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2020年1月15日 (水)

フランケンシュタイン(再演) 1/8 中川×加藤、1/13 中川×小西

1月8日(18時) S席1階D列上手側

1月13日(17時) S席1階A列下手側


ビクター・フランケンシュタイン/ジャック: 中川晃教

アンリ・デュプレ/怪物: 加藤和樹(8日)、小西遼生(13日)

ジュリア/カトリーヌ: 音月桂  

ルンゲ/イゴール: 鈴木壮麻

エレン/エヴァ: 露崎春女  

ステファン/フェルナンド: 相島一之

朝隈濯朗、新井俊一、岩橋大、

宇部洋之、後藤晋彦、白石拓也、

当銀大輔、丸山泰右、安福毅、

江見ひかる、門田奈菜、木村晶子、

栗山恵美、水野貴以、宮田佳奈、

望月ちほ、山田裕美子、吉井乃歌

リトル・ビクター: 大谷臣(8日、13日)

リトル・ジュリア: 山口陽愛(8日)、浅沼みう(13日)

音楽: イ・ソンジュン 、脚本・歌詞: ワン・ヨンボム

潤色・演出: 板垣恭一


なぜ、人は人を生き返らせてはいけないのか。

それは「人は生きて死ぬ」という自然の摂理に逆らうことだから。もしくは、一神教の世界であれば、生命をおつくりになれるのは神様だけだから、なのかもしれない。

その掟に従わぬ者は人間ではない。怪物だ。


でも、人間としての倫理観を養う前に、大好きな母親が死んでしまったら?

小さな子どもが病気の母親のために出来ることと言ったら、母親が死なないように祈ることだけなのかもしれない。しかし、その想いは届かず母親が死んでしまったら、子どもが、いや、ビクターが、神様を呪いの存在に位置付けてしまうのは当然なのではないだろうか。

ビクターの生命創造に対する欲求は、彼が狂っているからではなく、むしろ、愛する者に生き返って欲しいと願うのは感情として自然なことだとも思う。

ビクター・フランケンシュタインの場合、その純粋な願いを願いとして心に留めておくのではなく、実行に移してしまえる頭脳と意志の強さがあった。それが悲劇のはじまり。


この『フランケンシュタイン』は役者が別役を演じる二重構造を取るが、分別があるように見える(当時の一般人としての存在)エレンがエヴァとしていちばん残虐な振る舞いをし、「怪物はどこにでもいるよ」と客席を見回すことで、人間誰しも(あそこまでの暴力性はなくとも)心の中に怪物を飼っていると示唆している。

そのメッセージは分かりやすいけれど、今回再演の中川ビクターは、ビクターの中でも、人間である部分と人間が踏み込んではいけない生命創造への欲求に抗えない怪物である自分との間を行き来しているように見えました。


肉体的に変異あるものだけが怪物なのではない。人間の思考もまた怪物であり、怪物を生むのだということ。

純粋な思いから生まれた欲求であっても、怪物の思考となりうるのだということ。

アッキーはかなり観念的なところに踏み込んだ役作りをしているのではないでしょうか。

あえて目ですぐに見える大きな変化を用いず、ビクターの中に渦巻く感情があると見せている。


初日の和樹アンリ/怪物は純粋な心の持ち主。

ビクターはアンリをアジテートして自分の側に引き込み、アンリはビクターに心酔するようになる。

ビクターにとってアンリがそばにいるのは当然のことだし、アンリはキラキラと光る存在のそばにいることが自分の存在価値だと信じている。

しかし「ビクターのためになるなら!」と潔く断頭台にのぼる和樹アンリが再演の新発見。大人になったな和樹アンリ。お前、初演ではベショベショに泣いてたじゃねぇか。


怪物になったときはまるで赤ちゃん。

ひとつずつ”初めて”を経験し、身体の痛みによって大人になっていく。

自分をひとりにしてしまった”創造主”に会いに行くこと。それが彼の望みでありビクターへの復讐。

戦場でアンリはもともとひとりだった。

北極でビクターと対峙する時間は、また新たに出会い直す時間だったのかもしれない。2人は一緒にいることが当然なのだから。


一方、こにアンリ/怪物はとても理知的。

ビクターは自分と同じレベルで物事を共有し合える仲間が出来て一気にアンリに信用を置くようになるし、アンリはビクターの歪(いびつ)さも含めて彼を見守るようになる。

再演こにアンリ、めちゃくちゃお母さんでした。包容力たっぷりのお母さん。可愛い息子のためなら命も投げ捨ててしまうお母さん。なぜそうなった??? 初演のときは3秒目を離したらすぐ死にそうだったのに!


こに怪物は言葉を獲得する過程は外国語を学ぶような、もともと知能は高い感じ。

人間にされた仕打ちの意味を思索することで自らをグレードアップさせていく。そして、人間の心に棲む怪物の存在に気づきく。ビクターに研究の失敗を伝えるというのが彼の復讐。

息子が間違ったことをしたらそれを正すのがお母さんの役目ですからね(違う)。



しかし、再演の中川ビクターはヤヴァい。

ビクターの生命創造に対する執着の出発点は”愛する人を生き返らせる”こと。

ジュリアを殺されたところでようやく自分の過去を後悔するけれど、北極でアンリの顔をした怪物に自分の名前を呼ばれれば、そこにアンリを見て己の正当性に目の奥が輝く。

「見ろ、実験は成功したじゃないか!!」


“フランケンシュタイン”という固有名詞が”怪物”の名前だと思っていたというのはテッパンの勘違いなんだけれど、「俺はフランケンシュタイン!!」という名乗りはまさしくビクターの中の人間の部分が怪物に侵食されてしまったことの証明だったのではないだろうか。

ヤヴァいよヤヴァいよ中川晃教。


和樹アンリは初日だということもあり、印象としてはまだ大人しかったかもしれません。

これからどう進化していくのか楽しみです。

 


ビクターが「死」から「生」を産み出そうとする禁忌を犯すというテーマの一方で、再演は今そこにある「生のエネルギー」が強くなったと感じました。

再演で大きくキャラクターが変化したのが、コロッセウムで非道な扱いを受けるカトリーヌだと思います。

初演はその残酷な境遇の哀れさが突出しており、怪物の飲む水に薬を入れるのは、フェルナンドに唆されて止むに止まれずという印象が強かったのですが、再演のカトリーヌからは自分がこの環境から抜け出したいという強い意志が感じられました。

死んでしまった方が楽になれる生活なのに、生きても意味がないのに、一縷の望みに懸けてでも、という生への渇望。

音月桂さん、渾身のパフォーマンスでした。


また、カトリーヌのような(言葉は悪いけれど)底辺にいる人間であっても、自分の下にいると見なした相手に対して差別的な言動をとってしまう”怪物性”をより鮮やかに見せていたのも印象的でした。


もう一つの変化は、プリンシパルキャストでただひとりのチェンジだった露崎春女さん。素敵なシンガーであることはもともと知っていましたがなんと初舞台!!初舞台が『フランケンシュタイン』って、もう他に怖いものはないような気がする(笑)


で、エレンなのですが、結論から言うと私はめちゃくちゃ好き。

露崎エレンは当時としてごく普通の生活をしている少し裕福な一般的な女性で、特別な男の子のビクターをただただ心配しているだけに見えます。初舞台の良い意味で舞台慣れしていない部分が、ビクターの姉として肩身狭く生きてきた感じに上手くハマっているのです。

彼女にあったのが愛情だけだから「その日に私が」が余計に悲しく刺さる。


エヴァちゃんはかなりマッドに振り切れた女性に造形しており、初演は小物感満載だった中川ジャックが経営者的な立ち居振る舞いをしているのが面白い。そうしないと闘技場が成立しないぐらいにエヴァちゃんの頭がおかしい。好き。



ルンゲの日替わりネタとか、中川晃教の「後悔」の歌唱は絶品!!と書きたいことはまだありますが、ようやく1クールが終わった今思うのは、『フランケンシュタイン』ってこれからリミッターがはずれてからが本番みたいなところがありますよね...ということだったり。


私たちが北極で見るのは、光なのか闇なのか。

同じ回を見ているのに人によって感想が違うのは、もしかしたらビクター/アンリを通して自分の心をそこに見ているのかもしれません。


2020年1月 8日 (水)

