たちの声音の違いを表現し、また、ネズミちゃんではファニーボイス、コーラスラインのきゃりーぱみゅぱみゅ、ヒロミゴーや桑田佳祐の超短いモノマネまで、さまざまに声を変えて歌うことに挑戦していました。
私にはテクニック的なことは分かりませんが、歌うことに真摯に取り組んでいることは観劇して伝わってきました。

とにかく私は歌って”踊る”上口耕平が見られてハッピーです。

耕平くんと鯨井くんが、この作品でも、別の作品でも、また共演することを楽しみにしています。






2018年7月28日 (土)

あなたの初恋探します 7/28 14:00〜

@オルタナティブシアター
E列 下手側

ムン・ミニョク/キム・ジョンウク: 村井良大
アン・リタ: 彩吹真央
マルチマン: 駒田一

上演台本・作詞・演出: 菅野こうめい
振付: 広崎うらん
Book & Lyrics by You Jeong Chang
Music by Hae Sung Kim


ゆみこさんが可愛いすぎて可愛い(日本語)。

想い出を綺麗なままにしたい、運命を信じたいという気持ち。
年齢を重ねて、そんなものを信じている自分はどうなの?と思う気持ち。
そのために自分から積極的に恋愛に関わっていくことができなくて、自分の感情に嘘をついたり隠したり逃げたりしてしまうリタ。

アクティブなリタの繊細な心を表現するゆみこさんがとにかくチャーミングで、観客が応援したくなるヒロインでした。

この作品の主な登場人物はアン・リタ、依頼を受けて初恋の人を探すことを仕事にしたムン・ミニョク、リタの初恋の人だというキム・ジョンウク。性別も国も飛び越え、その他のすべての役を”マルチマン”が演じます。

特に前半、駒田さんが何回も「次、出番だから」と言いながらソデに捌けて30秒後ぐらいにはまったく違う衣装で出てきたのすごかったなぁ(笑)
リタの父親、タクシー運転手、アイドル喫茶のジェシカ(T Tポーズ連発)、偽ヨン様とおばちゃんの両性具有(えっ)、聖闘士星矢ヲタク、怪しい振付師、客室乗務員、インド人...etc(公式情報によると22役)全部カツラも衣装も小道具も変えて出てくるという大変さ。

でも、村井くんとゆみこさん2人だけのシーンもけっこう多くて、”マルチマンショー”になってないところがよかったと思います。

この作品のテーマはリタの運命の人探し(『Finding Mr. Destiny』)。リタとミニョクが言い合いしながら近づいていく様子が丁寧に描かれていて、マルチマンの奮闘はとても面白かったけれど、それだけが目立つことになっていなかったことがこの作品の素敵なところだと感じました。

マルチマン駒田さんはもちろん、ちょっと情けないミニョクとリタの記憶の中で美化されているジョンウクを演じ分けた村井くん、素晴らしかったです。
ジョンウクのキザな感じが客席では絶妙な具合で面白くて。
見るたびに(と言っても数作品ですが)村井くんのたたずまいって、唯一無二というかすごく独特だなぁと思わされます。
力みがまったくない。それでいて感情の変化が伝わってくる、力のある役者。
で、『きみはいい人、チャーリー・ブラウン』は同キャストでいつ再演なんです??

韓国発の作品ということで、会話の中で「(そんなに弱っちくて)軍隊にいたときどうしてたの?」とか「”鹿と泉”の賛美歌知ってる?」などといった台詞が出てきて、社会・文化の描写が面白かったです。
そして、映画やドラマでもいくつか見てきましたが、韓国でキュートでロマンチックなラブコメを生み出せるのはなぜなのか、日本との違いは何なのか、不思議に思ったりもしました。


7月は(ブログには感想を書いていませんが)『FULLY COMMITTED』の成河くん、『グーテンバーグ!』の2組(上口×鯨井、原田×福井)、そして『あなたの初恋探します』のマルチマン駒田さんという、1人がやたらたくさんの役を演じる作品を3つも見ています。それぞれ、1人芝居、2人芝居、3人芝居なのに、登場人物が多過ぎる(笑)

グーテンバーグ!ザ・ミュージカル!2018 7/26 19:30

@新宿村LIVE
XA列 センター

ダグ・サイモン: 鯨井康介
バド・ダベンポート: 上口耕平
ピアノ演奏: 桑原まこ

日本語上演台本・訳詞・演出: 板垣恭一
​原作: アンソニー・キング(Anthony King)&スコット・ブラウン(Scott Brown)


初日ぶりの上口×鯨井ペア。
座席は2回連続最前列で、2つか3つ上手側にズレたぐらい。近い近い。
ダンスが多い舞台では足元まで見える席は嬉しいですよね。
(前方席万歳派ではなく段差が大きくて全身がちゃんと見える中段ぐらいがいちばん理想なのですが)

初日は舞台上も客席も独特の緊張感がありましたが、後半に差し掛かって、ぶっこめる場所にはネタを追加していく挑戦と、ところどころ壊れかけの自転車みたいなポンコツっぷりが見られた回でした。ブレーキが効かないまま坂道を下っているようなスリル感。

方向性を見失ったまま話す耕平くんのボケを全部拾うどころか、未然に事故(笑)を防ぐ鯨井くんの反射神経。
きっと彼がゴールキーパーだったら、日本はワールドカップで優勝出来る(確信)。

想像以上に日本のことを知っているシンガポール生まれの日系3世、バド・ダベンポート=上口。

“女性”の帽子をかぶって「金麦と待ってるからー!!」と叫んでみたり、「ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんが夢に出てきた(ツンデレな感じがいいらしい)」と明かしてダグと客席を困惑させたり、修道士の修ちゃんがサザエさんの主題歌を歌ったり、レギュラーメンバー(?)の他にビートたけしと井上陽水の他にキムタクの真似をぶっ込んでみたり。

