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2018年10月18日 (木)

タイタニック 10/11 18:30、10/13 12:30

@日本青年館
10日: S席1階G列 下手側
13日: S席2階E列 センターブロック

アンドリュース: 加藤和樹
イスメイ: 石川禅 スミス: 鈴木壮麻
戸井勝海、津田英佑、小野田龍之介
佐山陽規、安寿ミラ
相葉裕樹、菊地美香、栗原英雄、霧矢大夢
渡辺大輔、小南満佑子、屋比久知奈、豊原江理佳
藤岡正明、上口耕平、木内健人、百名ヒロキ、
吉田広大、須藤香菜

脚本: ピーター・ストーン
作詞・作曲: モーリー・イェストン
演出: トム・サザーランド

続投組: 加藤、戸井、津田、小野田、佐山、安寿、栗原、藤岡、上口、須藤
役変更組: 鈴木(イスメイ→船長)、
菊地(ケイト・マーフィー→キャロライン)
新規組: 石川、相葉、霧矢、渡辺、小南、屋比久、豊原、木内、百名、吉田
(順不同敬称略)

初演キャストがけっこう残ったと思っていたのですが、こうやって書き出してみたら、新規組とあんまり人数は変わらないんですねぇ。

基本的には、抜けた人の代わりに新しい人が入っていますが、初演で古川雄大くんと矢崎広くんが2人でやっていた役を3人で分割しているのが再演の特徴でしょうか。また、初演で川口大地くんがいろいろ演じていた役を木内くんが大方引き受けている印象。

古川くん→ ジム・ファレル、ベル、転ぶ給仕など
ぴろし→ ベルボーイ、ハートリー など

渡辺くん→ ジム・ファレル、転ぶ給仕など
木内くん→ ハートリー、ベルなど
百名くん→ ベルボーイ など

私が前回見ているからか、それともサザーランド氏のチェンジマンぶりが発揮された結果か(日本の前にもイギリスで本作品のツアーをやってらっしゃることもあると思いますが)、それぞれの役柄の奥まで伺えるような深みを感じる再演でした。

そして、特に感じたのが”階級”という既存の枠組みと、それに抗うように生きる新しい世界を夢見る人たちのはち切れそうなエネルギー。
立場が違う二等客のカップルの”階級”をぶち壊したいという思い。

初演の未来さんキャロライン&シュガりんチャールズはこのタイタニック乗船が幸せの絶頂で、2人でいられることがとても嬉しいというラブラブっぷりでしたが、美香ちゃんキャロライン&ばっちチャールズは、イギリスという階級社会から抜け出してアメリカで結婚するんだ!(フラグをどんどん建てる)という決意と期待の船出、という感じ。

初演のシルビアさんアリスは、ファニーでミーハーでセレブを真近に見てキャッキャしている印象が強かったのですが、霧矢さんアリスは、二等客という身分には満足せず、セレブに交わることにこそ意味があると息巻いている。

これらのキャラクターの変化が、初演と再演のいちばんの変化であり、再演で強調されていた主題だと感じました。

三等客がエッチスに雑に扱われる描写、一等客を救助するために出口を塞いで三等客を待たせろという台詞、これらは彼らがいかに旧体制で虐げられていた存在かを表す一方で、バレットは彼らに手を貸し、ライトーラーは船長の指示にあからさまに怒りを見せ、ストラウス夫妻は自らの救命胴衣を三等客のカップルに手渡す。そして、アイダは自分の指から指輪をはずしてケイトに、イシドールは札入れをジムの手に伸ばす。

人間が同じ人間を助けるために全力を尽くす。当然といえば当然だけど、その美しさが際立つようになっている。

ライトーラーは、船長が電報に対して懐疑的な態度を取る場面で「これからはそういう時代が来ると思いますが」と意見を述べるのですが、上記の「三等客も救助すべきだ」と考えているような態度と合わせて、彼の台詞はそこまで多くないのに、新しい時代を担う人として描かれているように思えました。(実際は生き残った後はなかなか曲者的な生き方をしたようですが)。それをきちんと感じさせてくれたのは、龍ちゃんの力量でしょう。

また、階級というのは、一等客、二等客、三等客だけではなく、船長をトップとする乗員の統率体制にも言えることなのかも、ということも今回の再演で感じたことでした。

船長をトップとした体制は、正しくリーダーシップが機能しているときは物事がいちばんスムーズに進むやり方ですが、虚栄心に支配された偉い立場にある人ほど自分の経験に固執し周囲からの情報を跳ね除け、自分を盲信することになる。

もし、機関室から「これ以上のスピードは危険だ」と航海士に意見が出来たら、悲劇は防げたかもしれない。
しかし、航海中、船は船長のもので、船長はたとえ自信がなかったとしても自信があるように振る舞うもの。

特にベルくんの上と下に対する態度の違いが、トップダウンの弊害を如実に表しているのがよくわかりました。
ベルは自分の下で働くバレットや他の機関士には厳しく当たる一方で、航海士からの指示が来るたびに「承知しました」と返事をする。急にスピードを上げたら危険だということが分かっているのに「それはおかしい」とは言えない。
「承知しました」と応える健人くんの表情のひとつひとつの変化で、状況がおかしい方向に進んでいることがわかる。

イギリスから、アメリカに向かうタイタニック。その船内は、階級を飛び越えて物を考える人もいれば、自分の所属する階級、職掌の権力を振りかざす者もいた、本当に旧体制と新世界そのせめぎ合いの場所だった。
“彼女”が沈んだ後、ますますアメリカという国は力をつけていく。


藤岡くんの第一声「すーごいぞータイターニック!」は、この作品のファンファーレだなぁと思うと同時に、一緒に百名くんベルボーイの若い溌剌さに注目させるスポットライトの使い方が上手い。
全編を通して、スポットライトが視覚的な”予兆”となっており、また藤岡くんの歌がこの作品の芯として機能している。

「バレットソング」では歌としての”予兆”、「プロポーザル」で”ラブバラード”、チャームソングはハートリーのパートかな?と、『グーテンバーグ!』を見た人には「お、あの説明そのままやんか!」的なオーソドックスな構成でありながら、群像劇として、どのキャラクターも2時間半を生きているサザーランド氏の演出の巧みさに感服。

健人くんは、開演前も和樹アンドリュースの同僚or部下として活躍。
上から見ると、開演前の加藤くんの机にあるのは青い紙に書かれたタイタニックの設計図とノートだと分かりました。
健人くんとは、設計図見ながら「ここはこうかな?」的なお芝居をしていることもあればアンドリュースが気分転換に雑談してるんだろうな、って感じもあったり。
健人くんがいることで、アンドリュースも他の船員や乗客と同じように仕事をしている普通の1人の人間なんだってことが伝わってきて、前回の一人芝居より好き。

健人くんは『グランドホテル』『パジャマ・ゲーム』今回の再演『タイタニック』でサザーランド演出作品皆勤賞!おめでとう〜。
カメラマン、ベル、給仕係、三等客、通信士の同僚とか取っ替え引っ替え出てくるのですが、いずれの登場人物でもきちんとその役割を演じ分け、ハートリーで登場したときの華がすごいぜケントキノウチ!
ハートリーは歌手なので当たり前といえば当たり前なのですが、ソロが2曲もあるんですよね。
お客様を新世界へ運ぶエンターテイナーとして最後まで演奏し続けて職務を全うした彼の矜持が素敵。最後の立ち位置、おそらく「秋」を歌っていたときと同じ位置です。

耕平くんは、前回から変わらずブライド、一等客のセイヤー氏、お店を持ちたい三等客。
そういえば、ブライドくんは、冒頭のバレットの「さらば恋人 きっとすぐに帰るさ」(フラグ!)の後にソロで同じメロディを歌うんですよね、そして手紙にキス。もしかして、ブライドにも恋人がいたのかなぁ。
それとも恋人未満の想い人?だから、バレットのプロポーズを手伝いたくなったのかも…。
コミュ障気味だけど仕事ぶりは真面目。彼が通信のメモを握りつぶしてしまうシーンは彼の心も潰されてしまうような痛々しい表情でした。
バレットが恋人に歌う一節「どうか 神の祝福を」。
これがブライドによって、死者へのレクイエムとなる切なさと美しさに涙が止まりませんでした。