『You’re a Good Man, Charlie Brown』1/5 13:00

@シアター風姿花伝


スヌーピー: 佐山陽規

チャーリー・ブラウン: 鈴木雅也

シュローダー: 清水優譲

ライナス: 海老原恒和

ルーシー: 石垣エリィ

サリー: 平川はる香

安田早希、山本沙羅

鶴岡政希、小島光一朗、


音楽監督: 伊藤靖浩

演出: 赤澤ムック

企画・製作: Sweet Arrow Theatricals


2017年に『きみはいい人、チャーリー・ブラウン』のタイトルで東宝が上演していますが、2019年にSweet Arrow Theatricals(通称: すいあろ)という団体が、別の形で上演することとなりました。ちなみに、19年版を見たときのツイートはこちら。 → https://twitter.com/yuni__ko2/status/1144576351942299650?s=21


2020年の観劇始めはやっぱりハッピーな作品がいいよね♪と、急遽チケットを取って再演にも行ってきました。この後に待ち受けているのが『フランケンシュタイン』ですからね...。


すいあろ版で特徴的なのが、客席を縦断するように配置されたセットと複数キャストの組み合わせ。他のお客さんと受付の人のお話しがチラッと聞こえたのですが、なんでも、同じ組み合わせは1回もないとか。まさしく一期一会。


この日のチャーリーは、ヴィジュアルだけ見るとシュッとしたハンサムさんだったのにちゃんと残念だったし、サリーはお兄ちゃんの分まで動き回るお転婆ちゃんだったし、ルーシーの自己肯定感高めなところは見習いたいし、ライナスはかなりガタイがいいのにきちんと年下に見えるし、シュローダーはスマートな男前っぷりを発揮していました。

佐山さんのスヌーピー、犬小屋から飛び降りるし、滑り台から降りてくるし、サパータイムはかっこよく歌って踊るし、本当にお若い!


Wキャスト、トリプルキャストは、キャスト側の負担が大きいと聞きます。しかし、PEANUTSのキャラがきちんと確立されているので、全員が同じ方向にすぐむけるというのは、この作品ならではの強みではないでしょうか。

チャーリー・ブラウンが演者によっていきなりスポーツ万能になったり、頭脳明晰になったりすることはありえないのです(笑)


一見、チャーリーだけが酷い目にあっているように見えるけれど、それは原作者のシュルツ氏がご自身を反映させたキャラクターだからということと、人間それぞれが日々の生活でふと弱気になってしまう視点を彼が持っているからということがあるんですよね。

私たちは皆多かれ少なかれチャーリー・ブラウンの資質を持っていて、だからこそ、彼の失敗に共感し、小さな喜びを一緒に分かち合うことができる。


ちゃっかりしたサリー、女王様気質のルーシー、甘えん坊だけど冷静さも併せ持ったライナス、大好きな音楽に突き進むシュローダー。

時に寄り添いながら、時に混ざり合いながら、時に高みの見物をしながら、犬として物事を人間とは別の視点から見るスヌーピー。

彼らの世界はとても狭いのだけれど、なぜかその中に人生の妙味が詰まっていて、自分にとって幸せとは?と顧みることができる。

幸せは、きっとどこにでもあるもの。

このメッセージが大好きです。


訳詞が東宝版と違うので、ときどき混ざる英語の響きも新鮮。

また、このカンパニーは英語での上演も行います。

もともと英語で上演されたものを、来日カンパニーではなく日本でそのまま見ることが出来るのはなかなか貴重なのでは?

ダイバーシティという考え方が広まってきた昨今、こういった試みが広まっていくといいなと思います。


また、劇場に向かう貸切バスにキャストが役柄そのまま乗り込んだり(特製のクッションを抱きしめながら観劇できる)、劇中に出てくるアイスクリームを食べることができたり、開演前にシアターキャストという役割の方が注意事項や案内を楽しくアナウンスしてくれたり、小回りが利く団体のアイディアが各所に展開されていて、作品そのものも、観劇体験としてもとても楽しめるものとなっているのも素敵だと思いました。





2019年12月30日 (月)

ミュージカル『(愛おしき)ボクの時代』

2ndプレビュー: 11月23日 17時30分

本公演: 12月4日 18時30分


天羽尚吾, 猪俣三四郎, 上田亜希子

梅田彩佳, 岡村さやか, 奥村優希

風間由次郎, 加藤梨里香, 塩口量平

四宮吏桜, 関根麻帆, 寺町有美子

橋本彩花, 深瀬友梨, 溝口悟光

宮島朋弘, 吉田要士


<スウィング>

春日希, 隈元梨乃, 土倉有貴

<ピアノ>

上浪瑳耶香, 森本夏生


脚本・作詞・演出: 西川大貴

作曲: 桑原あい

振付: 加賀谷一肇


元号が変わる数々の行事で、今年はたくさんの”日本の伝統”を見ることができました。

雅楽、十二単や直衣、和語を使った言葉の数々...これらはいずれも日本にしかないオリジナルのものでしょう。

しかし、これが現代日本に普通に暮らす私たちのアイデンティティに結びついているか、というのとは別問題。


私たちの根本は、例えば小さなときに聞いた童謡、絵本で読んだ昔話、アニメのキャラクター、流行ったCM、大人気だったアイドル、学校の休み時間のあれこれ、近所のお祭りのお囃子...そういった身近なものによって作られている。

また、70〜80年代にはラジオやTVから流れてくる洋楽が日本のエンターテイメントの一翼を担い、90〜00年代は生まれたときからディズニー(ピクサー)のアニメを見て育った世代。

いわゆる”日本的”なものから遠く離れたところにも、文化的な素地がある。


普段は学校に行ったり仕事をしたりしてつまらない毎日を過ごし、親と喧嘩したり、周囲としっくりいかなかったりして悩んだり落ち込んだりしている。それが私たちの日常。

ほとんどの人は神様にお祈りしないし、ましてや貴族に向かって革命を起こすこともなければパンひとつの罪で刑務所に入れられたことはない。

今の自分たちはドラマチックではない。しかし、それぞれの物語を生きている。


演劇・ミュージカルを見に足を運ぶ人たちはおそらくリピート用のチケットを買うために節約することはあっても、今日明日のご飯の心配やライフラインが止められるような極限状態にある人はいないのではないでしょうか。ちゃんとご飯を食べて、それなりの洋服を着て、生活をしている。はず。


主人公・戸越は父親の経営する小さな広告代理店に勤めているサラリーマンという設定。就活に苦労した側から見れば一見恵まれているように思えるけれど、それでも特権階級というわけではない。

何もかも持ってはいるけれど、満たされない。

そのもやもやは、おそらく観客の誰もが一度は、もしくは現在進行形で抱えている感情なのではないでしょうか。


長々と書いてきたけれど、今の日本が描かれている、今の日本に生きる人々による、日本に生きる人々のためのミュージカル。ボクの時代、私たちの物語。


もやもやと悩みを抱える東京の会社員がちょっと不思議な世界に迷いこんでしまうファンタジー。

”今”の”日本”で”普通に働いて普通に暮らしている”からこその気分や閉塞感や焦りや虚無感みたいなものは確かに感じることができました。


主人公の戸越にしても、何か気に入らないと人のせいにしたり自分のプライドを死守する武士にしても、自分は馬鹿だからと予防線を張るサルにしても、自分に自信を持てないなまはげちゃんにしても、それぞれの恋愛観を持ったきび団子ガールズにしても、「わかるわかる」の連続。

物語の中に、自分と似た人が必ず見つかる。

そのぶん、1つの物語としては散らかってしまった印象も否めない気はします。


戸越、伊豆...。関東圏に住んでいると見覚えのある地名で、天狗なら伊豆より鎌倉とか大山じゃない?なんて、元神奈川県民は不思議に思っていたのですが、この作品、とあるミュージカル、バラしてしまうと『WIZ』の骨子を借りているんですよね。その言葉遊びに気がついたときにフフッとなってしまったり。だから、戸越はトゴシーだったのか。


『WIZ』では、賢くなりたいかかし、感情が欲しいブリキのきこり、強くなりたいライオン、それぞれのソロ曲がありますが、『愛ボク』もこの形式に倣って、サル、武士、なまはげちゃんのソロがあり、さらにそれが『WIZ』の曲のオマージュになっていて、マイケル・ジャクソン大好きな私は嬉しくなりました。 


また、ダンスの面では、シアタージャズやコンテンポラリー、アイドルっぽい振付からヒップホップまで様々なスタイルのダンスを見ることが出来て大満足。

しかし何よりタップダンスが素晴らしく、総踊りとも称したい天狗様のショーシーンは圧巻!そのときの曲が往年のジャズナンバー(I Got Rythemなど)を織り込んだもので、「昔のものを羨ましく思う」と歌ったM1を見事に回収しており、ミュージカルの作法としても良く出来ていたと思いました。


同じ役者が2役を演じること、抽象的なセットやセリフなしのシーンなど、演劇的な想像力を必要とする歯応えはありつつ、劇中で交わされるセリフはいつも私たちが使うような言葉使いで、身近な題材を扱っている。そして音楽は先人への様々なリスペクトを感じさせつつキャッチーに耳に残る作り。


全キャストをオーディションで選び、シングルキャストでじっくりと役を考え壊し直して作品を膨らませていく。これが出来るのは、脚本が日本語で書かれて、その場で説明できる人間がいるというオリジナル作品ならでは。

特に今回はトライアウト公演ということで、プレビューで得たフィードバックを次のプレビューや本公演に取り入れ、どんどんと作品を育てていくという形式をとっていました。

同世代のクリエイティブチームと若手を中心にしたキャスト陣の柔軟性、風通しの良さとスピード感に拍手!