このペアは、ダグとバドがバッカーズオーディションに賭ける意気込みや劇中劇でのグーテンバーグの印刷機発明への熱意が、再演から参加しこの作品と向き合っている上口耕平&鯨井康介という役者の頑張りに重なっているように感じます。

前回の感想でも「この作品は三層構造のようにも感じられる」と書いたのですが、この日ようやく買ったプログラムを読んでいたら、演出の板垣さんが稽古場の座談会で上口×鯨井ペアについて似たようなことをおっしゃっていたので、きっとそこが演出家から見ても観客の立場から見ても、上口×鯨井ペアの魅力のひとつなのだろうと思います。

グーテンバーグの印刷機という、ヨーロッパのルネサンス期の大きな発明が後世に大きな影響を与えたように、希望を繋いできた人たちによって、私たちの社会は作られている。

2人の作品がブロードウェイで上演されても、世界からすぐに憎しみの連鎖が消えるわけではないことぐらいダグとバドも分かっているでしょう。
それでも、彼らの夢がいつかまた新しい誰かの夢となり、人はひとりではなくなる。
だから、私たちは夢を見るのだ。

傍から見たら恥ずかしいぐらいの理想論。
まっすぐな若い青臭さ。
そこで興ざめしないのは、やはり、ダグとバドの情熱と上口×鯨井ペアの奮闘がリンクしていているからだと思いました。
だから、観劇後にとても清々しい(きよきよしいではない)気持ちになるんだろうな。

最後に、この作品ではカテコの撮影がOKなので初日とこの回の写真を貼っておきたいと思います。





(角度以外で)間違い探しをどうぞ。





2018年7月22日 (日)

グーテンバーグ!ザ・ミュージカル!2018 7/19 19:30、7/21 17:00

@新宿村LIVE
19日: XA列センター
ダグ・サイモン: 鯨井康介
バド・ダベンポート: 上口耕平
ピアノ演奏: 桑原まこ

21日: C列下手側
ダグ・サイモン: 福井晶一
バド・ダベンポート: 原田優一
ピアノ演奏: 桑原まこ

日本語上演台本・訳詞・演出: 板垣恭一
​原作: アンソニー・キング(Anthony King)&スコット・ブラウン(Scott Brown)

鯨井×上口ペア(Wコウちゃんズ)の初日と初演から続投組の福井×原田ペア(イチイチコンビ)を見てきました。

役名が書かれた帽子を変えるだけで20以上の役を演じるというのは、ある意味低予算を逆手に取った”ヨシヒコ的”なゆるさなのかと思っていたのですが、もちろんコメディで笑える部分もたくさんありつつ、人間にとって、社会にとって、”文字”がどのような力を持つのか、”夢を持つこと”が人間をどう突き動かしているのか、なぜダグとバドがグーテンバーグ(グーテンベルグ)のミュージカルを作ったのか、がしっかりと描かれていて、笑い疲れた後にグッと胸に残るものがありました。

グーテンベルグ聖書は西洋初の活版印刷聖書であり、劇中でグーテンベルグを妨害しようとする修道士の存在とともにキリスト教原理主義についてちょろっと出てきます。
いまだこの地球上では文字を読むことが出来ない人がいて、その多くが女性であると高らかに糾弾するのは、西洋側にもこのような問題があると自ら暴露したうえで、911後のイスラム教原理主義に対する痛烈な批判だと受け取りました。
この作品が発表されたのは2006年のことですが、その状況は今も変わっていないんですよね……。


「優れたミュージカルというのは、真面目なテーマが描かれているものです」


この作品はダグとバドという劇作家と作曲家のコンビがグーテンバーグ(グーテンベルグ)のミュージカルをブロードウェイのプロデューサーにプレゼンするバッカーズオーディション、そのミュージカルを実際に演じる劇中劇の二層構造になっていて、ダグとバドの雑談の形を取りながら役者本人の中身がちょいちょい顔を出すフリートークも入れると三層構造のようにも感じられる、けっこう複雑なつくり。

バッカーズオーディションとは、プロデューサーや関係者たちの前で作品の概要(脚本)を説明し、公演の出資を募ることをいうのだそうです。
客席にいる私たちはダグとバドの作ったグーテンバーグの物語について、ミュージカルとはどのように作られているのか、その曲の持つ意味などの解説も聴きながら、ただの観客とは少し違う位置から見ることも出来るようになっています。

と、まぁ小難しく書いてきましたが、上口耕平×鯨井康介、原田優一×福井晶一、それぞれのペアのバックグラウンドを生かしたそれぞれの演出になっていて、例えばダグとバドの出身地や出身劇団、各キャラクターの造形もペアによって全然異なっています。
ぜひぜひ2組とも見ることをオススメいたします!