美しさといえば、やはりストラウス夫妻。
このお二方の佇まいと行動には、お金持ちだからではなく、人としてどうありたいかということが描かれているのだと思います。崇高で、気高くて、優しい。
そして、日本で上演されるミュージカルとしては珍しく、大人の愛を描写している稀有な例だと思います。

2人で最期まで共にする愛、相手だけは助かって欲しいと願う愛、一緒に生き延びようとする愛だけではなく、仕事に対する愛に生きた人々も描くなか、アンドリュースが人が蹴落とし合い死の淵でもがいている様子を歌うソロは、とてつもない皮肉だと思いました。

彼がタイタニックの中で見ていたのは、何だったのでしょうか。
設計士が主演(群像劇ですが)に位置付けられた意味を考えたいと思います。

2018年10月11日 (木)

タイタニック 10/6 12:30、10/9 12:30

@日本青年館
6日: S席1階D列 センターブロック
9日: S席1階J列 上手側

アンドリュース: 加藤和樹
イスメイ: 石川禅 スミス: 鈴木壮麻
戸井勝海、津田英佑、小野田龍之介
佐山陽規、安寿ミラ
相葉裕樹、菊地美香、栗原英雄、霧矢大夢
渡辺大輔、小南満佑子、屋比久知奈、豊原江理佳
藤岡正明、上口耕平、木内健人、百名ヒロキ、
吉田広大、須藤香菜

脚本: ピーター・ストーン
作詞・作曲: モーリー・イェストン
演出: トム・サザーランド

シンケンブルーとデカピンクとモアナがいても、船は沈むんだな…。

タイタニックという船は、新しい世界と古い価値観の境界線にいた。
新天地でたくましく生きていこうとする女性三等客、階級を乗り越えようとする女性二等客、速さを求める男性一等客とイスメイ、電報を駆使する通信士、電報の時代がやってくると受け入れる航海士。
一方、今までの経験に即して考える船長や客室係。

設計士のアンドリュースという人物は、世界一大きな船を設計する科学技術の知識を有しながら、船が氷山にぶつかったのは「神の意志だ」と嘆く、自らの中にその二面性を持った人物として描かれている。

アンドリュースは、船の速さについても(22ノット、もしかしたら23ノットまで)、浸水してから沈むまでの予測(1時間半、もって2時間)にしても、自分が自信を持って保証できる範囲と希望的観測を述べていますが、そのエクストラの部分が”神が味方をしてくれるなら”といったニュアンスを含んでいるように感じられます。
”自分の船”のことは自分がいちばんよく知っている。

しかし、イスメイはあくまでも”自分の船”が記録や伝説を作ることにこだわった。技術的に可能であること=実現可能であることではない、それがイスメイには分かっていない。

スミス船長は、自分こそが船長で、この船が海の上にいる間は全て自分の統治下にあると自負している。それをイスメイに邪魔されるたびに自分の方が上であることを示そうとして、本来の一番の任務である安全航行を疎かにしていく。

そうして、イスメイとスミスは、虚栄心からアンドリュースが口にした”神”の領域を侵し、人間は敗北することなった。
冒頭、生き残ったイスメイの目に光る涙は、愚かな自分への怒りや後悔なのか、乗客への贖罪なのでしょうか。

船がまさに沈もうとしているときに起こる通信室での三者の責任のなすり合いは、人間の醜さの極みを描写しているが、その脇で、最悪の状況から脱するために一心不乱に自分のできることをやり続けるブライドに人間の光を見ることができる。

氷山にぶつかる前にメモを握りつぶした耕平ブライドにスポットライトが当たるのが本当につらい。
それまでに彼の意見が船長に聞き入れられていれば...。

「この船の一番重要な場所へようこそ!」で、ブライドがどんなに自分の仕事に誇りを持っていたかが分かるし、機関士の藤岡バレットも、船長からの指示を伝えに来た木内ベルに「これ以上スピードを上げたら危険だ」と警告する場面があるし、そのベルも船長(マードックから)の指示を聞いた瞬間は「それは無茶だ」という表情をする。
乗組員はみんな”自分の船”に、自分の仕事に責任を持って動いていた。

登場人物の都合上、一等客室係のエッチスが三等客と言葉を交わす場面があるけれど、実際では持ち場がきちんと決められていて、他のエリアの客とは交わらないはず。
彼が階級によって人を見定めるような人物として描かれているのは、彼が古いタイプの人間であることを示唆しているけれど(反対にライトーラーは三等客の処遇について船長に意見を申し入れている)、彼の仕事は一等客をもてなすことであり、彼も最後まで自分の仕事に努めたことは間違いない。

最後の最後まで通信室にいたブライド。
船が沈むまで「秋」を演奏し続けたハートリーの楽団。

この船の船員は、皆、自分の使命を全うした。
人間の尊厳は、輝かしい名誉を手に入れることではなく、苦境に陥ったときにどのような行いが出来るかと、この作品の中では定義されている。


ふと気がついたのですが、この作品、乗客も仕事のことを多く話しているんですよね。
三等客は「アメリカで死ぬほど働きたい」と歌い、二等客のビーン夫妻は金物屋で手堅い商売をしていて、駆け落ちするチャールズは八百屋の息子だけどアメリカでスポーツ記者になりたいと目を輝かせる。
一等客のストラウス夫妻は、デパートの経営を息子に譲り、今後はどのような仕事をしようかと話している。

プロテスタント誕生時に、ヨーロッパ諸国では職業は天から授けられた使命であるという考え方が根付きましたが、産業革命を経験したイギリスでは、だんだんとその説は否定されていったそうです。自分に喜びをもたらす仕事と、ただただ厳しい仕事に分けられる、と。

しかし、タイタニック号に乗り合わせた人々の仕事観は、自分がどう生きたいか、どういう人間になるのかという指針に思えて、様々な愛が描かれているなか、自分にはなんだかお仕事ミュージカルの一面もあるのかな、などと思えてきました。

不真面目に仕事しているもんで、彼らがあまりにも純粋なのでそこに刺さったのかもしれません。










2018年10月 6日 (土)

KARARAN LIVE tour 2018 in 東京 10/5 19:30

@北参道ストロボカフェ

西川大貴(Vo, Tap)
桑原あい(Pf)



・凸凹の街 ★
・とびきり愉快なスウィングを ★
・カラス ★
・無重力 ★
・メロディー /玉置浩二
・どこかで聞いた ★
・空まで伸びる木 ☆
・TAP ☆
・クリスマスのうた ※
・逃げのびるだけでいいだろう ☆
・林檎殺人事件 / 郷ひろみ&樹木希林
・ステュアートさん ☆
・オーシャンゼリゼ / 越路吹雪
・未来型ガール ☆
・9月になったら ☆
En
・僕こそ音楽 / 『モーツァルト!』より
・たまごやき ★
★= 1st 「若くて青い」収録
☆= 2nd 「ポップ・ソングス」収録
※= 音源未収録

東京で2人でやるのは、去年の11月末以来。
その時も同じハコだったなぁと思い出しつつ会場へ。
今日の2人のコーデは白い半袖トップスに黒のパンツ。

今回はツアーのひとつという位置付け。
9月に福岡、10月に東京、名古屋(20日)、大阪(21日)と回ります。

1st&2ndアルバムを出して、ライブでは毎回カバーもやって、集大成というわけではないけれど、今までやってきたことを振り返るようなセットリストにしたそう。
(“かららん”での初披露はカバー曲の「メロディー」のみ)

外の雨模様と同調するようにまったりゆったり始まった(あいちゃん曰く”客席が低気圧”)けれど、いつのまにかペースが作られて、すっかり”かららん”の手中におさまる、もしくは手のひらで転がされる感覚。だから、”かららん”のライブは楽しい。

1stアルバム「若くて青い」がリリースされたのは2014年。曲はそれまでに出来ていたもの。
西川くんが20歳ぐらいで書いていた詞も多く、当時は怒りや何か上手くいかないことを詞にぶつけていたそう。それを紙におどろおどろしい紫のペンで書いてあいちゃんに送りつけていた(笑)、って言ってたけれどあいちゃんは覚えておらず...あいちゃんのそういうとこ、素敵♥︎

もちろん怒りなどは創作のエネルギーになるけれど、今はそういうことがなくても詞を書く、と西川くんは言っていて、1stアルバムの曲は今ではまったく違う感覚、とも。
去年もライブで「寄り添ってくれた歌がそうでなくなったり…」とか、そういうことを言っていたけれど、西川くんに限らず、自分の中から音楽や言葉を引き出している人にとって、興行やファンのためという部分は置いておいて、ライブというのは今の自分と向き合うために必要不可欠なものなのかもしれないなぁ。
歌うことや演奏することが生きること。
生きているということは変わり続けるということ。