西川大貴くんも話していたけれど、日本の、特に大きなプロダクションの上演する輸入物の作品では、「完成品」を見せることが第一とされているから幕が上がってから気がつくことがあっても変えることはできない。「もっとよくできるのに!」というジレンマを抱えたまま演じることになる。

しかし、海外では、一度劇場に上げたものを稽古場に戻してブラッシュアップさせてまた上演して、という作品も少なくないのだとか。


人が演じて、人が見て、作品は進化する。

「上演して終わり!」というのは、作品に対して愛がないような気がします。

今回、私は2ndプレビューと本公演1回ずつ見ましたが、「ほほぅ、こう変えたのか」「これは前の方が良かったかも?」と思った箇所がありつつ、2回目に見たほうが作品としての完成度は高くなっていたと思います。


また、スウィング制度をきちんと公表したのも、特徴的な取り組み。シングルキャストと書いたけれど、彼らに何かがあったとき、または未然に防ぐという意味で、カバーに入れる人がいるというのは、興業として、および観客に対して誠実だと思います。

(スウィングについては、西川くんやお三方のツイートに熱い思いが綴られているので、ぜひ読んでください)


今、TVの音楽番組で取り上げられるようになるほど、ミュージカルの人気が高まっています。しかし異なる文化的背景を持つ人たちが作った作品を理解することに対してどうしても限界があるわけで、それなら、日本語で書かれた日本に生きる人たちのためのミュージカルが作られることが自然なのではないでしょうか。


様々なインタビューで少なくないミュージカル俳優たちが日本オリジナルの作品を作りたいという発言をしていますが、まず一歩を踏み出したこの作品とクリエイティブチームに心からのエールを送りたいと思います。


幕は下りてもまだチャレンジは続いています。

バンドもしくはオーケストラ演奏、舞台装置...、上を目指せば際限がないものです。

この上演で得たものが大きく成長して帰ってくることを楽しみにしています。


2019年11月21日 (木)

中川晃教コンサート2019 I Sing 〜Soul Beat〜 11/3 17:30

@日本青年館ホール

1階3列目 センターブロック


Gt.: 北島優一  Ba.: 小林修己

Drs.: 髭白健、Pf., Key.: 園田涼


ウィーウィルレットユーゴー

LISTEN

BRAND

恋のGPS 

砂のロープ

WHITE SHINY STREET

I WILL GET YOUR KISS

別れるときに思うこと

君の瞳に恋してる

粒子

Save Our Souls

相対性理論

WHAT ARE YOU AFRAID OF

チャイナガール

音楽の消えることのないダンスフロア

<アンコール>

(今日何してたの?〜神田川リミックス〜)

僕こそ音楽

Family 


今年は目玉のツアーもやったし、白寿ホールの弾き語り、東京文化会館や八ヶ岳音楽堂でもやったし、川崎のミュージカルガラコンサートや夏のBrand New Musical Concert、中島みゆきさんのトリビュートコンサートや若手アーティストたちとのコラボが楽しかったVOICE JAM等々、多種多様な音楽活動をしてきたけれど、『I Sing』はやっぱり特別で全てがここに繋がっていたのだと実感しました。


アッキーのライブって音楽はこんなにも自由で楽しいものなんだと思うのと同時に、長距離選手が後ろからごぼう抜きしてトップでゴールするような、体操選手が着地で1ミリも動かないような、研ぎ澄まされた才能と考えられない努力の結晶に思えます。

トップアスリートになればなるほど自分の中での選択肢が増え、試合中のどんな展開にも対応できるようになり、自分なりの戦い方を組み立てて勝利を勝ち取ったり目標を達成するのだと思います。


『I Sing』はもちろん勝ち負けではありませんが、中川晃教という唯一無二の歌のアスリートがバンドとともに最高の音楽という目標に向かっていく場であり、観客もチームの一員となってともに幸せという最高の結果を味わえる場でもある。

「何を”どのように”歌うのか」という客席の勝手な期待感なんてものは彼が声を発したと同時に消え去り、包まれ射抜かれ自分の内に新しい光を灯すような力が宿る気さえしてきます。


幕開けの「ウィーウィルレットユーゴー」は本来ドキリとするような攻撃的な歌詞をファンキーなアレンジで仕立てた燃え上がるような熱量のある曲ですが、数年前にビルボード大阪で披露されたアレンジは曲を根幹から再構築して同じ曲なのか分からないほど。全体的に落ち着いたジャズのように聞こえるけれどその根底にとてつもないエネルギーを隠しているような、例えるならばドライアイスみたいに危険な感じ。


「LISTEN」「BRAND」とフォーリズムのバンドのカッコ良さがビシビシ伝わる2曲を続けて、MCへ。

「恋のGPS」はアッキー自らコール&レスポンスの動画を作ってくれた、イントロのベースラインがモー娘。の「ザ☆ピース!」に通じるアイドルソングでありソウルミュージックの香りもする1曲。

よく考えれば、音源化してないのにコールやろうとしちゃうというドSっぷりなのに(アッキー自ら認めるw)、可愛いなぁ楽しいなぁと”push push”して”フゥフゥ⤴︎”してニコニコしちゃうのがアッキーパワー。


「砂のロープ」「WHITE SHINY STREET」「I WILL GET YOUR KISS」ではアッキーの最新と原点を一気に行き来する。「砂のロープ」の甘美な響きに癒され、”俺楽しいー!”が溢れ出るWSSのエネルギーを浴び、「I WILL GET YOUR KISS」は園田くんのコーラスが入って進化した原点という感じ。


「別れるときに思うこと」と「君の瞳に恋してる」はシンガーソングライターとミュージカル俳優としての振り幅を見ました。

パーソナルな内容の歌詞を際立たせるような切迫感を駆り立てるメロディーを繊細に届けたかと思えば、世界中の誰もが知ってるポピュラーミュージックを日本でただ1人の本役として手中にしている説得力を持っている。

うーん、アッキー本人が怪人二十面相どころではないのでは?


ツアーを通して大好きになった「粒子」が、ギター、ベース、そしてドラムという強力な仲間を得て、さらに素晴らしい曲になっていて感動!特にサビのときのドラムが後ろからアッキーを前に押し出してくるような静かな迫力があってめちゃくちゃかっこよかったです。

音に対する言葉数が多いという共通点のある 「Save Our Souls」と「相対性理論」。曲調はまったく違うから何回も聴いてるのにこのときまでまったく気がつきませんでした。これだけ言葉が多いのに耳からスッと入ってしまうのはアッキーの発声が美しいからなんだろうなぁ。


終盤3曲は待ってました!とスタンディング。

アッキーが放出したエネルギーを観客が鏡になってステージに跳ね返してさらにアッキーが強く返してくれる。このエネルギーの交歓こそライブの醍醐味。


興奮冷めやらないままアンコールに突入し、もはや定例となったバンドメンバーへの無茶振りコーナー。

「今日はプールに行って〜♪」と歌い始めたアッキーから突然「涼くんは何してたの?」とバトンを渡された園田くんが撃沈し、窮地に陥ったベースの小林くんが起死回生のオサレなベースラインを繰り出し、ドラムの髭白くんがアグレッシブなソロを披露し、やや強面なギターの北島くんがなぜか「神田川」のメロディで締めくくる。

今、ここで生まれた”音”を”楽”しむ姿はある意味スパルタなのにゆるさもあって、冒頭で言ったように選択肢を駆使して挑むアスリートの遊びみたいでした。


「僕こそ音楽」は、テレビで井上芳雄くんと歌った反響が大きかったから急遽セットリストに組み込んだとのことだけど、無茶振りからの流れで「そりゃ、あなたが音楽だわ」としか言いようがない(笑)


「Family」を聴くたびにこんなに優しい歌がこの世に存在するのかと温かい気持ちになります。自分が何かをしてあげたい、何かを差し出したいと思う相手こそがファミリー。