どちらかの人のファンでもう一方はあまり知らないな〜という方は、サラッと経歴だけでも見ておくと何倍も楽しめるはずです。

上口×鯨井ペアは初日だったということもあるかと思いますが、とにかくフレッシュ!微笑ましくなるような必死感というか、その過程が可愛らしい。
合間合間でボケようとする耕平くんに対して、なんでもどこでも拾う鯨井くん。さすがテニスサークル出身(笑)

それから何より嬉しかったのが、踊る耕平くんを見られたこと!!
(『タイタニック』は作品としても彼の役も好きですけどそれは少し置いといて)上口耕平は踊ってナンボだ!!四肢の多弁さは、絶対に耕平くんの武器。
こちらのペアは踊れる2人が揃ったこともあり、また背格好が似ていることも功を奏して、ダンスユニットのような軽やかさ。

原田×福井ペアは日比谷界隈とあざみ野界隈で鍛えた抜群の歌唱力を新宿村LIVEという空間で聴ける贅沢。
私の中で、原田優一くんが関わっていれば間違いないという確信があるのですが、”子役上がり”のキャリアを120%活用する優ちゃんと、今までそんな自由人だって知らなかったよ〜という福井さんのフワフワっぷりに腹筋が鍛えられます。

ミュージカルをたくさん見てきた人、ミュージカル役者をたくさん知っている人、こちらのペアで存分に笑ってください。
我こそは昭和だ、という方にもオススメです。

この制作では、学生さんに無料で見てもらう目的でカルチケ(SNSや劇場での募金をもとに)というものを発行する取り組みをしています。
お時間のある学生さんは活用してお得に楽しい作品を楽しんでください。

2018年7月 2日 (月)

銀河鉄道999 〜GALAXY OPERA〜 6/27 18:30、6/30 12:00 東京千秋楽

@明治座
27日: B席 3階正面1列目
30日: A席 2階左側1列目

星野鉄郎: 中川晃教 メーテル: ハルカ
機械伯爵: 染谷俊之 リューズ: 矢沢洋子
シャドウ: 雅原慶 クレア: 美山加恋
車掌: お宮の松
大山トチロー: 入野自由
鉄郎の母/トチローの母/プロメシューム(声): 小野妃香里
アンタレス: 塚原大助
クイーン・エメラルダス: 凰稀かなめ(特別出演)
キャプテン・ハーロック: 平方元基

岡崎大樹 高木裕和 高橋里央 出口栄一
富田大樹 長尾哲平 中島大介 バレッタ裕
藤田勇紀 森内翔大 森田カ斗
安里唯 池田美千瑠 新橋和
望月ちほ 安室夏 横関咲栄(男女別・五十音順)


原作・総監修: 松本零士

脚本: 坪田文 作詞: 石丸さち子
演出: 児玉明子
映像演出: ムーチョ村松
銀河鉄道999テーマ曲: 中川晃教
音楽: 久保田修

『銀河鉄道999』は40年の歴史と作品愛ゆえに、昨今の2.5次元舞台ブームに連なるような「舞台化されたらファンが喜ぶ」という図式は成立しない。
作品のファンは、コミックスとアニメを何十年も聖典とし、その図柄と声を自らの中でいわば神格化している、とも言えるでしょう。原作者が総監修に当たるとはいえ、素人目から見ても舞台化するにはリスクが高過ぎる。

また、普段から「観劇する」という習慣を持った人ではないと、直接劇場に足を運ぶというのはハードルが高いそうです。
作品が好きな人たちの中で舞台に好意的な興味を持った人たちがいたとしても、実際に来てくれる人はその数%に過ぎないのではないでしょうか。

ハーロックは「男なら危険を顧みず、死ぬと分っていても行動しなければならない時がある」と言いますが、キャスト・スタッフは原作ファンの批判という”危険”を十分に覚悟したうえでこの作品を送り出しました。

私が主演の中川晃教さんのファンで、時折知らされるハードな稽古の様子から彼の努力の成果を肯定したいがゆえの妄言と言えばそれまでですが、時間も空間も制限される舞台というフィールドで『銀河鉄道999』を表現できたのは、星野鉄郎が役について考えて考えて考えぬくアッキーだからだと思います。

鉄郎は最初、エメラルダスやアンタレスに”坊や”とか”坊主”って呼ばれるけれど、機械伯爵には”青年”って呼びかけられていることに気がつきました。
そこに至るまでの約2時間、子ども時代(お母さんとのシーン)があり、旅に出て様々な経験をし、鉄郎は少年から青年に成長する。
声、話し方、目の力、表情、姿勢、歩き方...舞台上のアッキーの全てでその変化を感じられました。

鉄郎はお母さんとトチローの母にハグされたり、シャドウに抱きつかれたり、クレアに盾になってもらったり手を取られたり、ハーロックとトチローに肩やら頭をポンポンされたり、メーテルに頬を触られたり、エメラルダス様と機械伯爵に顎クイされたり...と、スキンシップを一身に受けるのですが、アッキーの表情とリアクションで、鉄郎の相手に対する気持ちが分かるのです。

感情の動きを投げっぱなしにするのでも押し付け過ぎることもなく客席に届けるスキル、それがアッキーのすごいところだと思っています。


調べてみたらGALAXYという単語には、銀河という意味のほかに「華やかな集まり」という意味もあるそうです。

曲数は多くはないけれどバラエティに富んだ曲や、各ジャンルで活躍するキャストたちもGALAXY OPERAという副題にピッタリでした。

作品のファンが「なぜ鉄郎やメーテルが歌うのか?」とふと現実に戻されてしまったとしても、再現度の高い車掌とアンタレスがいること、圧倒的な美でねじ伏せるエメラルダスとハーロックがいること、リューズが美声でギターを弾き語りしてくれること、それがこの999の世界観を保ってくれている。
それが鉄郎としても心強かったと思います。

明治座というサイドにも席がある小屋型の劇場での見せ方という点では、見切れてしまう箇所が多いステージングに不満があるし、演出としては交通整理が足りなかったり逆に情報過多な部分もあり、ディレクションの確かさよりも、キャストの力量に依存する部分が大きいように感じてしまいました。

『銀河鉄道999』には少年の成長、恋、男と女、母親、死、夢...いろんなテーマが内包されていて、プレゼンテーションはワンテーマが基本と言われている現代において複雑過ぎると個人的には思うのですが(私が頭悪いだけか)、大きなくくりで言うと「人間讃歌」の物語ですよね。