アンコールの「たまごやき」の前のMCでも「何周も回ったような違う感覚」と言っていたけれど、今回、1stアルバムの収録曲はわりとどの曲もさらっとふんわり歌っていたのが印象的。

周りを自分から切り離して自分と対話して沈んでいくようだった「凸凹の街」や「無重力」は、なんだかその様子をもうひとりの自分が俯瞰しているような距離感だったし、「カラス」も自分で自分を傷つけているようなヒリヒリ感というよりは、純粋な「なぜ」が響いてきた感じ。

「とびきり愉快なスウィングを」は、サビとそれ以外の速さやリズムに変化をつけずに、あいちゃんのピアノもいつもよりスウィングジャズに近いようなアレンジ。うねるようなグルーヴを起こすのではなく、タップも含めて、ふわっとその曲全体がプレゼントになったみたい。

「メロディー」は、西川くんがカラオケバトルのTVに出たときに歌ったけれど、”かららん”としては初。
カラオケの採点というのは、大きい音は大きく小さい音は小さく、が高得点のコツだそうで、大きな声を出すときはマイクを離し、小さな声のときは近づける普段のライブとは反対のマイクの使い方をしなければいけなかったのが難しかったとか。
あいちゃん「すごくよかったからニヤニヤしながらメールした」ってことで、2人とも”そういえば初めてだったわー”的な気分になっていたらしい(笑)わかる。

ごく短い高音を効かせる玉置さんの作曲センスはとてつもなく天才だと改めて実感。そして、それを聴かせる”かららん”2人の力量にも改めて感服。
カバー曲はモノマネではなくて、原曲のエッセンスをどう生かすか、積み重ねてきたものと今この時の両方を表現するためのものなのだと思わされました。
カラオケでは減点となってしまうような、小さなかすれやブレスで、言葉にできないような掴まれ方をしてしまう。

「どこかで聞いた」は物語調の曲。男の子の成長する姿を見守る1本の短いお芝居を見ているような満足感。

ここから2ndアルバムとカバーが主体の後半戦なんだけれど、確かに創作のモチベーションが怒りではなくなっていることがよく分かります。
自分が揺らぐこともある、逃げたくなることもある、それを認められる優しさが生まれたような。焦燥感から解放された、もしくは手懐けた余裕。
特に「TAP」はそんな感じ。

音源化されていない「クリスマスのうた」は、ちょっと早いけどこれからのシーズンにピッタリの曲。
歌詞の主人公が女の子だから、サビで先にあいちゃんの声が入るところにドキッとするナマ感があって好き。

先日亡くなった樹木希林さんのカバーでもある「林檎殺人事件」は華花ちゃんがゲストにいたときにバンド編成で歌ったことがあるけれど、デュオでは初。
脱力感のある歌詞に合わせて、かなり軽く歌ってる感じが新鮮でした。
そして、絶対この流れをやりたかったんでしょ!的な「ステュアートさん」。魔女と言えば林檎だもの。

お決まりとなった「オーシャンゼリゼ」のスーパータップ!ちょうど見やすい席をゲット出来たので、足の動きをしっかりと見られました。今度からあそこに座ろう…ふふふ。
タップダンスを見ると、足元から生まれる音に、自分が踊れないのに何かが身体の中で湧き上がってくるようにワクワクさせられる。
畳み掛けるようなタップの後、間髪入れずに”かららん”随一のアッパーチューン「未来型ガール」に突入。
終盤にこの盛り上がりは楽しい!!

そこから本編最後の曲が「9月になったら」。
静かな、失恋の曲で締めるんだけど、夏にアゲアゲになった気分をスッと鎮めるクールダウンみたいで、アンニュイな雰囲気から始まったライブをまたニュートラルな状態に戻す感じが西川くんっぽい(と、私は思っています)。

予定調和(笑)のアンコール。
「僕こそ音楽」はラップか⁈というぐらいに最初を早く入るのが特徴だと思うのだけれど、なんだかその感じが1stの頃の彼みたいなのかな?とも感じて、ヴォルフが感じてた「ここではないどこか」が精神的な部分で共通してるのかも。

デュオ編成ではかなりボリューミーかな?と思いますが、”かららん”を振り返るセットリスト、たっぷり堪能しました。
次は名古屋!

2018年10月 2日 (火)

ジャージー・ボーイズ WHITE 9/30 13:00

@シアタークリエ
15列センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴
ニック・マッシ: 福井晶一
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


グループの歩みを4人に聞けば答えは4通り、栄光にたどり着くまでに4つの生涯。

あのとき友達や家族はああいう風に考えていたのか〜、とふとした会話から気がつくことがありますよね。
『ジャージー・ボーイズ』では、Four Seasonsのメンバーが春夏秋冬の語りを未来からの視点で担当することで、それが明らかになるのが面白いところ。



この本の中に、リック・エリスとマーシャル・ブリックマンが『ジャージー・ボーイズ』の脚本を作るにあたり、ボブ、フランキー、そしてトミーから聞いた話の内容の食い違いが、作品を構成する上での重要な要素となった、と書かれています。

『ジャージー・ボーイズ』は2004年に試験興行が行われ、2005年に正式公演となりました。
劇中でも明かされるように、ニック・マッシは2000年のクリスマス・イヴにこの世を去っているので、生前のインタビューだったり、残された資料から丁寧に拾っているものだとしても、彼が立ち去った本当の理由...トミーの態度に我慢の限界がきたのか、ボブとフランキーに嫉妬したのか、本当に家族のもとに帰りたかったのか、そこに至るまでの思考は、誰も分かるはずがないのです。

だから、あの場面では、それまで過ごしたFour Seasonsとしての感情と俳優本人のプランが化学変化を起こし、また、観客側も自分の経験によってそれぞれが違う受け取り方をして、いっそう刺さる場面になっているのではないでしょうか。

この回の福井ニック、フランキーとボブが2人で未来のことを相談しているときに「抜ける」と宣言するときには、これから犯罪とか自殺でもしてしまうのではないかっていうぐらい壊れていて、今まで見たことがないニックでした。

「グループを解散するつもりはない」というフランキーはニックに絶対の信頼を寄せていたのだと思う。だって、歌を教えてくれたのはニックだから。
クルーに「シェリー」を聴かせる前に「僕とニックでヘッドアレンジをして…」と言っているように、ボブはニックの音楽的才能を理解していた。

フランキーとボブはニックも音楽で繋がっていてくれるものだと思い込んでいたのかな…。


同じ本からの引用になりますが、ニック・マッシが若い頃のことをこのように回想していたそうです。ところどころ、劇中のボブがフランキーの歌を聴いた場面の台詞と重なりますね。
「フランキーはいい声をしていた。個性的なね。素晴らしいファルセットが出せたが、あの時代、あれに似たようなものは誰も聴いたことがなかった。それはまったく予想もしないやり方だった。彼は働き始めるには若すぎたけど、人一倍音楽を愛していたね」

先日『BKLYN』というミュージカルを観劇したとき、”『ジャージー・ボーイズ』と一緒に見ると面白い”とツイートしたのだけれど(感想も書いた)、『ジャージー・ボーイズ』では、『BKLYN』の冒頭で提示された「おとぎ話の中には真実があり、真実の中にはおとぎ話がある」というテーゼを強く意識させられます。

『ジャージー・ボーイズ』は、Four Seasonsのドキュメンタリーではありません。
トミーのキャラクター造形も(上演されたとき、ご家族が「パパはこんな人間じゃない」と泣いたエピソードがあるそうです)、クルーの描き方も本人のパーソナリティとは異なる部分があると言われているし、作中に出てくる曲もその場面とは違う年代(「My Eyes Adored You」や「Oh What A Night」は1974〜75年発表の歌なので、オリジナルのFour Seasonsが歌っているわけではない)のものが採用されていたりします。

そんな中で、ひとつ真実なのは、フランキー・ヴァリという男が音楽に生き、ずっとずっとずっと歌い続けているということ。
84歳の今でも驚くべきスケジュールでコンサートを行っています(ウェブサイト)。