いつも全力を尽くし舞台に上がり観客に向き合ってくれるアッキーに対して観客が出来ることは心からの拍手と歓声を送ることだけ。

曲自体は『ジャージー・ボーイズ』再演の大千秋楽が終わった後に作られたものだから、劇中のボーイズたちやキャストとの繋がりを連想させるものだけれど、こうやってライブの最後に歌ってくれると、客席もas ONEの関係に含めてもらっているようで幸せです。


幸せしかないコンサートでした。

幸せ過ぎて書くのに時間かかり過ぎた(笑)


2019年9月26日 (木)

新作ミュージカル『怪人と探偵』 9/14, 21, 26

@KAAT

9月14日 19時  1階2列目センター

9月21日 13時  1階13列目下手側壁

9月26日 14時  1階7列目上手側


怪人二十面相: 中川晃教 

明智小五郎: 加藤和樹  

北小路リリカ: 大原櫻子

小林芳雄: 水田航生 花崎マユミ: フランク莉奈 

北小路邦麿: 今拓哉  北小路雅子: 樹里咲穂

ネコ夫人: 高橋由美子  中村警部: 六角精児

有川マコト 山岸門人 中山義紘  石賀和輝

齋藤桐人  石井雅登  碓井菜央 菅谷真理恵  

大久保徹哉 咲良  清水錬  加藤梨里香


テーマ音楽: 東京スカパラダイスオーケストラ

作曲: 杉本雄治   音楽監督: 島健

作・作詞・楽曲プロデュース: 森雪之丞

演出: 白井晃


無知を晒すようでお恥ずかしい限りなのですが今まで江戸川乱歩の小説を読んだことがなかったので、上演前に慌てて怪人二十面相シリーズをいくつか読みました。”自分の本当の顔さえ忘れてしまった”と語る怪人の変身ぶりに新鮮に驚いたり、さすがにそれは無理があるな?とツッコミを入れたりしながら...。

怪人二十面相のモデルとなった怪盗アルセーヌ・ルパンの孫(設定)である『ルパン三世』の活躍ぶりの方が身近なので感覚が反転していたのですが、子ども向けの題材だから決まりとしての正義が勝つために小説では最後に怪人が逮捕されてしまうんですよね。人のものを盗むことは犯罪で、犯罪は罰せられるべきもの。それは間違いではない。


しかし、『レ・ミゼラブル』のジャベールの葛藤からも明らかなように、正義がいつも”正しい”のかという苦悩は本作の明智小五郎にも当てはまる。正しさは時に悲しみと痛みを生み出してしまう。正しさと悪は遠く離れた対角線上のものではなく、光があるから影が出来るように分けることができないもの。

盗みを実行する怪人二十面相と企みを阻止する明智小五郎は一対。彼らは一連托生。


先に述べたように、私は怪人二十面相シリーズを全巻読んだわけではなく明智小五郎が出てくる作品も全部読んだことはありません。本作のストーリーを知ったときに、ダークヒーローであるところの怪人には”愛”はどの宝石よりも美しく尊いと賛美するなんていう陳腐なことはしてほしくはないなぁと直感で引いてしまっていました。

結婚しているという設定がまるっとなくなっている明智小五郎。劇中、探偵団の小林くんたちは少年のときから一緒だったという前提は崩れていなかった(探偵団の1人が、子どものときに怪人二十面相に誘拐されたって言っていた)と思うので、小学生〜中学生の少年探偵団を抱えていた彼が、保護した孤児の女の子に惹かれていくというのは”らしくない”と思ったりも。(他の作品を読んでいないので私はそう感じましたが、明智フリークの人はどう思うのでしょうか...)

初見では、この作品を怪人二十面相と明智小五郎の話にしなくてもいいんじゃね?と思ったのは事実。


しかし、怪人二十面相というトリックスターを”鏡”という装置にして、人間は皆仮面を被った生き物であるという主題を提示することに成功していたと思います。


明智小五郎とリリカが怪人二十面相と対峙するとき、仮面を被った自分の存在を突き付けられる。

慶子は明智の正しさゆえに両親を失い、後に自らの素直な心も失った。明智は自分の正しさゆえに愛を失った。両者は時を経て仮面をかぶって生きている。仮面をかぶっているのは北小路夫妻も探偵団もまた然り。


リリカと明智が自らの心を偽り仮面をかぶったのと違って、怪人二十面相は欲望に忠実で、むしろ自分に対してとても誠実であるとさえ感じます。

「愛を盗みたい」という根源的にピュアな感情は、そんなところから生まれたのかもしれません。


ここまでクドクド考えないと、怪人が愛などという不確かなものに興味を持つなんてことを肯定出来ませんでした(笑)

だって、怪人二十面相にはめちゃくちゃかっこいい存在でいて欲しいじゃないですか?愛に喜び、愛に怯え、愛に躊躇う姿なんてカッコ悪過ぎる。


二十面相にとって当初「愛を盗む」ことと「愛したい、愛されたい」ということは違うものだったのではないでしょうか。

向けられた感情そのものが”世界で一番綺麗な宝石”であり、愛によって育まれる関係性の持続や幸せには興味がなかったと思うのです。

リリカの過去を知る明智の出現により、怪人の自尊心や自己顕示欲が嫉妬という感情に結びついて、リリカという存在に執着するようになるけれど、そこで怪人は愛が綺麗なだけのものではないと知る。

そして、彼が本当に愛したのは、自分の片割れとも言える存在だったのではないか、とたどり着きました。


彼が欲しいものは、美しさ。

彼を満たすものは、美しさ、ただそれだけ。

美しさを盗み、美しく盗む、それが美の崇拝者・怪人二十面相。

だから、ラストシーンの鮮やかさには快哉を叫ぶ思いです。

怪人が手にしたのは己の信念であり、何者にもなれるという己の存在証明。

それは”世界で一番綺麗な宝石”よりも美しいものでした。


.....と、私は思いたい(笑)



歌声で人をどこにでも連れて行けるアッキーに、何にでも変身できる怪人二十面相はピッタリだったと思います。

また、彼の滑舌の良さは、怪人の吐露する現実離れしている文語調の言い回しを劇的に引き立たせて説得力を生み出していました。


開幕後から日を追うごとに素晴らしくなっているのは「光が降る、運命を輝かせるために。」。あれは勝利の咆哮、この世の全ての光が降り注いだといっても過言ではないほど、怪人からオーラが発せられていました。

明智が同じメロディーで、自分のエゴのために戦い愛する人を取り戻すと歌っているのですが、怪人が手にしたいのは己の栄光。

そりゃ溢れるカリスマ性がありながらも高みを目指し続けるのですから、手下たちが「怪人二十面相を讃える歌」まで作ってしまうぐらいめちゃくちゃボスのことが大好きなのは納得しかない。


怪人のアジトにいる時点でホーム試合というアドバンテージはあるのですが、アッキー怪人がノリノリのキレッキレで「対決」では明智先生が押され気味に見えてしまう(笑) あー楽しい!!


もうリリカとかどうでもええやん?ってなったときに彼女が歌う「魔法の滅びたこの世界で」が流れをぶった切ってるような気がして。歌詞が言葉のための言葉になっていて、作者の陶酔感の方が勝ってしまっているような。

怪人と探偵の戦いにいきなり令嬢が自我を歌い出し、男の生き方の尊厳をかけた戦いに”けんかをやめて〜〜♪”状態に持ち込むのは本当にがっかり。

あんなことをしなければ、マユミちゃんがつまらない罪を犯すこともなかったのに。


というか、マユミちゃんの扱いやリリカの過去の描写が類型的で古いのが気になったんですよね。

ピシッとスーツを着こなしたマユミちゃんが内心でエッチなことを考えてるとか何のイメージビデオかよ?と思ってしまったし、リリカが愛する人を忘れようとするために自分を傷つけようとする(男性はそれを含めて愛する)というのはいかにも男が考えた女の理想と弱さだよなぁ、と。