クレアの純粋さに胸を打たれ、シャドウのこじらせっぷりになぜか共感を覚え、機械伯爵の狂気には、人間が生きる意味を考えさせられる。
永遠は哀しい。

限りある命を生きた人間のトチローだから、鉄郎に「本当の永遠」を教えることができる。
生身の人間が演じるということで、よりビビッドにその想いが伝わったのではないかと思いました。
それだけでも、舞台化した意味があったのかもしれません。

2018年6月25日 (月)

銀河鉄道999 〜GALAXY OPERA〜 6/23 18:30 初日

@明治座
A席 2階右側2列目

星野鉄郎: 中川晃教 メーテル: ハルカ
機械伯爵: 染谷俊之 リューズ: 矢沢洋子
シャドウ: 雅原慶 クレア: 美山加恋
車掌: お宮の松
大山トチロー: 入野自由
鉄郎の母/トチローの母/プロメシューム(声): 小野妃香里
アンタレス: 塚原大助
クイーン・エメラルダス: 凰稀かなめ(特別出演)
キャプテン・ハーロック: 平方元基

岡崎大樹 高木裕和 高橋里央 出口栄一
富田大樹 長尾哲平 中島大介 バレッタ裕
藤田勇紀 森内翔大 森田カ斗
安里唯 池田美千瑠 新橋和
望月ちほ 安室夏 横関咲栄(男女別・五十音順)


原作・総監修: 松本零士

脚本: 坪田文 作詞: 石丸さち子
演出: 児玉明子
映像演出: ムーチョ村松
銀河鉄道999テーマ曲: 中川晃教
音楽: 久保田修


この舞台作品は『銀河鉄道999』の実写化というだけではなく、作品誕生40周年を記念したものという側面が強い。
忠実な再現というより、松本零士という果てしない夢を持った漫画家が『銀河鉄道999』をどのように生み出し、なぜ今も漫画を描き続けているのか、というエピソードを織り込んでいる。

なので、劇場版『銀河鉄道999』を1回でも見たことがある人にとっては、「そこで終わるんかーい!」という場面で終わります。
つまり、メーテルに「私は、あなたの想い出の中にだけいる女。 私は、あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」と言わせない。

今回、トチローの死とエメラルダスとハーロックの友情を通して、青春は終わらないと描いている。
人間には永遠の身体はないけれど、“限りある命を燃やして生きる”ことが、その後”誰かの中で永遠に生き続ける”ことになる。青春は引き継がれる。


原作者であり総監修も務める松本零士先生のコメントがHPに掲載されています。
永遠の命とは何か?に向き合い続ける鉄郎は零士先生自身であり、また鉄郎に限りある命を燃やすことが永遠の命だと説くトチローもまた、鉄郎を生み出す零士先生なのです。

トチローが共に青春を翔けたハーロックとエメラルダス、それはあたかも零士先生と同時代に活躍したたくさんの漫画家たちにも重なるように感じます。
トチローは零士先生であるとともに手塚治虫でもあり、石ノ森章太郎でもあり赤塚不二夫や藤子・F・不二雄や藤子不二雄Aなのかもしれません。彼らは早く亡くなってしまったけれど、残したスピリットは受け継がれていく。

映画でも劇中でも、キャプテン・ハーロックから「男なら失敗するとわかっていてもやらなきゃいけないときがある」という台詞が頻発します。
ハーロックはヒーローで、トチローの親友でもあり、鉄郎にとっては憧れの存在。零士先生にとっては自分を鼓舞する理想の自分の姿なのかもしれません。

脚本の坪田さんは『プリキュア』のシリーズ構成に参加されているのですが、今シーズンのプリキュアのテーマは「女の子は何にでもなれる、何でもできる」(「男の子だってお姫様になれる」と提示した回もあるそうです)。
そんな時代において、「男なら」「男として」という思想を前面に押し出すことは、あまり受け入れられないものだと思うのです。
そこを1人の実在の男が辿ってきた話、つまり、画材と行きの切符だけを持って北九州から列車に乗って東京にやってきた松本零士先生のエピソードとかぶらせることによって、そういう生き方をする人間もいるのだという”一例”にも落とし込んだのは、効果的だと思いました。

名作と言われているものでも、メッセージには普遍性があるものと時代性のものがあると思います。
ある時代では無条件で受け入れられていた価値観がほかの時代では、ちゃんと背景を描いて「なぜそれを伝えなければならないのか」を明確にしなければ反発を招いてしまう。


鉄郎は、ガラスの身体を持ったクレアとの出会い、そしてトチローの生き様から、機械の身体を手に入れて永遠に生きるよりも、今、命を燃やしていきることこそが自分のやるべきことだと悟る。
松本零士先生がたくさんの作品を生み出し80歳の今もまだ走り続けているように、ひとつひとつ懸命に闘っていくことが旅の終着点に辿り着くただひとつの線路なのでしょう。

ただ、個人的には「大事なことなので2回言いました」的に、台詞に何回も出てきたのは過剰ではないかな?とも感じました。なんというか、道徳の授業みたいで。
大事なことは分かったから!みたいに、そっぽを向きたくなってしまうんですよね、ひねくれ者なので。
役者さんたちのそれまでの素晴らしい演技でじゅうぶんに伝わってきます。

私自身は『銀河鉄道999』をリアルタイムで観た世代ではありません。
なので、鉄郎役の野沢雅子さんと言えば『ドラゴンボール』の孫悟空だし、車掌役の肝付兼太さんは『ドラえもん』のスネ夫だし、リューズの小原乃梨子さんは同じくのび太だし(声優チェンジ前の『ドラえもん』世代)、ハーロックの井上真樹夫さんは『ルパン三世』の石川五エ門だし、エメラルダスは『ベルサイユのばら』のオスカルなのです。(『ベルばら』は子どもの頃に再放送やってたんですよねー)