役に対して、俳優本人のバックグラウンドは必ずしも一致するものではないでしょう。
それでも、フランキー・ヴァリという役と中川晃教という稀代の歌い手の必然の出会いは『ジャージー・ボーイズ』日本版にとって最大の幸福だと断言します。

歌うことについて、歌を伝えることについて、真摯に向き合うアッキーだからこそ、私たちは「Who Loves You」で最高の愛を受け取れるのです。


フランキーの歌手としてのベースを作ってくれるトミー。「今日の歌よかったよ」の後のニヤッと、ボーリング場での「何笑ってんの」とトミーにツッコミを入れるフランキーのアドリブ、よかったなぁ。
フランキーにとって最初に自己肯定感、自分には音楽があると見出してくれたちょっと悪くてカッコいいお兄さん、それがガウチトミー。

ニュージャージーの仲間内ではいちいち口に出して相手の家族の心配はしないのかもしれないし、お金は持っている方が払うのが当然という考えなのかもしれない。
フランキーは”自分がどこから出てきたか忘れることはない”と言いますが、トミー自身は抜け出そうとしたけど、根本は”そこにいたかった”人なのかな、とも思ったり。そして、ニックも。
同じ場所で育ちグループを作って音楽をやったことが重要だった。

ロレインはフランキーを「昔のしがらみから抜け出せれば」と糾弾する。ボブは「昔馴染みの土地なんてクソくらえだ」という。

海宝ボブは音楽の才能だけではなく、存在自体があのグループの中では異質。
「今いる場所が僕の居場所」という彼は、グループが居場所なのではなく、自分の創造意欲を掻き立てるフランキーの近く、音楽ができる場所ということが重要だったのではないかと思わせる。

音楽という一点で繋がり合った彼らが、グループの危機を迎えたとき、海宝ボブは音楽が続けられる方向に舵を切るし、そのためなら、借金を背負ってでもフランキーをプロデュースする。実は天然のクラッシャーでは…?

誰もが音楽が好きでハーモニーでは多幸感溢れる「Cry For Me」が、実は崩壊に向けてのカウントダウンになり得るのがWHITEのいちばんの特徴ではないかな…と感じた東京MY楽でした。

私が観劇するのは1ヶ月以上先になります。
これから、クソいまいまし…くない、彼らのツアーが始まります。各地の皆様、お楽しみに!!

2018年9月29日 (土)

ジャージー・ボーイズ BLUE 9/27 14:00

@シアタークリエ
4列センターブロック(下手寄り)

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 伊礼彼方
ニック・マッシ:spi
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


BLUE東京マイ楽。今まで見た回より彼方くんがだいぶ抑えているように感じて、私的にはこれぐらいが好みでした。

トミーがtoo muchになると、グループの話というより、ニックが心優しき騎士、ボブが弟分の忠臣となって、フランキーを暴君から徹底的に守り、ロックンロール王国の王座に就かせようとする物語になってしまっているように見えて、それはそれで面白いのだけれど、描きたかったことからはズレてしまう。

前回、前々回鑑賞時は「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」のではないかというぐらいにフランキーのことしか考えてなかったボブが、今回はちゃんと才能ある音楽プロデューサーとしてフランキーに寄り添っていたし、フランキーも大天使ではなく最初から最後まで人間でした。

というのも、上で書いたように、春である程度わかりやすい形でトミーからの愛情が提示されないと、フランキーがトミーの借金を肩代わりすることに対して、ストーリーを知っていても「なぜだ…理解できない」「フランキーは大天使だからそんな選択ができるのか?」という方向に考えてしまう。

ニュージャージーのイタリア系チンピラはもっと荒くれ者なのかもしれないけれど、例えば本場のイタリアンよりも日本人に合わせたイタリアンの方が美味しく感じるように、日本人が受け取りやすい表現の仕方はあるのではないか、と考えています。

だからリアリティを追求することだけが正解ではないよな、と思う一方、フランキー・ヴァリはまだ存命で、今もコンサートで歌っている人物。彼を大天使のように扱うよりは、栄光を掴み、傷つき、どん底に落ち、それでも歌い続ける1人の男として演じるべきだとも思うのです。

彼方トミーが10代のフランキーを語る表情が優しかったり、2人で「真実の愛」を歌いながら真ん中のマイクに寄っていくとき、目を合わせて手をガシッと握るなど、トミーとフランキーの関係性が観客に分かりやすい形で垣間見えたのは、フランキーがこの先、夏秋冬を生きていく上でよかったと思いました。

トミーに「今日の歌よかったよ」って言われるところ、再演、WHITEだと思わずニヤっと笑っちゃうのに、BLUEだと”坊や”とからかわれたことをフランキーはずっと怒っている。たしか、初演のときは赤白ともにニヤっとしてたような気がするけど。
彼方トミーのあのからかい方は確かにカチンと来るよねー(苦笑)と思いつつ。

そうそう、spiニックが「Oh What A Night」のときサスペンダーをお腹側もクロスにして出てきたのを見て「こいつやべぇな(笑)」と思ったのですが、前もやってましたっけ?
あと、車の場面でジャケットの襟を全部立てて、
ニック「あなたに、中に、入ってきてほしいパ!」
ボブ「パ...?」
も「やべぇな(笑)」と思いました...。

穏やかで優しくてジェントルマンで繊細なspiニック、ここに来て面白キャラをぶち込んでくるとかとてもズルいわー。

ボブはニックが毎日同じ時間に起きて同じお酒を飲んでシャツに二度もアイロンをかける几帳面な性格だと明かすし、トミーと車に同乗したときは、借金について苦言を呈している。
ペシが言っていたように、”めちゃくちゃ”なトミーと正反対。
でも、音楽の才能に溢れたニックには、トミーの持つ「何か」に期待したかったし、そうすることが抜け出す道だった。

それが、自分たちはトミーの力よりも大きなアメリカンドリームを手に入れてしまったから、メッキが剥がれてトミーのやってきたことが表に出てきてしまう。

最初にノーマン・ワックスマンが登場する場面、ボブにもスポットライトが当たっているのは、あの時のボブは語り手として殿堂入りした後のボブで、グループの転換点を暗示していたのかもしれません。
あのときトミーが借金をしていなければ「Can’t Take My Eyes Off You」は生まれていなかったかもしれないのだから。
ボブはどう思っていたのかな。

この回のぴろしボブ、ジャージー式の契約をして「Oh What A Night」を歌い始める前に、何回も握手をした右手を見ていました。そこからの歌い出し「Oh What A Night〜」、ボブにとっては二重の意味でなんて素晴らしい夜だ!って感じだったんだろうなぁと微笑ましくなりました。
ぴろしボブはフランキーが「Can’t Take My Eyes Off You」を歌い始めてから、ソデに捌ける前の最後にフランキーの背中に向けて指をさすのですが、それはボブが追い続け支え続けたもので、「次はキミの時代だ」ともう1回後押しをしているのかな?とも思ったりして。

歌い終わった後のフランキーのちょっと心配そうな表情から、万雷の拍手を受けている間のホッとしたような表情までの変化が本当に素晴らしい。「ソロの僕を気に入ってくれなかったらどうしよう」という台詞をきちんと回収して、それ以上の喜びを返してくれるアッキーのお芝居。
それを私たちは”フランキーが素敵な曲を歌っているのを目撃する観客”としても受け取れる。その構造の巧みさは、『ジャージー・ボーイズ』でしか味わえないのではないでしょうか。

「どこまでも果てない あの本当の愛 まだ遠い」の歌い出しから始まる「Let’s Hang On!」
歌う〜長いモノローグ〜歌う〜ボブと話す〜後ろにコーラスを入れて歌う、という1曲の中で状況がくるくると変わる場面ですが、音楽とのタイミングはもちろん、アッキーが全部違う声でやっていることに驚愕します。

そして、「Can’t Take My Eyes Off You」「Working May Way」を立て続けに歌った後のモノローグも一切声がブレることはありません。

日本版『ジャージー・ボーイズ』で描かれるフランキーの強靭な精神力を支えているのは、アッキーのとてつもない努力とスタミナと作品に対する愛と献身に他ならないでしょう。
音楽に情熱を燃やし続けるフランキーと溶け合う瞬間を感じられるフィナーレを迎え、カーテンコールで、その思いを劇場全体で共有できるのは最高に幸せ。

カテコの最後の最後、4人で手を繋いで挨拶をして捌けようとしたとき。
アッキーが彼方くんとぴろしと手を繋いで、彼方くんが振りほどこうとしてもギュッとしたまま。結局spi先生が先導して3人繋がったままで下手ソデに捌けていきました。
かわいいなー。