一方、自分の仕事をキッチリしてボスに仕える怪人二十面相の手下のネコ夫人や紅蜥蜴には惚れ惚れとしますね。

そして、小悪人な北小路夫妻もベリーチャーミング。



スカパラのテーマ曲「哀愁モダン」は赤レンガ倉庫、神奈川県庁本庁舎、横浜税関、開港記念館などの劇場周辺のレトロな街並みと親和性がありますね。

何回も繰り返される「微笑みの影」の切ない曲調は、特に夕暮れから〜夜のソワレの時間帯に感じる秋の訪れの肌寒さにリンクします。

横浜は文明開化の土地。『怪人と探偵』が日本のオリジナルミュージカルとして、この劇場でこの時期にスタートしたことには意味があったのではないでしょうか。

日本語で作られた脚本と日本語オリジナルの曲。このチャレンジが確かな一歩になるよう、これからも日本発の作品を応援したいと思っています。











2019年9月15日 (日)

a song cycle 『sign』9/12, 13, 15

@日暮里d倉庫

9/12, 13, 15: Dawn   9/13: Dusk

Dawn Cast: 彩橋みゆ、熊澤沙穂、斎藤准一郎、遠山さやか、西川大貴、若松渓太

Dusk Cast: 荒田至法、小此木まり、加賀谷真聡、小林風花、清水彩花、村井成仁


15年の再演、17年の再々演と見て今回4演目。

この上演に合わせて夏休みを取ったぐらい(笑)『sign』は本当に本当に大好きな演目です。

この作品は、日本語で書かれた日本(東京)が舞台の日本で今生きている人たちのためのミュージカル。


この作品の主人公は”東京”。

歴史上の人物も今を生きる私たちも、大きな事件も日常にありふれた光景も同じ目線で描かれています。

名を残した人だけでなく、私たちもこの地に暮らして物語を生きている...だからこそ全ての曲が愛おしい。 


311のとき、東京近辺は命に関わる大きなダメージはほぼ受けなかったけれど、震度5強の揺れ(さらに長野での地震も)を経験し、家具が倒れ塀が崩れ道路が液状化した場所もあった。その中で報道される東北の甚大な被害に「私は何も出来ない」という思いだけを強くした。その感覚は今も根強く自分の中に残っている。


今回、新曲が加わったことでもうひとつ全体のテーマが浮き上がったような気がします。

それは、災害、時代、社会、個人の事情...。人はそれぞれの様々な”生きづらさ”を抱えて生きているのだということ、もがいているのだということ。


新曲「寝巻會」の登場人物は大正〜昭和前期にかけて活躍し、当時としては(いや、今の時代でも?)大胆な行動に出た3人の女性たち。

自分の心の声に素直に従ったまでなのに、なぜ非難や心無い声を浴びせられなければならないのか。

”なりたい自分になれ”と歌うキュートなアイドルソングの最後にポツリと漏らされる本音に、胸がチクリと痛みます。

社会体制、戦争...どうにもならないことに飲み込まれていく個人の生きづらさ。


一方、周囲と馴染めない大学生活や意にそぐわない就職など、自分の力次第で変えられることにポジティブな決断をする人たちの清々しい表情にはこちらまでハッピーな気持ちにもなります。


17年の再々演で追加された「ジュヴナイル」。なぜこの曲が追加されたのか今までよく分からなかったのですが(もちろん、尾崎豊が東京という場所で亡くなったからだということは分かるのですが)、今回の上演で”生きづらさ”というもうひとつのテーマを受け取ったことで、力尽きてしまった人たちへの鎮魂歌としてピタっとハマった感じがしました。


歌詞の人々に加えて、ここ数年のリアルタイムではエイミー・ワインハウスやアヴィーチーなど、向こう側に行ってしまう人のニュースを聞くたびに、何も持たない自分は「なぜ」と思ってしまうのですが、助けを求めるのは死ぬことよりも難しいことなのでしょう。

最近『ロケットマン』を見たので、エルトン・ジョンが分岐点で踏み止まれたことに心から尊敬の思いが湧いてきました。


今回はDawn(夜明け)とDusk(夕暮れ)というチーム分けになりました。

両チーム観劇して、ガールズの雰囲気がチーム名に引っ張られてるようで面白いなぁ、と。

Dawnは沙穂ちゃんがキラッキラの太陽、みゆちゃんが朝の訪れを告げながら飛び回る小鳥、さやかちゃんは爽やかに引き締まった朝の空気、みたいな。

それが全体として元気な空気を生み出していて、「さぁ、これから頑張るぞ!」という明るい気持ちになりました。


Duskは風花ちゃんが疲れを癒すスウィーツ、まりちゃんが一息入れるときに飲みたいパッと弾ける炭酸飲料、彩花ちゃんが思わず足を止めてしまうような全てを温かく包みこむピンクの夕焼け空、かな。

こちらのチームは穏やかにリラックスした雰囲気。スーパーダンサーが2人いるのになんだか不思議。


でも、たぶんこれはその日のコンディションや観客とのコネクト具合で見る人によっては反対の感想にもなったりするのかも。


19年版ではDawnとDuskで曲によって例えばMan1がMan2の歌を歌うなどチームごとのサプライズがあって「こう来るか!」という驚きがありました。Duskの方が意外性があったかも? 


Dawnは適材適所でパッケージとして完璧。特に若松渓太くんは過去5〜6人見ているけれど歴代最高のワンコでした。

Duskは「で、ミゼラブル」が共演者と結婚した小此木まりちゃんが歌い、あの役に某ミュージカル本役である清水彩花ちゃんを配置するというメタofメタの世界線。最強。


ソングサイクルは曲の中に役としての演出とその役者自身のパーソナリティが共存するのが面白いところ。『sign』では、例えば役名が”竹久夢二”とか”松井須磨子”とは表記されません。

6人の男女がそれぞれの役割を担って、1曲の中にそれぞれの表現を落とし込んでいく。


西川大貴くんの担当は、17年上演時と変わらず「coffee」「夢追ひ」「ジュヴナイル」。

喫茶店に流れる心地よい軽いジャズのリズムに少しセンチメンタルな歌詞がマッチする「coffee」。”彼”が経験した甘い恋とほろ苦い思い出をいつのまにか隣のテーブルで聞いているような距離感にする西川くんの引き込む力に思わずニコニコしてしまう幕開け。


「夢追ひ」の色気ダダ漏れっぷりは心拍数がヤバくなるレベル。

何もかもが上手くいって順風満帆な状態ではなく、自分を形作っていた大切な何かを失ってしまったときの男性というのは色気の塊だと思うのですが、まさしく夢二がミューズであるお葉から別れを告げられる場面で、崩れた雰囲気から放たれる艶っぽい歌声は特筆モノ。

愛しているからこそ夢二から離れようとするお葉の凛とした強さと、愛の夢の中で生きたい夢二の想いが交錯する力強いデュエットに心がギュッと掴まれました。


「ジュヴナイル」は、先述したように私は鎮魂歌だと受け取っているのでこの世で苦しんだ先人たちの安息を願う曲だと思うのですが、一方で彼らを反面教師としてたった一度の人生を生き抜け!というその他大勢へのエールにもなっているのだな、とも思ったり。回によって激しさを感じることも優しさを感じることもあったのは、歌声の中にそのような思いが込められていたからなのかな...。


大好きな野球を題材とした「MVP」や「ボヘミアン・ラブ!」でノリノリで踊っていたり、「で、ミゼラブル」でレミゼパワーを遺憾無く発揮していたり、「TKS」で怪しげな人物を

嬉々として演じていたりするなど、メイン以外でも見どころいっぱい。

特にDawnチームは全員が揃ったときの陽のパワーが眩しいほど。


ご贔屓さんが出演すると嬉しいし、今まで見たことがなくても出演した役者さんのファンになってしまう、それが『sign』という作品の魔力。

「Send Me A Sign」が「Seasons Of Love」に代わるミュージカルのアンセムになるよう、これからも上演を続けていってほしいと強く強く願っています。





2019年9月13日 (金)

ミュージカル『ドン・ジュアン』 9/4 18:30

@赤坂ACTシアター

S席1階A列20番台


ドン・ジュアン: 藤ヶ谷太輔

マリア: 蓮佛美沙子

ラファエル: 平間壮一

ドン・カルロ: 上口耕平

エルヴィラ: 恒松祐里

騎士団長/亡霊: 吉野圭吾

アンダルシアの女: 大石裕香

イザベラ: 春野寿美礼

ドン・ルイ・テノリオ: 鶴見辰吾


風間無限、鹿糠友和、仙名立宗

高瀬育海、俵和也、西田健二

MAOTO、宮垣祐也、渡辺崇人

弓野梨佳、小石川茉莉愛、島田友愛

鈴木百花、谷須美子、則松亜海

花岡麻里名、平井琴望、松島蘭


潤色・演出: 生田大和(宝塚歌劇団)