なぜ凰稀かなめさんが『1789』公演を中抜けしてまでこの作品に関わったのか謎だったのですが、彼女もまた宝塚時代にオスカルだったと知りました。それが狙いだったのか!
でも、何かのインタビューで「久しぶりに戦いたかったの(笑)」と答えていたのをお見かけしたので、ファンの方はマントを翻して戦う姿を見られるのは嬉しいと思うんですよね。男役を卒業してしまうとそんな役はなかなか見られないし。
エメラルダスは孤独な女海賊と言われているけれど、戦いに身を賭し胸の中にトチローへの熱い愛を秘めた、強くてかっこよくて美しいかなめラルダス、最高でした。

エメラルダスの盟友ハーロックも、みんなが憧れるようなヒーローofヒーローで、あの衣装を着こなせる元基くんすごい。
ソロはすごく難しいメロディラインだったと思いますが、トチローとエメラルダスと共に戦った日々に想いを馳せ、鉄郎を見守る優しさや年齢以上の渋みや人生の痛みも感じさせるものでした。

同い年のかなめさん、年下の元基くんに「坊や」扱いされるアッキー鉄郎、めっかわ(笑)
小野妃香里さんにもたくさん抱きしめてもらっていて、坊や属性すごいな…。今回3人の母を妃香里さん1人が演じるというのは、”母なるもの”という点がですごく示唆的(舞台に直接関係ないのですが、最後にちょっと書きました)だと思いました。

車掌さんとアンタレスがアニメそのままで、思わず顔がニヤついてしまうほど!
車掌さんはちゃんと腕章が落ちるし、時間城に潜入してくるアンタレスかっこいいよぅ〜(体格差萌)。
冒頭、メーテルに名前を訊かれた鉄郎は、この名前は父親が付けてくれたと自慢気に言っていますが、アンタレスに「男らしい名前だな」と言ってもらえたことで、彼のことを父親と重ねていたのかもしれませんね。

永遠を手に入れてしまった狂気と哀しみの機械伯爵。染様、好演でした。美貌はもちろんなのですが、声が素敵ですよね。
驚いたのが初舞台だというリューズ役の矢沢洋子さん!もともと歌手として活動されているということで、歌う場面のあるリューズはハマり役だと思うのですが、伯爵を愛し抜く覚悟が伝わってくるお芝居、とても良かったです。また別の作品でもお目にかかれるといいな。

雅原さん演じるシャドウも、機械伯爵と同じように永遠を手に入れてしまった女性。艶やかな歌声が逆に失ってしまった生身の身体というものを際立たせていたように感じました。鉄郎が機械の身体を持つことに迷いを持つようになるきっかけとなるシーン、鮮烈な切なさを描いていました。

嬉しいサプライズだったのがガラスの身体を持った銀河鉄道のウェイトレス・クレア!
クレアと鉄郎の場面はまるでラブコメのようで、微笑ましくクスッと笑えて、とにかくかわいいです。そりゃ美山加恋ちゃんですからね。
ガラスの身体を持つクレアに出会うことで、鉄郎は人間の身体であることを自覚する。2人の出会いはとても意味深いもの。
そのやりとりがとてもキュートなので、映画版のラストまで描いてしまったら私が立ち直れないかもしれない…これで良かったのかも?(えっ)
クレアちゃんと鉄郎にはキャッキャウフフしていてもらいたい。

メーテル。難しいですよね。
映画やアニメを全編見ていなくともその存在だけはみんなが知っている。
舞台上で声を荒げず、抑揚なく台詞を続けることはかなり難しいことと思います。
鉄郎の母親を殺したのは機械伯爵だけれど、(劇中で明示されないのですが)その状況を生み出したのは自分の母親であるプロメシュームで、彼女の意に沿うように鉄郎を利用する、その葛藤と境遇の悲しみ。
鉄郎のピュアな言動がメーテルを揺り動かしていくのですが、大声で泣いたり叫んだりできないメーテルを表現するのは、鉄郎との対比にかかっているのだと思います。

トチロー(ともう1役)の入野自由くん。
朗らかで情熱的なトチロー、魅力的でした。そりゃエメラルダスの心もゲットしちゃうわ。
機械化人の悲しみを見てきた鉄郎が人間として何が出来るかと考えるようになる、説得力に溢れた存在になっていました。
零士さんパートと999を繋ぐ役として、また、この作品のメッセージを一身に担う役として、かなり特殊な役柄だと思いますが、パーンと弾ける声が仲間を、そして作品全体を鼓舞しているように感じました。

それにしても、アッキー鉄郎と自由トチローのデュエットが素晴らしく、インタビューで2人は声の相性がいいと言っていたけれど、これを聴けて良かった!