2018年9月26日 (水)

ジャージー・ボーイズ WHITE 9/24 18:00

@シアタークリエ
6列下手側

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴
ニック・マッシ: 福井晶一
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


ようやく初日ぶりにWHITEが見られました!嬉しい。
これだよ、これ、このスピード感がWHITEの魅力。
ガウチくんのツイートにあるように、フランキーや仲間たちはその波に自然に乗っているし、私たちも一気に物語を追体験できる。
このスムーズさは、春から冬まで1曲の歌のように完成されているからなのだと思います。
WHITEは”こうなるべくしてこうなった”男たちの物語。

とにかくガウチトミーが最高に素晴らしい!
トミーとフランキーの鉄の絆を見せる春パート、青春の煌めきを感じました。トミーは弟分のフランキーが可愛くてしょうがないし、フランキーも何でも(ちょっと悪いことも)教えてくれるトミーに子犬のようについて行く。
2人のじゃれ合いがキュートで、WHITEはトミーとフランキーがニコイチで、トミーがロレインに手を出すまで、その関係性は続いているように見えました。

ボブがグループに入るときのトミーとフランキーの言い合いも、売り言葉に買い言葉で、2人が今までそうやってコミュニケーションを取ってきたんだろうと受け取れます。
だから、昔からの仲間のニックも新しく入ってきたボブも対等な立ち位置で意見を言い合っている。

BLUEのぴろしボブは意識的に(フランキーを守るために)グループの主導権を自分のもとに寄せているように感じますが、海宝ボブは、音楽やグループが歌うことに対しての意見は表明するものの、グループを運営することに関してはトミーを立てているように感じました。

だからトミーは自分をもっと良くもっと強く見せようとして借金を重ねてどうしようもなくなってしまう。そのやるせなさ。

トミーの欠点を挙げて「きみが酷い目に遭えばいいって本気で思ってるよ」と告げるときのフランキー、WHITEではとても悲しい。本心はその正反対で「グループを解散するつもりはないから」、借金を肩代わりしようとする。自分がどこから出てきたか忘れない。
「Beggin’」で、トミーにこれ以上のことを起こしてほしくないように請い(beg)、1回目の「STAY」で涙を目に浮かべて歌うアッキーフランキーの思いに胸を打たれました。

一方、この状態では音楽を続けていけなくなるから、「金を払って除名しよう」と言い放つボブは冷静で、強かにここでグループを掌握する。
でも、ニックが望んだのは、ボブがリーダーになるグループに留まることではなかった。

「今はボブがグループを回している、フランキーはもうトミーの弟ではない」
トミーがもう戻れないところまで来てしまったことを表すニックのセリフ、福井ニックは自分にも言っているように聞こえました。
「自分のグループを作るかな」と言いかけても、トミーに止められる。それで納得する。トミーがリーダーでフランキーがいて自分がいる、それが彼がいるグループ。

福井ニックから感じたのは、前に出て歌いたいという気持ちよりも、フランキーに音楽を教えたのは自分なのに、という自尊心。ボブに対する嫉妬、なのかもしれません。

ボブは、エピローグで彼の現在の生活が快適で安定して平和であることを話します。ぴろしボブはそうありたかったのに、自ら激動の中に飛び込んでしまいますが、海宝ボブは、ある意味天然の天才でマイペースを貫いているように見えます(それもニックには羨ましかったのかも)。
冬のパートで「ジェットコースターに乗っているようだ」とつぶやくフランキーには、穏やかな凪いだボブの存在は慰めになったのだろうなぁ。

でも、海宝ボブは自分の音楽の手腕には相当自信があって、それが自分がフランキーの近くにいる意味だと思っているようにも感じられます。
「Can't Take My Eyes Off You」のレコードを出したいとクルーに相談に行く時、海宝ボブは「この曲はヒットする」ことに確信があり、上からフランキーに対して「ほらね、自分の言ったとおりでしょう?」というサムズアップが印象的。
フランキーを最高に輝かせるのは、自分。
ボブ・ゴーディオ氏は『ジャージー・ボーイズ』を上演するにあたり、フランキー役のオーディションを課していますが、なんとなく海宝ボブの裏方気質と地続きのようにも思えました。

WHITEのハーモニーは何と言っても福井さんの低音が効いているのが最高。バンドでもそうだけど、やっぱりベースって大切。そこに意外にも甘い声のガウチくん、声量と安定感のある海宝くんが合わさると栄養たっぷりというか、脳が気持ちよくなって、アッキーの声が降り注ぐともはや天国。さすが天使の声。
それと、ガウチくんというスーパーダンサーがいることで(福井さんも踊れますし)、ちょっとした振り付けもすごく華やかに見えます。これはWHITEだけの特権かも。

この回、下手サイドで見ていたので、本編中の「Oh What A Night」でアッキーフランキーが上手ソデに捌けていくとき、オケの近くで8カウントぐらいノリノリで脱いだジャケットを振りながら身体を揺らしてたのが見えました。とてもかわいい。
それと、カテコの日本語詞のとき、大音くんのシャウトの後にアッキーが引き継ぐように自由自在にフェイクを操っているのですが、バックアップセッションでフランキーが好き勝手にハモるときのようで、それを見守るメンバーもあの場面のように「来た来た(笑)」という表情をしていたのがとてもよかった!

英語詞カテコに入ると、ガウチくんが「明日は休み(休演日)だー!」と飛び出してきて、海宝くんが「Oh What A Night」を歌う後ろで、アッキーと回転して戻る振付の距離と勢いを競争してたのが、春のトミーとフランキーのじゃれ合いのリプライズのようで微笑ましかったなぁ。

最後は3回挨拶に出てきてくれて、ボブとフランキー、トミーとニックで上手下手に別れて、アッキーとガウチくんが手を上下にパタパタさせながら捌けていきました♥︎

2018年9月24日 (月)

THE MUSICAL -BKLYN- WEST 9/22 12:00 EAST 18:00

@上野ストアハウス
WEST: D列
EAST: A列

キャストはWEST/EASTの順。
ブルックリン: 青野紗穂/RiRiKA
パラダイス: エリアンナ/塚本 直
フェイス: 尹 嬉淑/香月彩里
テイラー: 高橋卓士/染谷洸太
ストリートシンガー: 長尾哲平/吉田純也

脚本・作詞・作曲:
マーク・ショーンフェルド&バリー・マックファーソン
翻訳・訳詞: 金子絢子
演出: 奥山寛 

ニュージャージーをちょっと離れて、お隣、野球チームの本拠地のあるニューヨークの片隅に行ってきました。
『ジャージー・ボーイズ』と相互作用するような物語で、この時期に両方とも上演されたことが素晴らしい。

おとぎ話には、少しだけ真実が混じっていて、真実の中にはすべからくおとぎ話が混じっている。
ニューヨークの雑草、ホームレスのストリートパフォーマーの”ファミリー”たちによる劇中劇という形を取り演じられる父と娘の物語。

あらすじはホームページからどうぞ。

2人のブルックリン、びっくりするぐらいアプローチが違うように見えました。

紗穂ブルックリンは「父親を探すために歌う」
RiRiKAブルックリンは「歌えば父親が見つかる」
紗穂ブルックリンの歌は届けたい「願い」で、RiRiKAブルックリンの歌は届く「確信」がある。

紗穂ブルックリンとRiRiKAブルックリンのいちばんの違いは、父親に「会いたい」という感情が思慕によるものか憎しみなのか、なのだと思います。

紗穂ブルックリンにとって父に会うことは母から受け取った最後のメッセージを叶えることで、RiRiKAブルックリンにとって、父は(間接的であれ)自分から母を奪った憎むべき存在という側面の方が大きかったように思えて。
だから、マチネで紗穂ブルックリンを見て、ソワレにRiRiKAブルックリンを見たので、テイラーを問い詰めるRiRiKAブルックリンの剣幕に驚いたんですよね。

歌で名声を得たパラダイスとしては、ブルックリンのように歌を”手段”にしている人は許せなかっただろうなぁ。

エリアンナパラダイスはひたむきな紗穂ブルックリンに対して完全なヒールで、スーパーDIVA。
直パラダイスは気っ風のよい姐御で、したたかなRiRiKAブルックリンが気に食わない感がありあり。