作詞・作曲: フェリックス・グレイ


プレイボーイの代名詞としてドンファン(ドンジュアン)という単語は聞いたことがあっても内容はよく知らなかったし、今回も原案になった戯曲は読んでいません。

例えば厳格な父の支配から逃げるためとか、その父が隠して色事に耽る姿を見てしまった反発からとか、亡くなった母の面影を探してとか、むしろ母を1人の女性としか見られなかったからとか、結ばれることのない姉妹への思いを断ち切るためとか、最初の恋人を納得できない形で奪われたからとか(全部私の妄想)... このミュージカルでは、なぜドンジュアンが手当たり次第に女に手を出しているのかという理由や過去は描かれません。

女に出逢い、抱き、捨てる。それがドンジュアンという男。そこに愛はなかった。


一方、ドンジュアンと一夜をともにした修道女エルヴィラはそれを愛だと認識して彼を追いかけてきた。

ドン・カルロは一途なエルヴィラの姿に胸を打たれ、また、人の行いから逸した友の心配をしている。

イザベラは”女”として彼を見守る。

ドン・ルイ・テノリオはエルヴィラを利用してドンジュアンを家に戻そうとする。そのやり方はある意味汚いが、息子の身を案じる気持ちは本物だ。

ラファエルはマリアとの結婚を決め高揚している。ただしマリアは結婚するに際して自分の仕事を、芸術を諦めることに納得がいっていない。マリアは彫刻を愛している。


最愛の娘をドンジュアンに乱暴に扱われ、彼に殺された騎士団長は亡霊となり、ドンジュアンに呪いをかける。

ドンジュアンの周囲は、彼がそれまで持つことのなかったさまざまな”愛”の形で満ちていた。


愛を知らない男と、一方的な愛に疑問を感じた女が呪いによって出逢い、呪いによって惹かれあい、呪いによって愛を誓い合う。


究極の愛はきっと神があたえたもう赦しなのかもしれないけれど、人間が人間に抱く愛は人間の数だけあるのかもしれません。

そして、その愛を邪魔するものに対して嫉妬の心を持つことも人間ならば当然の感情なのでしょう。


絶望に突き落とされたエルヴィラはマリアに嫉妬しラファエルを煽り、ラファエルは恋人を奪い去ったドン・ジュアンに嫉妬し決闘を申し入れ、ドン・ジュアンは自分以外の人間がマリアと心を通わせたことがあるという事実にショックを受けラファエルに嫉妬心を剥き出しにする。


かつて神に仕えた身であるエルヴィラは自分の行いが神の思し召しにそぐわないものだとすぐに気がつき懺悔する。

市井の人間として生きてきたラファエルはマリアの愛を取り戻そうとする。

ドン・ジュアンは己の中に目覚めた嫉妬心を通じてようやく愛を失うことへの恐怖や悲しみ、怒りといった人間としての感情を獲得していく。

愛は幸せ。しかしその一歩先に、またその裏返しに、恨みや憎しみといった多くの負の感情が渦巻いている。


亡霊はその具現化した存在であり、呪いをかけて反語的にドン・ジュアンに愛の尊さを知らしめ、彼を人間として死なせた。


マグダラのマリアは”罪深い女”と言われ、(エルヴィラが台詞で示唆するように)その文言が彼女を娼婦なのではないかと見る向きもあったようです。しかし今では、その推察は否定され、聖書の記述から彼女は心からイエスを愛していた人物だと言われるようになった。そしてある福音書には復活したイエスが最初に現れたのはマグダラのマリアの前と書かれているそう。

ドン・ジュアンは刺されてそのまま死ぬけれど、最期に人間として生まれ変わった一瞬をマリアの前で迎えられたことに彼女の存在の意味があったのかも。


亡霊を演じた吉野圭吾さん!

彼がいなければこの作品はありえなかったと思います。扮装で異質であることはもちろん、手の動き、首の角度、足を踏み鳴らす音の激しさ...言外で情報を伝えるということにこれだけ長けた人は他にいないのではないでしょうか。


春野寿美礼さんの艶やかさはこの作品に色を生み出し、平間壮一くんの涙は熱を与えていました。

上口耕平くんはある意味ストーリーテラー的な役割も担いつつ、いわゆる常識人であるカルロを硬質に演じていたと思います。

フラメンコの振付、実は苦手なのかな?と思ったのですが、スパニッシュな雰囲気を醸し出すアンサンブルの前で彼が踊ることでカルロがドン・ジュアンに対して感じていた違和感みたいなものを表しているようにも見えました。

個人的に本人の内面にも通じるものがあるのか、耕平くんは内向的とまではいかないけれど真面目もしくは堅物と言われる(見える)役柄に適性があるように感じます。

また寿美礼さんとのデュエットなど、歌の面で作品を引っ張っていたのは頼もしい限り。


スターシステムの宝塚から持ってきた(もとは海外作品ですが)作品にジャニーズというブランドをぶつけたのは最適解だったのではないでしょうか。

藤ヶ谷くんのファンの皆様にとってはなかなか刺激的な役柄ではありますが、ある意味周囲と群れない役柄というのはミュージカル経験がない中での初主演にプラスに働いたのではないかと思います。


『ドン・ジュアン』は愛の物語であるのと同時に人間らしさとは何かを問いかけており、スカッと明快なミュージカル!とは言い難いけれど、素晴らしく有能なダンサー陣の群舞によってかっこいいエンターテイメントとして成立していました。

あれをマチソワやっているなんて恐ろしいな...。





2019年8月20日 (火)

ミュージカル『SMOKE』7/28, 8/8, 16, 18

@浅草九劇


7月28日 E 大山真志/木内健人/池田有希子

8月8日 N  木暮真一郎/木内健人/池田有希子

8月16日 N 日野真一郎/木内健人/元榮菜摘

8月18日 S 日野真一郎/木内健人/高垣彩陽

(日付/ブロック/超/海/紅)

上演台本・作詞・演出: 菅野こうめい


煙(SMOKE)は消えてしまうもの。はかないもの。そんなイメージを持つ。

しかし、煙は何もないところには出てこない。そこには発生源となる何かがあるもの。

海=李箱(イ・サン)は、燃える炎だった。彼の感じた希望や絶望、理想としたもう1人の自分が煙となって立ち上っていった。


人は歴史の中で霞のように消えてしまうけれど、炎の燃えかすはどこかに残る。

李箱の詩は後世の世界であまねく知られることはなかったかもしれないけれど、こうやって彼の人生をモチーフにしたミュージカルが出来たように。


夢と絶望は表裏一体。

夢を持つことが生きる希望となる一方、破れたときには絶望に叩き落される。

そして、生きることと(自ら)死ぬことは同じだけの熱量があるのだということ。エネルギーがはたらく方向が正反対なだけ。


同時期にTipTapの『フリーダ・カーロ』という作品を見ました。

フリーダはバスの事故により大怪我を負い、後遺症に苦しみ何回もの手術を受ける。また、せっかくお腹に宿った命も怪我の影響で流産してしまう。それでも生涯に渡り男女多くの恋人と愛を交歓し、絵を描き続けた。


『フリーダ・カーロ』の劇中では、フリーダの心象を歌う紅いドレスを着たSingerという役割、つまりもう1人のフリーダがいて、これを見たときに『SMOKE』の中でなぜ”紅”は”紅”なのか、その答えのひとつが分かったような気がしました。

セリフには「太陽の赤」とあるけれど、”紅”は血の色なのだ、だから”紅”なのだ、と。

そして、フリーダが絵を描き、事あるごとに「私を忘れないで」と歌うのは、彼女の願いに翼をつけているのだとも思いました。

むせ返るような血と生の匂いの先にある死を描いた『フリーダ・カーロ』と、生と死は等しいものだと私が感じた『SMOKE』は、一見正反対なんだけれど、創作を通じて飛ぼうとした人物を描いているということも似ているのかもしれません。


また、フリーダは死の数日前にスイカの絵を描いたというエピソードがあるのですが、”海”の「(最期には)千疋屋のメロンを食べて筆を措こう」(うろ覚え)という台詞のリンクにもなんだかビックリ。

この2作品を同時期に見られてよかったと思いました。


誰にも自分の作品を理解されず、病状は悪化し、母国語を誇ることもできない世界情勢。止めたい、この苦しみから解放されたい、死にたいと願ってもなお、李箱の中に流れ続けるのは紙とペンがあったら何かを書いてしまう衝動。

海はすべての命の源。生み出す存在だからこそ、彼は”海”であり、海を目指すのだ。


落ちて落ちて落ちた深海は真っ暗かもしれないけれど、たとえ他から見えない光でも自分が光ることを選んだ木内”海”の変化に千秋楽は涙が止まらなくなりました。


”超”と対峙するときの”海”は自分の中の醜いもの、禍々しい感情を全て引きずり出しているような痛々しさがあり、彼を苦しめているのは周囲の目ではなく本人なのだということがとても辛くて、だからこそ自分の生き様を肯定する最後が輝いて見えました。