アッキーの星野鉄郎は、完璧な衣装のおかげもあるのですが舞台に現れた途端に少年の鉄郎でした。姿勢もかなりアニメを意識して作っているように見えました。
台詞は野沢雅子さんリスペクトを感じさせつつ、冒頭、特に、旅に出発する前とお母さんを殺される場面は初めて聞く声でした。アッキーは「フランキー・ヴァリのトワングが第3の声」と言っていますが、この少年の声は第4の声と言えるのではないでしょうか。

喜び、葛藤、苦悩...それぞれの出来事に正面からぶつかり、鉄郎少年は、銀河の旅で青年へと成長する。その変化を自然に、しかし考え抜いて演じられるのはアッキーだけだと思います。

オープニング、スラム育ちを表現するのにラップを使ったことに軽く驚きつつも、かなり踊るアッキーも見られてラッキーだったり。要注目!
ジャケットにしてもマントにしてもあの衣装は暑いはず。ものすごい汗をかき、約3時間出ずっぱりで舞台を引っ張っています。

初日、カテコで松本零士先生から挨拶があり、キャストにエールを送ってくださいました。また、客席に野沢雅子さんがいらっしゃっていたので、アッキー、お話しが出来ていたらいいなぁ。


正直に言うと、初日を見た感じでは、演出面でこの999という作品と明治座という空間を手に負えていない面が見受けられました。衣装&メイクによる再現度の高さもあいまって、自分の役柄への理解度が深いキャストたちの力に頼っている部分も大きいと思います。

そういった意味では、車内放送(開演前&休憩時間のアナウンス)をキャストにやってもらうのは正解だと思います。
クレアちゃんのツイートによると、クレアちゃんと車掌さんが生アフレコしているのだとか!
次回の観劇も楽しみです。


<ここからは舞台にあんまり関係ない話>
アッキーが出るということで、劇場版のBlu-rayを入手して2〜3回観た程度。
『銀河鉄道999』では、おそらく数えきれないほどの考察や論文が発表されていると思うので、”何を今さら感”があると思うのですが、『銀河鉄道999』の中での描き方で特徴的なのは”母”の存在で、映画では鉄郎の母、トチローの母、そしてプロメシューム(メーテルの母)という3人の母親が登場します。
子どもを慈しみ理解しようとした2人の母親と支配しようとするプロメシュームという描写。

ユング心理学には「太母(グレート・マザー)」という共有されるイメージがあるそうです。
愛情豊かで弱きものを包み込むように優しく保護する姿によって、男性の内面の異性像の理想化となる一方、グレート・マザーには、その包容力ゆえに子どもを飲み込み独占しようとする負の側面もあって、まさしく999ではその両方が描かれていたのだと気がつきました。

鉄郎は母の仇を取るために母とそっくりなメーテルと旅をする。つまり、初恋の女性の中に母を見ている(劇中では言及されていなかったけれど、実際、メーテルの身体は鉄郎の母のもの)。
プロメシュームとの対決はこの舞台版では描かれていないので、鉄郎はずっと「母親は無条件に愛する存在」と信じていて、メーテルが抱える葛藤には気がついていません。
そして旅の中で鉄郎はメーテルと母親は違うと言うようになりますが、機械伯爵を倒してメーテルの元に戻ったとき、成長して愛する女性の前にやってきたのか、それとも母親の面影を彼女に見ていたのでしょうか。

もし続編があるのであれば、描かれるのはここなのかなぁ。

2018年6月12日 (火)

ラヴ・レターズ 6/11 18:30〜

@草月ホール
1階 SD列 下手側

メリッサ・ガードナー: 知英
アンドリュー・メイクピース・ラッド三世: 中川晃教

演出: 藤田俊太郎

アッキーが過去2回出演したときは見ていないので、同じ演目で時間が経って、また、相手役が代わってどう変化したのかは私には分かりません。

たわいもない話題を書いてはお互いの環境を分かち合い、すべてを知ろうとしていた若い2人が、知り過ぎたゆえに離れ、別々の道を歩み、いつしかクリスマスカードのやり取りだけになっていくということだけで時間の流れが分かってしまう構成がリアルでした。
2人のような関係ではなくても、大人になれば(日本で言うところの)年賀状のやり取りだけになっていってしまうものですよね。

ツイッターにアンディのパートをアップしているアカウントがありました(もしかしたら、メリッサのもあるのかな?)。

アンディのこの文面、”書くこと”を”音楽”や”歌うこと”に置き換えてみると、そのままアッキーじゃないか!と思えて、一気にグッと引き込まれました。


少年少女とも言えないような子どもの時代から壮年〜初老期まで、2人が交わした手紙を読んでいく。
2人それぞれの人生でありながら、彼らが1つの物語を作っていく過程のようでもありました。

成長しても少女のように可憐で危なかしく自由奔放で少しエキセントリックなメリッサと、背負うものが大きく重たくなっていくアンディ。
2人は何もかもが正反対で、だからこそ月日が経てば経つほどお互いがお互いを求めるしかなかったのでは。

2人の若い肉体は手紙の中の2人によって結ばれることはなかったけれど、数十年の年月の手紙の2人が実体の2人を近づけ、いつのまにか心と身体をひとつに添わせた。



アンディの妻子、そしてアンディを取り巻く状況からしたら、表面上2人の関係は不適切なものに見えるのかもしれないけれど、アンディは手紙という手段でメリッサにすべてを投げ出し、長い時間をかけてメリッサを侵食してきた。そして、アンディはもはやメリッサの中に生きていて、2人はひとつになるべくしてなったのだと思いました。

学校や家族に束縛されることは苦手なのに、アンディの手紙によってアンディに絡め取られてしまうメリッサ。
アンディは自分にそんな思いはなくとも、手紙でメリッサにある種の呪いをかけ続けていたのかもしれません。

同じく手紙のやり取りによって成り立っている『ダディ・ロング・レッグズ』は、ジルーシャの手紙によってジャービスが現実の呪縛から救われる話だけれど、手紙に込められた思いが相手を包み込んでいく様子としては同じなのかも、とも思ったり。

話はずれますが、殺人犯の兄と弟の手紙について描いたミュージカル『手紙』(原作: 東野圭吾)も、演出は藤田俊太郎さん。手紙の持つ力をまったく別方向で取り扱った作品が同じ演出家というすごい偶然。