もう2人のパラダイスがかっこよくて!
悪趣味スレスレ(劇中では下劣な、とも言われていますが)の振り切ったパフォーマンス。

エンターテインメントと資本主義の国、アメリカ。
勝者が名声を得る国、アメリカ。

その国で勝ち続けてきた彼女が望んでも手に入れられなかった物を歌うソロバラードは泣きました。
彼女はそれでもアメリカのSuperLoverであり続けるために、どんな手を使ってでも勝ち続けるのでしょう。一度名声を得た人が負けることほど、みじめなものはないのだから。

そう、テイラー・コリンズのように。

ベトナム戦争の英雄にして、今はヘロイン中毒のブルックリンの父親。
彼が愛した人・フェイス、その意味は”Faith=信念”。彼にとってフェイスは生きる意味だった。
音楽を愛しギターを奏でた手で銃を操作してたくさんの人を殺して名声を得ることは、彼の望んだことではなく、信念と現実の乖離に苦しむだけ。

高橋コリンズはブルックリンの来訪に怯え、染谷コリンズは心を閉ざしたけれど、長尾ストリートシンガーはブルックリンを見守りたかったし、吉田ストリートシンガーは一緒に歌いたかったんだろうと思う。長尾シンガーの優しい眼差しは高橋コリンズがフェイスとブルックリンに向けたかったもので、吉田シンガーの力強い歌声はRiRiKAブルックリンとの繋がりの証。

どこまでがおとぎ話でどこが真実か。
語られる真実が誰にとってのものなのか。
それは観客には関係ないこと。
ブルックリンという名前の街があることは事実。

ただ、アメリカという国にはときどきとんでもない夢を見させる力がある。例えば、街灯の下で歌っていた青年たちがロックンロールの殿堂入りをするような。


フェイスが残した言葉「涙は薔薇を育てる」→ エポニーヌだ!
ベトナム戦争後のPTSDに苦しむアメリカ → ミス・サイゴンだ!ドッグファイトだ!SONGWRITERSだ!
と、今まで見てきた作品のエッセンスを感じながらも「BKLYN」はリアリティとは一線を画した様々な”見立て”によって、逆にエピソードやキャラクターの本質が浮かび上がってくるようで面白かったです。

ニュージャージーの街灯の下で音楽を始め世界的人気グループになった若者たち、彼らの物語もきっと真実の中におとぎ話があり、おとぎ話の中に真実があるのだろうな。本棚の隣同士に並んだ2つの物語を読んでいる気分になりました。


2018年9月22日 (土)

ジャージー・ボーイズ BLUE 9/19 19:00

@シアタークリエ
10列センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 伊礼彼方
ニック・マッシ:spi
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎

「8小節聞いただけで、ぼくはこの声のために曲を書かなければならないと思った」
「そこにいるボビー坊やも、誰のために曲を書くべきかわかるだろうね」
「いろいろうまくいったら、ホーンセクション全部入れてもいいんじゃないか」

『ジャージー・ボーイズ』というミュージカルの中で、「Can’t Take My Eyes Off You」はボブ・ゴーディオからフランキー・ヴァリへの最高のプレゼントで、ボブ・クルーに対する数年越しの満点の答案なんだろうと思います。

なぜ、そのときのフランキーのジャケットが黒なのか。
日本版独自の衣装を振り返って、赤(春)、黄(夏)、青(秋)を全部混ぜた色だから、ではないかと思いつきました。それまでの道のりがなければ、あの曲は生まれなかった。

「Can’t Take My Eyes Off You」の後のショーストップは、客席もそれまでの道のりを共有しているから起こるもの。そして、それを実現できるのはアッキーの素晴らしいパフォーマンスがあればこそなのです。

舌ったらずに「I Can’t Give You Anything But Love」を歌って、女の子にキャーキャーされるのを嬉しそうにする少年時代から、「そこにあるのはただ音楽だけだった」と彼の来し方や出会ってきた人々すべてを包み込んでしまうとてつもない大きさを持った男まで、それを3時間足らずの間に表現できる中川晃教という存在を言祝ぐしかない。

チケットの確保状況の都合上、BLUEが続きました。

「僕たちの未来に誰も巻き込みたくないんです、僕とフランキー以外の誰も」というボブの台詞を聞いた後のspiニックの真顔で客席の方に向くリアクションが、とてもアメリカ的。客席から起こる笑いもシットコムドラマのようで。

それに近いものを最近見たなぁ、と思っていたのですが、ふと先月行ったスヌーピーミュージアムだ!と思い出しました。
スヌーピーに不意打ちをくらったりルーシーにやり込められたときのチャーリー・ブラウンと一緒。
めちゃくちゃなのはスヌーピーやルーシーの方で、チャーリー・ブラウンはいたって普通の(でもちょっと変な)男の子。

ニックはハーモニーの天才だし、女性にめちゃめちゃモテるから”普通”とは言い難いのかもしれないけれど、トミーのように悪事に振り切れず、人の作った借金を背負うという正気の沙汰ではない選択をしてしまうフランキーとボブを見て、自分はあの位置まで行けないと思ってしまっても無理はないような気がします。
でも、あのグループの、あの状況の中で”普通”でいられたニックが実はいちばん凄いのでは…?

ぴろしボブは初日より前回観劇時、前回より今回と、かなり怒りや苛立ちが激しくなっていて、フランキーを傷つけるものは許さないという意志は、まるで、サバンナで自分の子どもを守るために大型肉食獣に立ち向かう草食動物のお母さんのようにも見えます。

それは握手をする前、フランキーがトミーに「別のリードボーカルを探せ」と楯突いてまでボブをグループに入れてくれたところから始まってるのかも。

そうそう、そのジャージー式の契約をするとき、ものすごい音がして、手を離したときに同時に「いってぇぇぇ」というように苦笑しながら、手をぶらぶらさせるアッキーフランキーとぴろしボブがめちゃくちゃかわいかった!
「そういうこと(正式な契約)したい?」って聞くフランキーがちょっと不機嫌で、フランキーにとってはもうボブは“ファミリー”だったんだろうなぁ。

伊礼トミーはTV収録だとスタッフの女の子に手を出していて「自慢話をベラベラしたり、女を置いておくアパートを買うのに忙し」い様子が分かりやすい。
そして、やっぱりジップの家に呼び出されても悪びれる様子がないのが、伊礼トミーなんですよねぇ。
ボブが未来を見据え、ニックが苦しみながらもグループの調和を重んじ、フランキーが自分のやりたい音楽について目を輝かせていたとき、トミーは自分のことしか考えていなかった。

「何か」を必要としていた若者たちが、それぞれ別の道を歩いていく中、彼だけがその「何か」の答えを見つけられなかったのだとしたら、哀しい人間ですね…。


前回書ききれなかったシングルキャストの感想なども。

まりゑちゃんのフランシーヌ。電話でフランキーに不満をぶちまけるシーンの口ぶりに、パパに甘えたいときにパパがいなかった寂しさを感じて、実年齢差3歳の親子(ちなみにママのびびメアリーの方が娘より1歳下)すごい。少女性ではなく、”子ども”を感じさせる女優さんって稀少な存在だと思います。

反対に、オトナな女性を一手に引き受けたのがるんちゃん(遠藤瑠美子ちゃん)。僕にもそのクリスマスプレゼントください(真顔)。
るんちゃんの役で初演から特に好きなのは、教会に忍び込んで「真実の愛」を歌うときのニックの恋人役。フランキーの歌声に表情が変わる瞬間がとても鮮やかで3人のコーラスワークが美しい。

白石くんと山野くんは、クソバカ野郎コンビのテンポ感に磨きがかかっています。
白石くん、ボウリング場の店員のときに、追い詰めるのはトミーなのに、なぜか通りがかりにボブに対する当たりが強くてちょっと面白い(笑) 今回、フィナーレで客席降りしてくれるとき、通路に近い座席だったので斜め前でピッカピカの笑顔で振り付け指導しているのが見えました。爽やか!