笑顔で語られる李箱の言葉には翼があり、ラストに上から降ってくる原稿もまた翼の一部なのでしょう。木内”海”のポージングの美しさよ...。


私は木内健人くんのファンなので、”海”は全部健人くんで見ています。

“海”と”紅”が踊る場面、健人くんがリード気味になることによって、記憶はなくしているけれど無意識のうちに昔のように身体が動いている年相応の”海”と少年の”海”が1つの身体の中に存在しているような危うさがあって好きなシーン。


たびたび”セッション”と称されるように”超”の3人、”紅”の3人と、各回ごとに組み合わせが違う上演スタイル。ともすればそれぞれの勢いがぶつかり合い増幅し合い転がってしまう危険性があるのですが、健人くんは聡明さと素直さと無邪気さを併せ持った序盤から、記憶を取り戻してもう1人の自分である”超”と激しく格闘する中盤〜後半、そして自分を愛し受け入れる終盤、毎回そこに至るまでの道筋を丁寧に真摯に演じていました。

私はそういう俳優が大好きです。


ラッキーなことに他の全キャストも見られたので、思ったことを少しだけ。あくまでも、その日に見た私の感想ですので悪しからず。

大山”超”はまさに”海”と合わせ鏡というか同じものを抱えていたように見えて、木暮”超”は他の2人より落ち着いていて”海”の理想形になろうとした存在で、日野”超”の鋭さはむしろ海の弱い部分を引き受けてしまって苦しんでいるからに見えました。


池田”紅”と元榮”紅”はわりと似たデザインのワンピースだけど、高垣”紅”は素材違いのドッキングワンピースで衣装だけ見ると2人とかなり違う印象で、そこに何か意味があるのか深読みしたくなったり。

池田”紅”は激しく焚きつける熱風、元榮”紅”は凛としてそこに在る変わらないもの、高垣”紅”は人の柔らかい部分を包み込みもすれば傷つけもする人間に近い存在のようでした。


健人くんの千秋楽のカテコに立ち会えました。挨拶で「この『SMOKE』をやったことは、今後自分が役者を続けていく上で核になる」(概意)と話していたのですが、これほどまでに自分の役について考え抜く経験をしたことは木内健人という役者を数段上のステージに押し上げたと思います。


難解なメロディーも多々あるのに、ふと頭の中に入り込んでくる中毒性のある曲の数々。

四方からギュッと取り囲んで見る濃密な空間。

記録的な暑さとともに、2019年夏に浅草九劇で見た『SMOKE』は忘れられない作品になりました。














2019年7月22日 (月)

三宅裕司 & Light Joke Jazz Orchestra with special guest 中川晃教

@ブルーノート東京

7月19日 1st stage

7月20日 2nd stage


三宅裕司(ドラムス、パーカッション)

中川晃教(スペシャルゲスト、ボーカル)♡


土井徳浩、辻野進輔(アルトサックス)

寺井雄一、吉本章紘(テナーサックス)

宮木謙介(バリトンサックス)

村上基、谷殿明良、上石統(トランペット)

羽毛田耕士(トランペット、アレンジャー)

張替啓太、和田浩、和田充弘(トロンボーン)

河野広明(バストロンボーン)

佐久間優子(ピアノ) 芹澤薫樹(ベース)

稲垣典行(ドラムス)

白土 直子、良田 麻美 (コーラス)/ 劇団SET ※


The Star-Spangled Banner 

ひょっこりひょうたん島

無責任一代男

星に願いを ※

Sherry ♡

It Don’t Mean A Thing ♡

My Eyes Adored You ♡

Can’t Take My Eyes Off You ♡

監獄ロック

<アンコール>

19日 1st サウスポー

20日 2nd 帰ってこいよ

               少年時代


Light Joke Jazz Orchestra のモットーは“ビッグバンドをもっと身近に親しみやすく”ということで、よく知られている曲をジャズにアレンジして楽しんでもらおうというコンセプトでライブを行っているそうです。

ステージにスタンバイしたバンドが三宅さんを呼び込むときの音楽が「麻婆といったら丸美屋♪」を巧妙に入れ込んだジングルだったとお伝えすれば、その雰囲気はお分かりいただけると思います(笑) あんな素敵な丸美屋のCM音楽、初めて聴いたわ〜。


このライブの副題は”ミュージカルをスウィングしよう”。

ブロードウェイやウェストエンドの有名作品ではなく、もっと広義の、日本のテレビ番組や映画を取り上げていますが、アッキーはジャズのスタンダードから1曲と、ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』から3曲歌いました。


「It Don’t Mean A Thing」は5年前の日比谷のジャズフェスティバルにゲスト出演したときにも歌っていて、あのときだってすごいなぁという気持ちでしたが、今回は完全に次元が違うものになっていました。

曲自体はよく知られているものだけれど、アレンジャーの羽毛田さんが気合いを入れてスーパー難しいアレンジにしたとMCで三宅さんがお話しされたとおり、パートごとにコロコロと音の重なり、リズムが変わっていくスリリングなセッション。


そしてジャズといえば楽器ソロのアドリブですが、アッキーは”声”で参加。テナーサックスの寺井さんに対してスキャットでアドリブの応酬をぶちかましました。

メインのメロディーから引っ張ってきたり、直前に寺井さんが吹いたリズムを取り入れたり、自由自在に声を操る。

いつも、何回も「アッキーは楽器だ」「中川晃教という存在自体が音楽だ」と書いているけれど、それを上回る衝撃でした。何なんだろう、あの人。マジで。


特に20日の2nd stageでは、両者の駆け引きの熱が凄まじくボルテージが限界を突き抜けた感。

インプロの時間が終わると両者が握手をしてお互いを称え合うのですが、それでは足りないというように寺井さんからガバっとアッキーをハグ。

この瞬間「あー、この2人は音楽という共通言語でものすごいコミュニケーションをやってのけたんだ」と見ているこちらまで胸が熱くなりました。

真後ろで熱気を感じながらドラムを叩いていた三宅さんが演奏中に涙を流してしまったのも理解できます。ブルーノートが爆発するような歓声でした。


この日のアッキーはヘアカットして珍しく前髪をおろしていて、全体的にウェットな感じにスタイリング。出てきたときに三宅さんに「湯あがり?」ってつっこまれていたけど、そこからのギャップがありすぎる(笑)


トワング全開の「Sherry」で登場したときに、アッキーのことを知らなかったお客様のザワザワ感が見ていて面白く、また、まだ去年の大千秋楽から1年も経っていないのにすごく懐かしい気持ちになりました。


「My Eyes Adored You」は落ち着いたバラード。

東宝版の訳詞では劇中のシーンにメアリーがいることもあり、原曲の2番に描かれる上り詰めて行く自分(フランキー)と遠い相手(メアリー)の対比にフォーカスがおかれていましたが、男性1人で歌うと1番で歌われる幼き日の淡い恋の思い出が浮き上がる。美しいメロディーの中に少しだけ違和感のある和音が入るアレンジで、大人の男が過去を振り返る切なさやほろ苦さが感じられました。


そして、アッキーも「有名なあのフレーズがホーンセクションで聴けますよ!」と紹介した「Can’t Take My Eyes Off You」。

思わずニコニコしてしまうようなハッピーなスウィング。観客はもちろん、ブルーノートのスタッフさんたちも手拍子しながら給仕や片付けをしていて、会場全体が笑顔に溢れて素敵な空間でした。


「(It Don’t 〜が難しくて)Jazz勉強しました」と打ち明けたり、盛り上がったところで「I Love Jazz!」とピョンピョンしていたのが嬉しかったので、アッキーがまたジャズを歌うことを楽しみにしています。

それにしてもライブツアー1ヶ月間やった2日後からまったく趣の違うこのステージに参加しているとは驚愕するほかありません...。



さて、1曲目の「The Star-Spangled Banner(星条旗)」はミュージカル発祥の国・アメリカの国歌。

国歌をアレンジすることについてアメリカの人はどう思うのかな?とは思いつつ、原曲ではピンと背筋を伸ばしてしまうような威風堂々とした雰囲気が、スウィングのリズムになるとフッと体の力を抜いて口ずさみたくなるような親しみやすさに変わり、その選曲に1曲目から引き込まれました。


2曲目の「ひょっこりひょうたん島」は人形劇ですが、確かに劇中に歌が出てくるしミュージカルと言えるかもしれません。

もともと軽快な曲ですが、メインのメロディの音数を少しシンプルにしていてお洒落な感じになっていました。原曲で子どもたちが元気よく歌っている感じとビッグバンドのゴージャス感は方向性としては正反対のような気がするのですが、すごく相性が良かったです。かっこよかった!