舞台上には2脚の椅子の間に小さい机、その上にお水の入ったデキャンタとグラスが2つだけ。
知英ちゃんは頻繁にお水を飲んでいました。
それが、メリッサの情緒不安定さやアンディからの手紙を受け取ったときの心の動きを表現しているように見えて、視覚的にとても効果的だったと思います。
白いワンピースもメリッサの少女性の象徴のようでした。

一方、アッキーは1幕2幕通じてほとんどお水に口をつけなかったと思います。それも、アンディがメリッサの手紙と真剣に向き合っているようで、手紙の中のメリッサとの逢瀬を邪魔されたくないというような意志にも感じました。

子ども時代のピュアなラブ、青春時代の性衝動と感情の不一致、別の恋愛、戦争、仕事を得て自分のエリートとしての務めを果たそうとする様子、結婚……
アンディは50数年を駆け抜ける2時間で目まぐるしく変わっていきます。
でも、”手紙を書く”という行為だけは変わらなかった。

朗読劇ではありますが、アンディを演じるアッキーの表情が刻々と大人になっていく様子を見ることができました。
子ども時代から国を動かす立場になるまで、キュートな笑顔とちょっとした角度で顔に陰影をつけて社会的責任のある男の覚悟のようなもの、ただ座っているだけなのに、年齢の経過を感じさせる演技でした。

アッキーは、殊更に声音を変化させるようなこと(わざとしわがれさせるとか、スピードを変えるとか)をしないのですが、壮年期のアンディの声自体に深みを感じさせられました。
これはJBのフランキーでも思ったことなのですが、その深みというのは、キャラクターが(舞台で描かれていない)経験してきた喜怒哀楽が声に宿っているということなのだと思います。
アンディの地位相応のズルさ、したたかさ、それと相反する元来の純粋さ…。それが声に、朗読に現れている。

そして、ラストシーン、極限まで我慢していたものが決壊した感じの最小限の泣き。素晴らしかった!
例えばJBの「Fallen Angel」、例えば『フランケンシュタイン』の「後悔」…アッキーが伝える“喪失”の繊細な表現が大好きです。
刺されるような、えぐられるような痛みというより、心の奥の奥に大切にしまっていたいちばん大事なものにヒビが入ったような、その人にとって最大の悲劇を静かに慈しんで悲しむような涙。

アンディがメリッサの母親宛ての手紙を読むとき、知英メリッサが手紙を介さずアンディに寄り添っている。もうメリッサはアンディの手紙に縛られることはなく、今度はアンディがメリッサの幻に縛られて生きていくことになるのかもしれません。

メリッサとアンディ、演じる役者さんたちの数だけ、その形はあり、また観客それぞれの環境やテンションに寄って受け取るメッセージが異なる物語だと思います。
だからこそ、こんなに長く上演され続けているのでしょう。

最後に、アッキーは客席ではなく上に向かって投げキスを送りました。
アンディから天の上にいるメリッサになのか、アッキーから亡くなられた演出の青井陽治さんに宛ててなのかは分からないけれど、何か温かい感情がその場を満たしていたように感じます。

2018年6月 6日 (水)

ウーマン・オブ・ザ・イヤー 6/2 12:00〜 6/9 17:00〜

@赤坂ACTシアター
S席1階C列 センターブロック

テス・ハーディング: 早霧せいな
サム・クレッグ: 相葉裕樹
ジェラルド: 今井朋彦 ヘルガ: 春風ひとみ
チップ: 原田優一 アレクセイ: 宮尾俊太郎
ジャン他: 樹里咲穂
モリー他: 角川裕明 ラリー他: 田村雄一
天野朋子、池谷京子、木村晶子
栗山絵美、原広実
新井俊一、大野幸人、木内健人
佐々木崇、染谷洸太、俵和也、山本大貴

脚本: ピーター・ストーン
作曲: ジョン・カンダ―
作詞: フレッド・エッブ
上演台本・演出・訳詞: 板垣恭一
音楽監督: 玉麻尚一

テスのキャラクターが「男社会でのし上がる」と無理に肩ひじ張っている女性ではなく、ただただ仕事が大好きなキャリアウーマンとして一貫していたことにスカッとする明るさを感じました。
「男には負けない」「女だけど男なの」と歌う曲もあったのですが、“女だからバカにするな”という意図ではなくて、前のシーンからの繋がりで、外交官だった父親のようにバリバリ仕事をしたいというテスの思いが根底にあるのが分かるので、テスに空元気のような悲壮感がなく、彼女を応援したくなります。

そして、何より痛快だったのが“強がって見せているけれど内心は心細くて男性に寄りかかりたいと思っている”という描写が一切なかったこと。ノーストレス!!
お互い一目惚れして、好きになったから結婚した。
それが何?それがいい。

結婚してからも何ひとつ自分の生活を変えなかったこと、それは、一緒に暮らしていく人に対する思いやりが足りなかったという点でテスに非があると思うのですが、仕事に生きるテスを否定せず「(夫婦のあり方を)2人でチャレンジしよう」というサムの最後の提案がとても素敵。

この作品は1981年にブロードウェイ初演だそうで、劇中はおそらく1980年前後のアメリカを舞台にしているのだろうけれど、専業主婦vsキャリアウーマンを「どっちがいい」と結論づけず、それぞれに『隣の芝生は青く見える』と歌わせる視点が、2018年の今見ても優しく感じます。

また、愛に生きるアレクセイの存在も、サムをないがしろにしてしまったテスの反省を促すモチーフとしてアクセントになっていて面白かったです。
宮尾俊太郎さん、お芝居の部分ではインパクト大かつキュートに、そしてバレエダンサーとしてダイナミックに舞台上で躍動していました。