山野くんも警官だったり、ブリルビルディングでフランキーにムチャ振りする人だったりするのですが、「Bye Bye Baby」で街中をうろつくフランシーヌを狙う男として、この物語中ただ1人悪意を纏った人物を演じていることに注目。その時は助かったけど、フランシーヌの未来を暗示しているようで少し不気味なのです。

そして!阿部兄!!
ジップ・デカルロの鷹揚とした振る舞いは威厳の塊みたいなのに、ラジオDJの軽薄さといったら!何そのエベレストと高尾山みたいな高低差(笑)
もし、会計士の彼がトミーの借金について何か知り得て、対策を取っていたらどうなっていたんだろうと考えてみたり。

『ジャージー・ボーイズ』はフランキー・ヴァリとFour Seasonsの物語だけれど、彼らを支え、別れ、時には打ちのめし、形作ってきた人たちが魅力的であればあるほど、より物語が豊かになるのだと思います。

2018年9月14日 (金)

ジャージー・ボーイズ BLUE 9/13 19:00

@シアタークリエ
14列センターブロック

フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 伊礼彼方
ニック・マッシ:spi
ボブ・ゴーディオ: 矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎

本編の最後の最後、「Who Loves You」の終わりでFour Seasonsの4人が客席から見て左からボブ、フランキー、トミー、ニックの順でセンターに集まるとき。

ボブとフランキーが自然に近くにいて、少しフランキーとトミーとの間が空いていたのですが、彼方トミーがフランキーをボブからひっぺがして自分の方に寄せてその肩に手を回し、もう片方はspiニックに。そしてドヤ顔。
苦笑しながら「おい〜」というふうに眺めるぴろしボブ。
みんなフランキーが大好き、それがBLUE。

この物語のすごいところって、全てが丸くおさまって大団円というわけではないところだと思うんですよね。
ロックの殿堂入りのときに、トミーに誘われてもフランキーは彼の部屋に行かなかった。行くことができなかった。

フランキーはそれまでもいろいろ嫌な目に遭っているのに、トミーの借金を背負った。彼と世に出たってことは、それだけで鉄の絆だから。
20年の間、地を這うように努力をして復活、借金を完済。大衆から愛された証の賞をもらっても、フランキーにとってトミーのしたこと全てを受け入れることは出来なかった。フランキーは神でも聖人でもない。だからトミーを赦すことは出来ない。

その思いは、古くから一緒の、フランキーの大好きな頭脳明晰なニックでさえ理解できなかったもので、フランキーとトミーとニックは全てを分かち合ったわけではない。(そもそも、ボブは「(トミーと)きっぱり縁を切る」と言い放っている)

それでも、フランキーの原点は街灯の下で仲間と奏でたあの音楽で、彼が帰ろうとしているのは音楽という家族のもとで、彼が最後に誰に向けて「Who Loves You」を歌っているのかと考えると、私たちにとってフランキーは光であり大天使なのです。
うぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーん(涙)

前回も書いているのですが、特に春〜夏、フランキーはspiニックが大好きなのがよくわかります。トミーやボブが観客に向けて話しているとき、いろいろオフマイクで話しているように見えるのですが、ニックに懐いているのが体格差もあいまって、とてもかわいいのです。

それが「僕の心を本当にとらえたのはニックだ」というフランキーの冬の始まりのモノローグに説得力を持たせている。脱退してからも機会があればフランキーに会いに行くニックは、ボブとは違う部分で彼の支えになっていたのだと思います。

ボブはボブで、借金を背負うと宣言したフランキーを受けて、トミーに「これでいいのか?」って聞く場面で、たぶん今まででいちばん怒りの感情が表に出ていて、ボブもまたフランキーの盾になろうとしている様子が伺えました。

本当にフランキーが好きだな、BLUEは!笑

フランキーは、初演よりも能動的になっていて、少しだけチンピラというかヤンチャ感が出ています。特にジップに対して「デカルロさん」と呼びかける部分、きっとトミーや街の悪い仲間がそう呼んでるから真似してみたんだろうな、と。かわいい。

ブリルビルディングのフランキー。
「こんにちは!僕たちフォーラバーズです!!デモテー...(バタン)...プ」の間(ま)とか、最後の山野くんのときに胸ぐらを掴んで歌を聴かせるのとか、とてもかわいい。

「Walk Like A Man」後の控え室で、ボブとジャージー式の契約をする前、ボブの話を聞いてるときに椅子じゃなくてドレッサーの方に行儀悪く腰掛けていたり。初演から見ていても、あれはこの回で初めて見たなぁ。
うんうん、ジャージー育ちのフランキーと優等生のボブとの対比が鮮やかに見えて、すごくいいよね(ペシ風に)。


フランキーは、Four Seasonsからの、そして観客からの愛を一身に受けているのに、いや、だからこそ、自ら愛した女性とは上手くいかないのかもしれません。

びびメアリー、「ハーイ、トムーチ!」の一言で「こりゃ未成年のフランキーには手に負えないぞ」感が出ていて最高。うぶなフランキーを手玉に取る感じも最高。いい香りだよね、せっけん。

フランキーと結婚したメアリーは、もう赤いドレスは着ていないし、上、もしくは外に抜け出すどころかどんどん墜ちていく。もしかしたらフランキーだけが突き抜けて上に行ってしまっただけなのかも。
そしてメアリーには狭義の意味でのファミリーしかなかったけれど、フランキーには大切なファミリーが他にもあるんですよね。

まりちゃんロレインは初演よりフランキーの”才能”に惹かれているような印象を受けました。フランキーが100万ドルの墓穴から這い出るために地道にこなしている仕事は、彼女にとって「面白くない」。だから別れる。
ジャージー式のやり方と相容れない合理的な思考の持ち主。

よりポップに進化したのがもっくんボブ・クルー。
実際には、クルーはオープンリーゲイではなかったようですが、もっくんクルーの素晴らしいところは、そのセクシュアリティはクルーの数ある個性のひとつであり、クルーが音楽に関しては厳しい目(耳?)を持ち、有能なプロデューサーだとわかるところだと思います。
でも、フィル(音楽技師の彼氏)とはずっと仲良しでいてほしい。

そのフィルである大音くんは、ハンサム・ハンクでもありますが、オハイオ州の田舎訛りの警官として、バンバン笑いを取っています。頼もしい!
彼のブログを読むと分かるのですが、劇中でFour Seasonsがテレビやステージでパフォーマンスするときは、大音くんと小此木まりちゃんが、フランキーと同じパートを歌っています。
その大音くんが英語歌詞カテコの「Walk Like A Man」でリードを取っているのが本当に嬉しい。
また、劇中では舞台奥にいるので見えにくいかもしれませんが、「Oh, What A Night」でシャウトしているのも彼です。

3回見て、1回目カテコの「Oh, What A Night(日本語版)」のとき、シャウトの前にアッキーが大音くんのお尻を「行ってこい!」という感じで軽く叩くのが定番になっているようですが、この回、それで大音くんがすごく頑張ってるのが嬉しかったのか、アッキーもその後ものすごいフェイク入れてきて、パフォーマンスで引っ張るアッキーならではだなぁ、と思ったりして。

石川新太くんが演じるジョー・ペシ。
初演では、対トミーで関係性が完結していたように思えましたが、再演では「Cry For Me」の最後に向かい合って歌うなど、フランキーとの絡みも地元の(ちょっと)怖い先輩後輩のようで微笑ましいです。
注目は、トミーとボブが契約について話しているのを待っているときの、フランキーとニックにちょっかいを出されるペシ。特にフランキーはまだペシが作業しているギターケースの蓋を閉じたり、小突いたり、おいたが過ぎる(笑) ストーリーのメインは上にいる2人なのに、ついついこの3人を目で追ってしまいます。

あぁ、また長くなり過ぎた!

Four Seasonsのメンバーだけではなく、彼らを支え、多くの役を担っているシングルキャストたちが、再演ではストーリーをより豊かに彩ってくれています。
今回触れられなかった方々は、次の機会に。




2018年9月 9日 (日)

ジャージー・ボーイズ WHITE 9/7 19:00、BLUE 9/8 18:00

@シアタークリエ
9/7 : 1列目下手サイド
9/8 : 18列目センターブロック

Wキャストは7日WHITE/8日BLUEの順
フランキー・ヴァリ: 中川晃教
トミー・デヴィート: 中河内雅貴/伊礼彼方
ニック・マッシ:福井晶一/spi
ボブ・ゴーディオ: 海宝直人/矢崎広
ジップ・デカルロ: 阿部裕
ノーマン・ワックスマン: 畠中洋
ボブ・クルー: 太田基裕
遠藤瑠美子、小此木まり、まりゑ、綿引さやか、
石川新太、大音智海、白石拓也、山野靖博

音楽監督: 島健/音楽監督補: 福井小百合
演出:藤田俊太郎


2組7名のOUR SONSが帰ってきた!!