3曲目は植木等さん主演の映画シリーズから主題歌の「無責任一代男」。そういえば『男はつらいよ』も超有名な主題歌がありますし、加山雄三さんとか石原裕次郎さん(ドラムも!)とか、昔は映画の中でよく歌ってたんだなぁ。

原曲を改めて聴いてみましたが全体の印象はマーチなのにところどころ変拍子でジャズっぽいといえばジャズっぽいんですよね。

「ひょっこりひょうたん島」でかっ飛ばした空気を落ち着かせるようなゆるさが心地よかったです。


ディズニーミュージカルからは『ピノキオ』の「星に願いを」。SETの劇団員のお2人が宝塚スターに扮して歌われました。

今回ちょっと気になった部分として、三宅さんと劇団員という関係性があるからだということは分かるのですが、女性であれ男性であれ、(攻撃的な内容や口調ではなかったですが)年齢(や容姿)をネタにするような笑いは時代遅れではないかな?と思います。

白土さんと良田さんの歌は素晴らしかったです!静かにお星様にお祈りしているような曲が、ビッグバンドでは星空というよりも夜通し明るいダンスホールで踊っているような賑やかさ。


白土さんと良田さんは「Sherry」のコーラスも担当してくださいました。

あと、宝塚という設定にしたんだったら捌けるときの音楽は「さよなら皆様」にして欲しかったところ(笑)


「監獄ロック」は、ところどころに名曲「In The Mood」のメロディーを織り交ぜたアレンジで、最後に「ビッグバンドジャズを聴いたわー!!」という満足感があり、このセットリストの締めにピッタリでした。


ライブ冒頭で、三宅さんから当初3月に行われるはずだったのに7月に延期になったことの謝罪がありました。

大腿骨の骨折ってかなりのダメージだと思うので、むしろよく4ヶ月の延期で済んだな〜と感心してしまいました。


「バンドのメンバーはプロですからいいものの、私は大変ですよ!」と、ところどころボヤきつつ、優しく温かいドラムでバンドの音を作り出していらっしゃいました。

また、1曲ごとにソロを取ったメンバーの紹介があったのも素敵な計らいでした。

(ドラムってずっと続けていける楽器なんだなぁと実感したので、上口耕平くんの30数年後も楽しみになったり)


生まれた年は違うものの、三宅裕司さんは私の父と誕生日が同じ(ちなみにフランキー・ヴァリも同じ5月3日)で、なんだか親近感を持っていました。そして、実家にいたときは買い物に(日用品の荷物持ちですが...)出かけるときに車の中でラジオを聴いていたことも思い出します。このステージのMCでも披露された天然な奥様(マコ様)の迷言もよく聞いたなあ。”マソリン元旦”が好きです(笑)


「また来年!」とおっしゃっていたので、出不精の父を連れ出すのは至難の業ですが両親を連れてこられたらいいなと思いました。


そして、いつかアッキーが単独でブルーノート東京に立つ日を待っています。

2019年7月 9日 (火)

中川晃教コンサート2019 New Wind with the Trio in Early Summer

6/16 横須賀ベイサイドポケット

6/20 横浜みなとみらいホール

6/23 東北大学川内萩ホール(仙台)

7/7   紀尾井ホール(東京)


チェロ: 細谷公美子

クラリネット: 稲本渡

ピアノ: 園田涼


Your Song / Elton John ♠︎

Can’t Take My Eyes Off You / 『ジャージー・ボーイズ』より

旅人

終わりのない愛

Bohemian Rhapsody / QUEEN ※

Smile / Charlie Chaplin ※

Save Our Souls 

相対性理論

砂のロープ ♥︎

マタドール

止まらない一秒

粒子 ♥︎

Family 

<アンコール>

I will get your kiss

見上げてごらん夜の星を / 坂本九 ☆

♣︎ 中川晃教弾き語り

※ 中川晃教&ピアノのみ

♥︎ 新曲

☆ マイクレス


北は山形、アッキーの故郷・仙台から南は福岡まで全国のホールをめぐるコンサートツアー、私は4ヶ所に行くことができました。(追記: 7/10の川口リリアホールにも行っちゃいました)



チェロ、クラリネット、ピアノのトリオ編成。

そこに、中川晃教の”声”という楽器が加わる。

チェロとクラリネットって、楽器の中で人の声に似ていると言われているんですよね。だから、一風変わった編成なのだけれど、音の親和性がすごく高い。

アッキーのコンサートに行って実感することは、声と楽器が歌と伴奏ではない、ということ。

全部が一体となって”音楽”を作っていて、楽器隊の人に絡むというか話題を振るのは、客席に音の全部を味わって欲しいという思いからなのだ、と。


実際、このコンサートの中でも、メンバー紹介以外にその楽器がどういう音なのか無茶振r...デモンストレーションをするコーナーがあります。


紀尾井ホールの日は七夕だったので、チェロの細谷さんが童謡の「たなばた」、クラリネットの稲本さんが「きらきら星変奏曲」、ピアノの園田くんはさらにジャズ調にアレンジした「きらきら星」を披露。

他の日では「クラリネット壊しちゃった」のメロディを吹いてアッキーから「もっと高尚なのがいい!」とつっこまれたり、「今の気分は?」と聞かれた園田くんが「What are you afraid of」のイントロを弾いて驚かせたり(「こんなピアニストの人今までいなかった!」)、仙台公演では「青葉城恋唄」をさらっと弾いてみたり、プロのひらめきと演奏にワクワクする時間でした。


このツアーでは、セットリストは固定なのですが、だからこそ、自分の(観客としての)状況で受け止め方が違ってくるのが面白かったです。

例えば、休みの日に小旅行気分で行った横須賀は私のウキウキした気分と呼応するようにエキサイティングだったし、すごい勢いで仕事を終わらせ電車に飛び乗って向かった横浜では夜公演ということもあって心から癒されたし、仙台では会場の雰囲気が温かく空間全体がこのコンサートを抱きしめているような安心感がありました。


そして、紀尾井ホールでアッキーが「(回を重ねることで)セットリストが熟成されてきた」と話していたけれど、それまでも素晴らしいものでしたが仙台からの2週間で完成度が桁違いに上がったように感じました。

何がすごかったのか、というのを言葉にするのは難しいのですが、ひとつ言えることは、このツアーを通してアッキーがとてつもない進化をしているということ。


弾き語りでピアノとの関係性を提示した後にミュージカル俳優としての顔もアピール、POPSSICの2曲で愛というものの陽/陰を表現し、園田くんのピアノ1本で歌い上げる「Bohemian Rhapsody」で圧倒してからの「Smile」の優しさに満たされる。


初めての土地、初めての観客を引きつけるためによく知られた曲のカバーから始まりオリジナル曲へ。


新曲が2曲。「砂のロープ」と「粒子」。

数えられないもの、測れないもの、目に見えないもの。それは愛や意志なのかもしれません。

横浜だったかな?曲を作るときには、浮かんできたメロディをもとに考え抜くタイプ(「出来立てのスープもいいけどグツグツよく煮込んだものも美味しいでしょ?」)だと言っていて、そういうことを知れたのもよかったなぁ。


個人的には「粒子」の”ひとつの身体に無限のエネルギー”という歌詞がアッキー本人のことのように感じられてとても好き。この曲は静かに始まって静かに終わるのだけれど、サビでまさしくエネルギーが爆発する感じがあって絶対にアッキーにしか歌えない。「止まらない一秒」からの流れで、内から何かフツフツと湧き立ってくるような力強さがありました。


「相対性理論」や「粒子」といった、自分の周りの不思議なことに対する興味を歌にするのは面白いですよね。

そこからラストが「Family」というのが、野球の配球でいうと変化球で様子を見てからの超速球ストレートど真ん中でアウトを取ったという感じでしょうか...(分かりにくい)。

たぶんアッキーのオリジナルの曲の中でいちばんと言っていいほど、気持ちがそのまま表れている曲じゃないかなぁ。そのてらいのなさに素直に感動するのです。


アンコールは自分を初心に戻してくれる曲だというデビュー曲、それからマイクレスで「見上げてごらん夜の星を」。客席が静まり、ホール全体と、楽器と、アッキー自身...全部がひとつに溶け合うような感覚になりました。


ツアーはまだ続きますが、私のコンサート参加はここまで。

最後に仙台公演のときのツイートを貼っておきます。

これもきっと何か目に見えないものなのかもしれません。


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