漫画家のサムにも、自分のスタジオとインクポットという行きつけの溜まり場という居場所があって、結婚というのは違う世界を持った2人が一緒になるということなのだと分かりやすく提示されていたと思います。

サムの描く猫のキャラクターのカッツが映像で映し出されるのですが、一緒に踊るばっちがとてもかわいい。細長い手脚も相まって、そっくりに見えてきます(笑)

サムの漫画家仲間は、新井くん、俵くん、健人くん、幸人くん。そういえば、幸人くんは3月の『ツクリバナシ』に続いて漫画家の役ですね。
踊れて歌える4人の活躍は嬉しい限り。幸人くんはなんと白タイツのバレエダンサーも兼任します。

原田優一氏。
なんというかもうジャンルが原田優一。クセが強い。
テスがスカッと爽快!という性格なので、対極に位置する感じのキャラクターを振り切り過ぎていて、好きとしか言えない。チュチュもかわいかったよ?(震)。

テスの家のお手伝いさん・ヘルガを演じる春風ひとみさん、テスの超優秀な秘書ジェラルドを演じる今井朋彦さん。このお2人が最高に素晴らしかった!
ヘルガとジェラルドには、テスに良い仕事をしてほしい、そのために自分は彼女のもとで働いているんだというプロフェッショナルな矜持を感じ、テスが幸せでいられるように気を配っている様子は温かくも少し過保護で子ども(仕事以外何もできない)扱いしている様子が良い関係。

ジェラルド、私が見てきたミュージカルの中で最高のジェントルマンだと思います。今井朋彦さんがかっこいいからそう思ってしまうのでしょうか…。
今井さん、アンサンブルワークに参加されていたことに驚きましたし、歌声も艶がありウットリさせられましたし、テスとの掛け合いソングは楽しいし、ヘルガとのデュエットは抱腹絶倒だし、ジャケットを脱いでシャツを腕まくりする姿はセクシー過ぎて300万回見たいし、とにかくチケットを取っていた私、Good Job‼︎

『CHESS』と『フランケンシュタイン』を見たくなってしまうアンサンブルキャストの顔ぶれ。
終盤のTV番組収録の場面は、TVクルーを演じる彼らの大活躍ぶりに笑いが止まらなくなりました。みんな全力で芝居が細かい(笑)

そういえば、赤坂ACTシアターでは、『HEADS UP!』で舞台のドタバタを見て『ウーマンオブザイヤー』でTV番組のドタバタを見たことになるんだなぁ。
(どっちにも、ばっちが出てるw)

『キャバレー』『シカゴ』を作ったジョン・カンダーの曲はキャッチーで、つい口ずさみたくなる中毒性もあり、「良いミュージカルを見た!」という心地良さを感じられる観劇でした。

6/9 鑑賞後追記
テスとサムの最初のキスシーンは、テスが椅子の上に乗っているのに対し、最後は同じ目線で行う。
それだけで、この2人が最初は結婚に対して別々の考えを持っていたこと、「2人で挑戦してみないか」とサムが2度目(?)のプロポーズをした後は、2人が同じ場所からスタートすることが分かる。
演出ってこういうことなんだなぁ、と思わされました。

2018年6月 4日 (月)

DAY ZERO 5/31 19:00〜

青山DDDクロシスアター
C列センター

弁護士 ジョージ・リフキン: 福田悠太(ふぉ〜ゆ〜)
タクシードライバー ジェームス・ディクソン: 上口耕平
小説家 アーロン・フェラー: 内藤大希
パトリシア ほか: 梅田彩佳
モリー・リフキン ほか: 谷口あかり
カウンセラー ほか多数: 西川大貴

Based on the screenplay DAY ZERO by Robert Malkani
上演台本: 高橋知伽江
作曲・音楽監督: 深沢桂子
演出: 吉原光夫
ギター演奏: 中村康彦

カオスだと思ったメロディーも、2回目だと身体に入ってくる箇所もあったのは収穫。

東京公演初日前の取材では、この作品で描かれる近未来は2020年だと明かされていました。
劇中に「明日は昨日の続きだと信じて 今日を生きてきた」(意訳)というような歌詞があります。
2020年は2018年の続き。
それなら、せめて2010年代の政治の動きを踏まえたものにならなかったのでしょうか。

トランプ政権の任期は2021年1月までなので、2020年は大統領選真っ只中ということになります。
その話題がいっさい出てこないというのは、アメリカ社会を描くうえで、あまりにも不自然ではないかと思うのです。

原作の映画ではどう描かれているのかわかりませんが、2008年に上映された近未来の姿は2018年ではすでに過去のものになってしまっているような気がします。
ゲイやレズビアンのアスリートがオリンピックで活躍し、大物映画プロデューサーへのセクハラ告発に端を発する #Metoo ムーブメント全盛の今、彼らの思考・行動が時代遅れの感が否めないのです。

2020年という近未来にすることによって、自分たちに身近な話題となるはずなのに、2018年までが描かれていないのでこれが2020年である必要がないんですよね。
本当に徴兵制があった第二次世界大戦でもベトナム戦争でも描ける話。

決められたDAY ZEROまでどう過ごすか。
20年来の彼らの友情、それぞれが守りたいもの、やりたいこと、見つけたもの。残してきた過去と向き合うこと。
それがこの作品で描きたかったことだと思うし、伝わってはくるけれど、”現代があっての近未来”という前提がすっぽ抜けているので、状況が上滑りしてしまっているように感じてしまうのです。

1時間40分強の作品ですが、もう少し時間を伸ばしてでも彼らを取り巻く”社会”を描いて欲しかったように思います。

«朗読(クローゼット)ミュージカル『不徳の伴侶 infelicity』 5/30 19:00〜