ボブ・ゴーディオは、僕らをトップまで押し上げたのは一般大衆だと言います。
トミー・デヴィートは、ロックンロールの殿堂入りは一般大衆が支持してくれたからもらえたのだと言います。
Four Seasonsはアメリカという大きなファミリーの息子たちとして愛されたグループなのです。

WHITE の初日のカテコでアッキーが「客席の皆さんもおかえりなさーい!」と言ってくれたとき、BLUEのカテコで彼方くんが観客を”5人目のメンバー”と言ってくれたとき、一般大衆とFour Seasonsの関係性とシアタークリエの客席と舞台上が重なりました。
「誰より愛をくれる人は誰?」その答えがここにあります。

舞台の座組はカンパニー(仲間)と呼ばれますが、『ジャージー・ボーイズ』では作品の中にいくつものファミリーが出てくるように、ファミリーという言葉がぴったりだと思います。キャスト、スタッフ、そして、観客たちもそのファミリーの一員に迎え入れてくれる温かさがあります。

私たちは彼らのように刑務所に出たり入ったりもしなければグループを結成してデビューしたりすることはないだろうし、マフィアとお付き合いしたこともないでしょう。
でも、フランキー・ヴァリがグループを通して春夏秋冬を辿るように、私たちも人生の中で順番や期間やインパクトは違っても誰もが春夏秋冬を経験し、家族や友人との距離感が変化したりその関係に悩んだりしているから、聖人ではない彼らに親近感を覚えるのだと思います。だから、“ファミリー”。


抜群のハーモニーがさらに進化したWHITE。初演の経験値を踏まえた上でゼロから構築した新しいFour Seasonsの物語は良質な白ワインのように爽やかだけど芳醇でキリっと引き締まっている。

新メンバーを迎えて新しくスタートしたBLUE。“Azzuri”と呼びたくなるような、イタリア男たちの栄光と陰。ピザのトマトソースのように味わい深くちょっぴりスパイシー。

初演では、REDのチーム色を特徴づけていたのはぴろしボブ、WHITEはガウチトミーだと感じましたが、再演WHITEを見てガウチトミーのスピード感が大好きなことに変わりはありませんでした。一方、BLUEはspiニックの穏やかさがキーポイントかもしれないと思いました。「こうきたか!」というニック像、とても興味深いものがあります。

ニックは登場シーンからしてガールフレンドと一緒だし刑務所から出てきたときも隣には彼女がいるし女遊びが激しい人物だけど、女性にモテるってことは魅力的な人であることは確かで、spiくんはニックを知的かつ穏やかな人として作っていました。地声が若くて甘いのもギャップ萌え。
そして、フランキーに対する溺愛っぷりがすごい(笑) 中の人の実年齢と逆転してるけど、弟が可愛くてしょうがない兄、ジェントルマンでかっこいい兄貴が大好きな弟というように、音楽を教えてくれたニックを尊敬して慕っているというフランキーの言動がより鮮やかになったように感じられました。

秋。福井ニックの爆発は、今まで我慢してきたことがどうにもならなくなって噴出した抑えきれない怒りとここでしか自分の意見を言えなかった悲しみを感じます。一方、spiニックは淡々とフランキーたちに自分が盾になっていたことを話していて、その理性があったからグループを存続させるために自分を抑えていたんだろうなと思わせる説得力がありました。

初演のとき、演出の藤田さんが”終わらない青春”をキャッチコピーに掲げましたが、そのイメージに、ガウチくんのしなやかな身体がすごく合致していた記憶があります。

ガウチくんのトミーのええかっこしぃ感は地元の後輩にいい顔見せたい先輩のようで、かっこいい自分でいるために悪ぶってマフィアに取り入ったり、借金を重ねてどうにもならなくなってしまうやるせなさ感が好き。

初登場の彼方トミーは、ニュージャージーでイタリア系に生まれた以上、マフィアと関わるのは当然のことっしょ?的に悪いことするのに躊躇がない感じ。”ファミリー”としてフランキーは可愛い弟で、自分の保護下にいて当然だと思っているふてぶてしさ。
その出自ゆえに、ボブとフランキーが音楽に邁進する姿を斜に見て、転落していってしまう様が愚かで哀れに見えました。

ボブの在り方として、海宝ボブは「フランキーの声を生かす才能のある僕が支えて頑張る」、ぴろしボブは「フランキーと一緒に頑張る」。それもチームカラーに表れていると感じました。
WHITEではトミーやニックはボブの才能に彼らから一線を引いているように見えるし、BLUEは彼らの末っ子の”かわいいフランキー”がボブに取られてしまうことで徐々にグループに亀裂が入っていく。

海宝くん、初演より良い意味で「スポットライトがしっくりこなかった」感に”ウソつけー!”感がなくなっていて、フランキーの歌を聴いたそのときから「どうしたらフランキーにもっと良い曲を歌わせられるのか」というプロデューサー的な視点で彼に寄り添い続けている姿がありました。ご本人のミュージカル知識などに見えるマニアックな性格にも通じるところがあるような…?

フランキーとボブは実際には、8歳の年齢差があるのですが、アッキーフランキーとぴろしボブはニコイチ感がとてもかわいい。REDからBLUEに変わっても、その雰囲気が変わっていなかったのが嬉しかったです。むしろ、トミーとニックがイタリア的な”ファミリー”の絆でフランキーを可愛がっていたので、フランキーがボブと出会って初めてトミーに逆らうシーンがよりドラマチックに浮き上がったと思います。

新メンバーといえば、もう1人、畠中洋さん。
初演・戸井さんのワックスマンは、マフィアのフロント企業のデキる社員みたいな雰囲気だったけれど、畠中さんのワックスマンは、ジャージーの男たちの成り上がりの手段としてマフィアの道を選んだ感じがして、トミーの兄のニックも演じていることもあって、スターになれなかったトミーの姿を見ているようでもありました。

さて、世界に宣言しよう、中川晃教は最高の歌い手、俳優だと。初演から何万回も言っているけど、君こそ奇跡の存在。でも、アッキーがこの役に巡り会えたのは奇跡ではなく必然なんだと思います。

アッキー本人も言うように、フランキーを演じる人が他にも出てくることが、アッキーにとっても日本のミュージカル界にとっても必要なことだと思うけれど、ずっとずっとずっと音楽を追い続けるフランキーとアッキーの親和性が私たちの心を完全に射止めてしまったのだから。

再演のフランキー、春の少年っぷりが本当に少年なので、夏、秋、冬と成長して青年・壮年・最後の初老期まで見ていく中で「あのかわいいフランキーが!」という感覚が、少年時代から関わってきた特にBLUEのトミーとニックと観客で共有できるのが面白かったです。

仕事とプライベートの絶頂とドン底、”ファミリー”の確執、新しいガールフレンドとの出会いとすれ違い、低迷期からの復活と人生最大の試練…。
3時間でジェットコースターのような約40年を演じますが、劇中の経験を取り込んで年齢の変化を感じさせていて、ただ時間が経過しただけではなく、実際のフランキーが考えて行動している、キャラクターの一貫性がしっかりとした役づくりに驚嘆しました。
アッキーは”歌”で評価されるし、自分でもそれが強みだって言ってるけれど、勢いに任せず、台本から緻密に役を作る丁寧なお芝居も素晴らしいと思っています。

天使の歌声。
こうやって書くのは簡単だけれど、キャスト、客席全員が納得するように表現すること。できること。それは想像を絶するような努力の積み重ねの上に培われたものでしょう。

トミーが、ボブが耳にした途端に特別だと思ったトワングという歌唱法を駆使した高音はもちろん、「My Eyes Adores You」や「Fallen Angel」など、フランキーがプライベートで喪失感を味わったときに歌う際の、そのまま溶けていってしまうのではないかという透明感に涙を誘われました。

初演から2年、その間、ものすごい仕事量を抱えながら、(5月にはコンサートもあった)この『ジャージー・ボーイズ』再演のためにフランキーの声のトレーニングを続けてきたアッキーに、心からの尊敬と永遠に鳴り止まないアプローズを。

さて、この2回は再演のスタート。
アンサンブルさんのこととか、まだ書けていないこともたくさんあるので、次回の観劇が楽しみです。
みんな体調に気をつけて(by中河内雅貴)!!

«ミュージカル『ゴースト』 8/25 18:00